第8話 幸せと不幸せ
事務所の外はかなり暑かった。朝はそうでもなかったというのに、立っているだけで汗が滲みそうなくらいな程の気温の高さになっている。
デバイスを見て確認すれば、今日の気温は32度。まだ6月だというのに、夏並みの暑さである。
「今日もあっついね……」
「そうだね。あ、気温、32度だって。でも、明日は雨降るみたいだから、もうちょっと涼しくなりそうかな」
「私、夏ってどうしても苦手で……。どうも夏の間って、あまりに暑いから頭働かなくなっちゃって」
小春自身はそこまで自覚もしていなかったが、どうやら自分は暑さにそれなりに弱い体質らしい。
熱中症で倒れてしまったこともあり、そういう経験もあって、どうにも夏そのものが苦手なのだ。
「私は冬の方が苦手だなぁ」
「紬さんはそうなの?」
「うん。ほら、冬って静電気がすごくなっちゃうんだよ。セーターとか着れない」
「あぁ…もしかして……」
思い出されるのは、最初に会った時のあの光景。ひったくり男に向けて、電撃を放つあの景色だった。
「うん。私電気使うから、そのせいかはわからないんだけど、静電気出やすい体質でね……」
能力が思わぬ方向で、日常生活に影響することもある。
思えば、華月の昼寝ももしかしたらそういったもののうちの一つなのかと、小春は思い返す。
「と言っても…小春、このあたりの道はわかる?」
「それなり…には……?」
住宅街の真ん中ということもあって、どうにも自信が無い。
歩いてもあまり景色の変わらない住宅街は、小春にとってはいかんせん迷いやすい場所だった。
「そっか、じゃあ案内してあげよっか。華月さんも言ってたし、今はとりあえずこのあたりを歩くのを楽しんでいこう」
「なんか…楽しそうだね、紬さん」
「どっちかっていうと、こうなったら楽しまなきゃ、っていう感じ?かな」
少し苦笑いを浮かべてから、背を向けて紬は歩き出す。
紬が歩き出したのは、ほぼ廃墟になってしまった商店街だ。
ほとんどの店のシャッターが閉まっていて、一部開いている店にも誰も訪れる様子がない。
「ここさ。子供の時によく遊びに行ってたところでね。今はほとんどお店も閉まっちゃってるんだけど、懐かしいなぁ」
昔懐かしそうに、紬は語る。
「ここ、商店街なんてあったんだね」
「うん。もう子供の時の時点で半分くらいお店閉まってたけどね」
小春の足元に、ほぼボロボロになって使い物にならなくなったポスターが落ちてくる。何かイベントのチラシのようだった。
「えっと……これって」
イベントの日付は2086年。丁度10年前のものだ。
「ああ、これかぁ。商店街にこの時人気のアニメの着ぐるみが来ててね。ほんと懐かしいな」
そう目を輝かせて語る紬の姿は、まるで幼い子供のようで。
紬の正確な年齢こそ知らず、きっと年上なのだろうかと思っていた小春だったが、この時ばかりはまるで自分より年下の少女のように見えた。
「…あ!ごめん、なんか自分だけ熱くなっちゃって。そういや小春は、子供の時好きだったものとかある?」
「子供の時かぁ…あんまり記憶にないんだよね……」
子供の時の自分は、今よりもあまり恵まれた環境じゃなかったというのだけは、覚えている。
何せ、今以上の不運に、何度も襲われていたのだから。
未来視の影響で不運を惹き付けてしまうのか、それとも本当にそういう体質によるものなのか。
白川小春は、決して自分が不幸な人間だと思っていなかった。
ただ、それは小春が自分の今までの人生を否定したくないからこそ出たようなもので、本当はもう少し安定した生活を送りたかったという気持ちも、また真なのである。
「聞きづらいことだったらごめん。そうだ、行きたい所とかある?」
「うーん…特にないかなぁ。それより、紬さんの行きたい所があったら、そっちにしてほしい。もっと紬さんのこと、知りたいから。」
「気を使わなくていいのに。まあでも、それならお言葉に甘えていこうかな」
気付けば、さびれた商店街を出て、また街へと戻っていた。
近くには、高層マンションが建っている。
小春が住む町よりは人が住んでいそうな雰囲気で、なんだか「町に出てきた」というような空気は、少しだけ小春の心を躍らせた。
「そうだ、そういえば紬さんってどのあたりに住んでるの?」
「この近くだよ。一人暮らし」
「へぇ……」
「色々事情あって、親元離れて生活中。最初は大変だったけど、だんだん慣れてきたよ。疲れて帰ってきても自分で家事やらなきゃいけないのは、今でもしんどいんだけどね」
テキパキと家事をする紬のことを想像して、小春は少しだけ不思議な気分になる。
「小春はどのあたり?」
「事務所から…大体30分くらいのところにあるアパートかな。ちょっと遠いんだけど、でもこのくらいの道なら慣れてるから、大丈夫」
喫茶店の方だって、家から決してものすごく近いというわけではない。
しかし、いかんせん小春の住んでいる場所の近くは人が少なく、仕事が出来るような場所はないのだ。
「そういや、高校は通ってないんだね?」
「お金がないもので……」
「あはは、そういう子、未だにいるっていうよね……」
満足に教育を受けられない子供のための支援は、国も行っているというが、それでも立ちいかないものがあるというのもまた事実だ。
それなりに貧乏暮らしである小春は、少なくとも学校に通える程のお金は捻出できないということに、少しだけ寂しさを覚えていた。
道の方に出ると、大声で何やら誰かが騒いでいる声が、2人の耳に入っていた。
「あぁ!?てめっふざけんじゃねーよ!死ねコラ!!」
「てめえこそ死ねコラ!!」
「おめーなんて生きてる価値ねーんだよ!とっとと失せろこの野郎!!!」
若い青年2人が、道の真ん中で罵声を浴びせあいながら、何やら取っ組み合いの喧嘩をしていた。
「…うわぁ……小春、どうする…?」
「止めに行った…方がいいかな?でも知らない人だし……」
あまりにも醜い騒ぎ声を前に、紬は黙って顔をしかめ、小春は止めるかどうか迷い、立ち尽くしていた。
「やめた方がいいと思う。巻き込まれるよ」
「でも……」
「気づいてないふりして、通り過ぎよう。あんなのに巻き込まれて怪我してほしくない」
今までよりも少し強い調子で、紬は小春を制止する。
それに折れたのか、小春も黙って通り過ぎようと、近くを通り始める。
男のうちの一人が、もう一人に殴りかかろうと拳を振りかぶったその時。男が急に倒れ込む。
「うわぁあああああああ…な、何だよ!?」
「…これよりあなたを拘束します。こちらについてきなさい」
男の前に現れたのは、帽子を目深に被り、軍服を思わせる制服を着た、刀のような武器を持った女性だった。
「…な、何今の!?」
「もしかして……」
そして、女性は小春たちの方を一瞥すると、一言。
「……おや、出来損ないがこんな場所に何のようですか」
「……”姉さん”、あなたこそ。何でこんな場所に?」
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