第3話 久遠寺紬
「お礼をさせてはくれませんか?」
その一言に、紬は目を丸くして驚いていた。
「ダメ…ですか?」
「いえ、ダメではないけれど。そうやって人助けのお礼をされるなんてこと、滅多になかったから。軽くありがとうございますくらいは言われることこそあるけど、わざわざ後でお礼まで、っていうのは珍しくて」
「…そういうものなんですね……?あ、でも今何も持ってないので、後で買ってくるというのは」
「いや、流石にそこまでは受け取れない。報酬以上のものを受け取る気は、私にはないから」
「水臭いこと言わずとも受け取っておけばいいさ、それにこういう純粋に感謝を告げてくれる奴は少ない。近頃の若い奴は皆どこか冷めてるからな。滅多にいないぞ?こういう子は」
ニヤニヤと笑う幼い少女の方を、小春は不思議そうな目で見つめている。
「おっと、会計は済ませておくから、続きは後でしようか。店の中で大声でやるわけにもいかん」
「…そうね。あなたもついてきてくれるかしら?」
「はい、わかりました」
3人は会計を手早く済ませてから、店の外へと出る。
「…あ、自己紹介が遅れていたわね。私の名前は久遠寺紬。こういう仕事をしているものよ」
紬が渡してきた名刺には、『異能力探偵社 KRONUS』と書いてあった。
聞き慣れない職業に、思わず小春はそれをいぶかしげな目で見つめる。
「まあ、胡散臭く見えるよなぁ。この名前つけたの僕だけどな。流石にこれは気取り過ぎたなとは自分でも思ってるんだよ」
「だとしたら名前変えた方がいいんじゃないです?」
「いや今更変えるわけにもいかんよ。というか変えたら書類諸々が面倒臭くてね。まあ、そろそろこの子が意味不明そうにこっちを見てるからこっちも自己紹介しておくか。新島華月。こちらの探偵社の社長をしている。
難しい方の華にムーンでカヅキと読む。気軽に華月ちゃんとか呼んでくれ」
どうも幼い少女のように見える彼女であったが、どうやら違ったらしい。小春の目には、明らかに10代前半にしか見えなかったが……。
「騙されないで。その人もうすぐ50歳だから」
「ごじゅっ……!?いや、お若いですね……?」
「おいおい勝手に女性の年齢をバラすもんじゃない。言わなきゃ話にならんっていうのはわからんけどな?あとそっちの子そのリアクションもちょっとおかしいだろ」
「お、おかしかったですか…?あ、私は白川小春っていいます。普段はアルバイトとかして暮らしてます」
「…ん、見たところ学生じゃないんだな。そもそもこの時間は学生は学校か。なるほど、なるほどな。夜間定時制などは利用しないのか?」
「お金が無くて……」
「ああ、そういう事情か。ま、とりあえずお礼を言いたいというのであれば、案内してあげよう」
華月の案内に従い、小春は道を歩く。見慣れない道だが、彼女はどこかそこに、デジャブのようなものを覚えていた。
「ほら、着いたよ。ここのビルの3階が私達の事務所。あんまり広くないけれど、くつろげる場所くらいはあるから」
「はいっ、ありがとうございます!」
「そんなかしこまらなくてもいいのに」
「しかるに、紬の表情が薄いから怖がられてるんじゃないか?」
「私、そこまで表情薄いわけじゃないと思いますけど」
からかうように言う華月に、紬が顔を赤くする。確かに表情がそこまでわかりやすいというわけではないが、それでも威圧感を感じるようなものではないと、小春は内心考えていた。
もっとも、紬の身長は小春よりかなり高い上に、紬が特に目線を合わせずに話すので、見上げてしまう姿勢に緊張してしまうというのは、あったのであるが。
「結構立派なんですね~~」
「曲がりなりにも探偵社とか名乗ってるだけのことはあるからな。それに意外と客も多い。今朝のやつだって正式に依頼を受けて解決した事件だろう?」
「はい。まさか目の前で更に被害者が増えるとは思いませんけど」
「うっ……」
「でもあなたの協力もあるんだよ、白川さん。あなたがあの男を追い詰めてくれたおかげで、あの一瞬だけで制圧出来たんだから。そこは感謝するよ」
「……ほんとですか!」
「ほんとほんと。それに、あの男はなかなか脚が早くて捕まらなかったらしくてね。警察でも手を焼いていた存在だったらしいんだよ」
男の名前は秋山雅人、年齢は36歳。
手に触れたものを自分の持つ別の物とすり替える、という才能<ギフト>により、何度も盗みを働いていたという。
「そういえば、こういうのって基本、警察に相談するイメージなんですけど、その依頼主さんは警察の方には相談されなかったんです…?」
「おいおい、仮にも探偵社の事務所でそんなこと聞くかい?」
冗談めかして笑う華月をよそに、紬の表情が少し険しくなる。
「警察は動くのが遅いから。それに警察を信用してない人だっている」
「…そ、そうだったんですか」
「今回だって、もう既に被害者は4,5人いるっていう話だったのに、警察は全く動こうともしなかった。彼らにあるのは権力だけ。だから、警察なんて……」
「ストップ。それ以上は小春クンがビックリするからやめようか」
「…すみません、取り乱してしまいました。白川さん、この後も何か困ったことがあったら、うちに相談してきてもいいからね」
「まあ少々依頼料は学生には高いから、どうしてもっていう時に来てくれよ。もっとも、軽い人生相談くらいならただで乗るがね。曲りなりにも人生経験だけはあるからな僕は」
「まあ、こんな人だけど、信頼できるのはそうだから。この場所だけでも覚えて帰ってほしい」
小春の目には、華月も紬もとても頼もしく見えた。特に紬など、自分とほとんど歳も変わらないだろうに、目に熱意のようなものを宿しているのだ。それが、小春にはとても眩しく見えた。
「では、わたしはこれ。で……!?」
突如ピシリと何かがヒビ割れたように、小春の頭を強い痛みが襲う。
次の瞬間見たものは、血の海の中から自分に向けて手を伸ばす誰かの姿。
今にも死にそうという様相で、震える手をこちらに向けて差し出してきているのだ。
そして、視線を少し下に動かす。
そこには、苦しそうな顔でこちらの姿を見る、久遠寺紬の姿があった。
もう少し後ろに引いてから、改めて紬の状態を見る。
血の海の中にいる紬には、腰から下が千切れてなくなっていた。
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