第二章 凶器、狂気、狂喜

第27話 つかの間の平和

目覚まし時計のけたたましいアラームが、部屋中にこだまする。

「ん……」

まだ眠い眼をこすりながら、小春は目覚まし時計に手を伸ばし、そのアラームを止めた。

「あっつい……」

まだ朝だというのに、気温は30℃。相変わらず、気のおかしくなりそうな程の暑さである。

冷房を設置するようなお金もない小春は、何とか色々な工夫をしてこの暑さを乗り切っているのだが…それでも限度というものはある。


だが、小春はそれでも安心できることが一つあった。

そう、以前のような予知を一切見なくなったのだ。元凶となる男こそ勝ち逃げのような形で死んでしまったが、それでも予知の原因がなくなったことに変わりはない。

あの事件からは一か月。鏑木の葬儀は近親のみでささやかに行われたので、鏑木を見送るようなことは出来なかったのが寂しかったが、そんな出来事すらも、少し昔の話のように思えるほど、今は平穏に過ごせている。

暑さで寝苦しくはあったが、それでも満足に眠ること自体は出来たのだ。

「………」

予定もない。今日は出勤する日というわけでもない。

特にやることもない小春は、疲れた身体を休めようと、二度寝でもしようかとまた布団に入るが……。


デバイスがメッセージを受け取った音に、再び意識が覚醒する。

送り主は…紬だ。

『小春、今日オフだっけ。出かけに行かない?私も暇でさ』

紬の方からの誘いだった。そう、今日は休日。きっと紬もやることがなく暇なのだろう。

『うん、行く。何時から?』

『10時に駅の方で待ち合わせ、でいいかな?そこから5個先の駅行って、ショッピングモールでお買い物』

『いいよ』

『よかった。私、なかなか遊び相手とかいなくてさ。ほんと小春がいてくれて嬉しいよ』


思えば、同年代同性の職員は、今まで紬にとってはいなかったのだろう。

なんだか自分の存在が求められていたもののような気がして、小春は少し胸が躍っていた。

『こっちこそ、すごく暇だったし、誘ってくれてありがとね』

『どういたしまして。それじゃ、行こうか。私もすごくうれしいよ』

何もすることもなければ、する気もない自分の有り余った時間に、光が差してくるようだった。

とても嬉しい。

紬の方からこういった誘いが来ることが、本当に嬉しい。

これを誰かが見ているとしたら少し恥ずかしくなるくらいに、少し小躍りするくらいに気分が高ぶっていた。


約束の時間が近づくにつれ、緊張で心臓の鼓動が早くなっていく。

「あれ…何で私こんな緊張してるんだろ……?」

それもそのはず、小春は重度の不幸体質なのもあり、今まであまり友人がいなかったのだ。

バスで旅行に出かければバスジャックをされ。

ショッピングモールでショッピングをしようとすれば、強盗が現れて大騒ぎになりショッピングは中止。

そんなことが繰り返されるうちに、彼女は友人と出かけようとすることそのものを、無意識に避けるようになっていた。

だが、今回は紬の方から誘ってくれた。

どんな不幸なことが起ころうと、むしろそれをはねのけてやろう、くらいの気分だ。


「えっと…まだ9時28分、かぁ……」

約束の時間にはかなり早く着いてしまった。

どんな不運が襲ってもいいように、30分前には着くように出かけたのだが……。こういう時に限って何も起きない。

道で転びそうになることもなければ、何か事件に巻き込まれて足止めをされることもなかった。

「うぅ……」

気温は33度。最も暑い時間ではないとはいえ、それでも陽射しの下でずっと歩くにはかなり支障が出るような気温。

しかも、今が暑い時間ではないということは、それはつまりこれからもっと暑くなるということを意味する。


ハンカチで流れる汗を拭きながら、紬の到着を待つ。

そういえば、紬の住んでいる家はどんな所なのだろうか。きっと、自分の住むアパートのような所よりも、よほど快適で、過ごしやすい所なのだろうか。

見たこともない紬の住居に想いを馳せながら、1分が5分くらいになるような時間をずっと待ち続ける。

本音を言えば1秒後にでも紬が来てくれてほしいけれど、でも早く来たのは自分の方だ。そんなことは言ってられない。

そういえば、紬は暑さは苦手なんだろうか?だとしたら、自分のためにわざわざ時間を作ってくれたのかも……。何てことまで。


退屈な待ち時間は、思考が止まらない。そして、思考が止まらない間に、ついつい紬のことばかり考えてしまう。

少し顔が火照っているのは、きっと夏の暑さのせいだろうと思うことにした。


15分くらいした後。

「あれ…小春もう来てたんだ。早いね」

長い黒髪に、スラっとした体格に、やや鋭い目つき。…いつもの服装より上等そうな白いワンピースを着た、紬の姿がそこにはあった。

白と黒のコントラストが、なんだか小春にはとても眩しく感じられた。

「…あっ!!紬さんも早い、ね……?」

ここまで早く到着するとは思わなくて、つい小春は頓狂な声を上げてしまう。

「思ったより早く準備が終わっちゃってね、こういう時。家でじっとしてられなくてさ。小春の方もそういう感じ?」

「いや、そういうわけじゃなくて。私って結構な不幸体質だから、道に着くのに色々あって遅れたらどうしようかな、って思って」

「そういえばそうなんだっけ。…大変だね。でも…それをわかって早く出るっていうのはさ、自分のことよくわかってるってことでしょ?それっていいことだと思うよ」


「そう、そうかな。昔からずっとこの体質だから、なんかもうよくわかんないや」

「そうなんだよ。自信持って、ね」

そうやって笑いかける紬の表情は、いつもよりも輝いて見えた。

「さ、行こうか」

約束の時間よりは随分と早い時間だが、駆けだすようにして紬は駅の方へと向かっていった。

きっと、紬もこの時間を楽しみにしていたのだろう。小春は、それがとても嬉しかった。

同じ時間を、同じ気持ちで共有できるのが、何よりも嬉しい。


『繰り返しご案内いたします。花山駅にて、9時32分頃、人身事故が発生しました。そのため、各電車に停止の指示が出ております。ご迷惑をおかけして申し訳ありません』

躍っていた心は、一瞬にして冷や水を浴びせられてしまった。

「うん、あの……ショッピングは、また今度にしようか。小春」

「そう、だね……」

肩を落としながら、2人は今まで来た道を引き返すことにした。


その瞬間、小春の視界が切り替わる。

一体こんな時に何なんだろうと、『予知』の方へと目を凝らす。


そこには、炎に包まれた『KRONUS』の事務所と、立ちすくむ自分たちの姿が見えた。

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