第2話 白川小春
「はぁっ…はぁっ……」
落ち着いた内装の喫茶店に、それに似つかわしくない様相で、息を切らして一人の少女が来店してくる。
「……間に合い、ましたか……」
「うーん。本当にギリギリだけど、大丈夫。間に合ってるよ。そんなに急がなくても良かったのに」
その少女こそ、この喫茶店「乱歩」に初めてアルバイトとして入って来た白川小春その人である。
「実は…ここに来るまでの間に色々巻き込まれまして…」
「泥棒に遭ったりとか」
「ありゃぁ…そりゃ災難だったねぇ」
特徴的なカイゼル髭を撫でながら、店長の鏑木は笑顔で小春を迎え入れる。
「とりあえず、お客さんの前に出るのはもう少ししてからだから、今は身体を休めてね。息を切らしてお客さんの前に出ちゃうと、お客さんも何があったのかって思っちゃうからね」
「は…はぁ……そう、ですね……」
「本当に大丈夫かい!?」
というのも、小春はここに向かうまでに泥棒を捕まえに寄り道をしたせいで、
来た道を相当戻らなくてはいけなくなった上に途中で道を忘れてしまっており、つまるところ20分以上住宅街の中を全力疾走していたのである。
普通にしていれば歩いていても15分はかからないであろう所を、20分の全力疾走。
一般的な10代の女性に比べて体力がついている方だとはいえ、それでもこれだけの時間の全力疾走は充分に身体に負担がかかる行為だった。
「時間まで休んでおいて。大丈夫、ここそこまでお客さん来るわけじゃないから」
「ひゃい…わかりました……」
カバンに入れてあった水に手を伸ばした時、小春の視界が一瞬暗転する。
「………」
先ほど自分を助けてくれたあの少女が、何者かに襲われる景色だった。
だが、未来視が「一瞬過ぎて」何もかも特定する前に、視界が元に戻ってしまった。
先ほどの全力疾走で息が乱れていたからなのか、あるいは逆に気が抜けてしまったからなのだろうか。
自分では全くわからなかったが、とにかく「得た情報」が少なすぎた。
気にしすぎてはいけないと、息をようやく整えてから制服に着替え、小春は店長の元へと戻ることにした。
「うん、似合ってるよ。まあ、基本的なことは僕が教えるから、肩に力入れすぎないようにね」
「はいっ!」
鏑木の言う通り、ほとんど客は来なかった。元々いた仕事でお金が溜まったので、ほぼ趣味で開いたような店であり、有名になるつもりもそこまでなかったそうだ。
たまに近所に住む人であろう人物が店を訪れることすらあるが、それもほとんど鏑木の顔なじみであるようで、鏑木のことを友人のように呼ぶ者までいた。
だが、小春はかなり緊張していたのか、アルバイトの時間が終わる直前には疲れてクタクタになっていた。
「お疲れ。もうすぐ上がりだよ」
「はぁ……。大変でした……接客って初めてだったので…すごく緊張しますね」
「初めてにしては随分よく出来ていたみたいだけれど…そうだ。そういえば、学校には通ってないのかい?面接の時にも聞いたけれど、随分と入れる日が多いみたいだからさ」
「それが…色々事情ありまして…」
「なるほどね。まあ、深くは聞かないね。従業員のプライベートにまで深入りするわけにはいかないからね」
「そうしてくれると助かります……」
小春はそれ以上、語ろうとはしなかった。鏑木もそれを察していたのだろう。
そろそろ上がる準備でもしようかという所で、喫茶店のベルが鳴る。
そこには、小春が朝出会ったあの黒髪の少女が、もう一人幼い少女を連れて姿を現していた。
「こんにちは。……ん?あなたは朝会った」
「ん?あのバイトの子、紬の知り合いか。見ない顔だが」
「いや、知り合いっていうわけじゃないんですけれど。ちょっと…ね」
幼い少女と、黒髪の少女……紬が、小春の顔を見てそんなことを話し始めていた。何故だかわからないのだが、小春の方はというと少しだけ気分が気まずくなったのか、顔から汗を流し始めている。
「んん!?どうしたんだい!?」
「いえ……朝ちょっと遅刻しかけた時に助けてもらった人でして…鏑木さんはご存知ないですか…?」
「ああ、そうだったのかい。もしかして、まだお礼も言えてなかったとか…?」
「いえそういうわけではないんですけど……」
どことなく気まずかった。というのも、あの時は歳の割に随分騒いでしまったなとか、結果的に全力疾走する羽目になっちゃったなとか、とにかく色んなことが頭の中で渦巻いてしまい、パンク寸前になってしまったのである。
「…うーむ、仕方ないなぁ。小春ちゃん、今日は早めに上がってもいいよ。それに君、緊張していただろう。家に帰って心を休めるんだ」
「は、はいわかりました……」
そう返事をしてから、小春は店の奥へと引っ込んでいった。
「何というか、騒がしい子だったな!紬、そんな面白い子を知っていたなら僕にも教えてくれても良かっただろうに」
「別にそこまでうるさくはしてないと思うけど…それにわざわざたまたま会っただけの人のこと、話すほど暇じゃない」
「いやいや紬の顔を見るなりああなってたからな!もしかして紬のこと怖がって」
「…華月さん。そういうの冗談でもやめてください」
紬が華月と呼ばれた少女の方を睨みつける。一方で、華月の方は「お~、怖い怖い」と、それを気にも留めていないような様子だった。
「しかしここに来るのも久々だな。鏑木君も全然変わってないね。いや、2年ならそんなものかい?」
「華月さんがそれを言うのかい。そっちの子は…同じ仕事場の子かい?」
「ああ、そうだ。この子は凄く優秀でな。まあ…少々頑固な所がある以外はいい子だよ。もっとも、多少手がかかるくらいが可愛いという話もある」
「…知り合いなんですか?」
「大学時代の後輩だ。驚いたか?喫茶店なんてやり始めてるって聞いたから久々に会いに来てやったのだよ。そうだ、ブラックコーヒーを頼もうか」
「ほんっと、見た目だけならそっちの方が娘にしか見えませんもんね。何をしたらそんなに老けないものなんです?あ、私は紅茶でお願いします」
「…特に何をしたっていうわけじゃないのは知ってるだろうに。紬も随分意地悪だな」
「いえ、別にそういう意図はなかったのですが…ん?」
会話を交わしてる最中の紬が、店の奥から出てくる小春の姿に気づく。
「あら、あなたはさっきの」
「あ、ああえっと……」
「別にかしこまらなくてもいいのよ。それと、無事にアルバイト先まで行けたようで何よりだわ」
「あ、はい。そうですね……それと、言い忘れてたことがありまして」
「後で正式にお礼をさせてはくれませんか?」
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