第25話 『アヴァロン』

「は………?」

あまりに衝撃的な光景に、華月は口を開けてそれを見守るしかなかった。

近くにいた小春は、あまりのショックにひっくり返ってしまったのか、気を失って眠ってしまっている。

先ほどまで元気に耳障りな笑い声をあげていた男は、ビクビクと身体を痙攣させながら喉から鮮血を流していたが、やがてその動きも完全に停止する。


「あー…完全に伸びちゃってるな。無理もないさ、目の前で喉かっ捌いて自殺する狂人なんざ見てしまったら、僕だって正直意識保つのがやっとだったさ」

気を失ってしまっていた小春に語り掛けるが、返事はない。

「…あー。返事のないやつに話しかけるってこんな虚しいんだな。しかし……」

やがて、華月は右腕につけていたデバイスで、電話を取る。

対応はすぐに来た。

『もしもし、神楽坂町警察署異能力対策課の相良です』

聞こえてきたのは少し軽い調子の男の声。華月は相良という苗字から、そんな人物に見覚えがあったかどうか、記憶を手繰る。

ああ、確かこの間事務所で堂々と煽りをかましてきたやつだったか、と。

『探偵事務所「KRONUS」の新島華月だ。先ほどの事件について進展があった』


『新島さん、ですか。あー。そっかぁ。そういうことか』

『僕とわかった途端に急に態度を変えたな。まあいい。今はそんなつまらないことを指摘している場合じゃない』

『だってオレ堅苦しいの苦手なんすもん。それで、どうかしたんです?随分焦ってる様子ですけど』

『簡潔に言おう。僕たちは下手人と遭遇した』

『ああ、この間も報告があった奏さんの件っすか。それで?まさか……』

『いや君が想像している方向性じゃないから安心したまえ。簡潔に言おう。その下手人が自殺しやがった』


『は……!?』

電話口からでも、広夢の驚く顔が目に浮かぶようだ。無理もないだろう。

『自殺って……』

『自分の喉をナイフでかっ捌いてな。その直前にこんなことも言っていた。

『アヴァロン。そう、お前らは騎士によって裁かれる罪人だ』とな』

『騎士の仕事はあくまで国を守ることであって、罪人を裁くことじゃねえでしょう』

『だろう?狂人の戯言にいちいち付き合ってたら、こっちが狂人になってしまう』

普段の華月ならそう切り捨てるところだが、男に協力者がいそうという状況な以上、それを一笑に付すというわけにもいかなかった。


『それで、現場は?色々調査したいんで、それだけでも教えてもらえればいいんですが』

『場所か?確か……』

もっとも、人の往来もそう多くはない程度の路地だ。自分が通報しなくとも、普段ならすぐに通報をされることだろう。

まったく、ただの狂人に何を怯えているんだかと、まるで自分の行動に自分で違和感を覚えてしまう。

「変わったな、僕も……」

『わかりました。すぐに向かいます。一応現場保存ってことで、現場は弄んないでくださいね』

『勿論。それじゃあ、僕は小春クンを事務所まで連れて行かないといけないから、ここで切ることにするよ』

そのまま、電話は切れた。


たとえ気を失っている状態だろうが、こんな炎天下に放置していれば間違いなく熱中症になる。

警察の側への電話をすぐに終わらせたのも、このままいけば小春の命に関わるからだ。

「さて…僕の体重は大体41キログラム。小春クンはその体格なら大体45キログラムから50キログラムの間といった所だろう。まったく……自分より体重の重い相手をこうやって運ぶことになるとは、な…。まあ、それが出来てしまう特異体質には感謝しなくてはいけないが」

担ぐようにして、そのまま小春を事務所まで送る。

「それにしても…‥」


「人間でも気がおかしくなるような猛暑に、吸血鬼<ヴァンパイア>なんて放り込んで、僕もどうなるかわからないな」

夏の暑さの中に、華月の呟きが溶けるおうにして消えた。


目を覚ます。そこには、見慣れた…というほどではないが、確かに見覚えのある天井。

「……あれ……?」

「ああ、良かった小春。目、覚ましたんだ」

「うわぁっ!?紬さん!?それに、皆も…というか華月さんは!?」

必死に記憶を思い出す。確か、ずっとあの殺人鬼と戦っていて…そして……。

「無理に思い出すなってば。それ、よっぽどショッキングな光景だったんでしょ?またひっくり返られても困るんだけど」

一哉の嫌味じみた言葉すら、今の小春にとってはかなり安心するものだった。


ようやく状況を理解する。

事の経緯については聞いた。例の男との交戦の最中、男が突如ナイフで喉を裂き、自殺をしたということ。

それを見た自分が、すっかり気絶してしまっていたということ。

そして、それを報告した華月は…今身体を休めているということ。

「それにしても無茶するなぁうちの所長は。ヴァンパイアとかいう特異体質でこんな炎天下外に出たら、絶対体調崩すだろうに」

「ん~?それと何か関係あるのか?」

「小説やマンガじゃヴァンパイアは日差しを浴びると灰になるというのが定説。悠希、それ前も教えたよね?」


「……そういえばそうだったじゃん!!!大変だよ!!」

「……はぁ」

あきれ顔でため息をつく一哉。きっと、このやり取りをするのも一度や二度じゃないのだろう。

「まあ、あくまでヴァンパイアと近い体質を持つというだけだから、灰になるというようなことはないって言ってたけどね。それでも…日光に弱いことには変わりない。だから、帰って来た時にももうフラフラだったしね」

「そ、そんな無理させてたんだ……」

「気にする必要ないって。絶対それ聞かれても『はは、小春クン。そんなわざわざ気を遣うようなことないだろ?第一君だって熱中症になられちゃ困るさ』とか言ってるよ」


「あっはは、それっぽ~!」

「ぷっ、あはは、似てる……!」

あまりの再現度に、小春はつい笑みがこぼれてしまう。そして、同時に。この戦いが自分たちにとって『勝利』ではなかったことにも、彼女は自覚してしまった。

「こういうの、勝ち負けとかじゃないんだろうけど、でも。これじゃ…『勝ち逃げ』されたみたいで、私はすごく、すごく嫌だな」

鏑木だけじゃない、犠牲になった人物は何人もいる。あの男は、罪を全く償わずに逃げたのだ。そんな、卑劣な男だったのだ。


「私だって、腸が煮えくり返るような思いだよ。鏑木さんには私も何度もお世話になったし、相談だって聞いてもらってたことだってあるし。でもね、でもね小春」


「受け入れるものでもない、一生あの男のことは許さなくていい。でもね、私達は。後ろを振り返るわけには、いかないんだよ……」

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