死霊遊戯③

「・・・即死だな」


 ロビーのシャンデリラの真下に創られた血溜まりに沈む慎二郎しんじろうの遺体を検分しながら、柳源治やなぎげんじはそう呟いた。

 遺体から流れ出る血液は深紅のカーペットを赤黒く染め、毒に侵された薔薇を連想させた。

 慎二郎の遺体には無数の傷痕があった。種類はいずれもバラバラ。打撲やら切り傷やら、怪我という怪我のオンパレード。その中でも、特に首の傷が一段と深かった。

 首の左半分の肉がごっそりと無くなり、骨が見えている。その痕はまるで巨大な獣に食いちぎられたようだ。


「死因は失血によるショック死。まぁ、ありきたりだな」


 源治は軽い口調でそう告げた。

 超常的な事象を引き起こす魔術師にとって殺人は珍しいことでもない。

 洸靈会所属の彼等にしてみれば、この程度の殺人事件は日常茶飯事だろう。なにせ、日夜派閥ごとの権力闘争に明け暮れているのだから。

 自殺のような他殺も、他殺のような自殺もこの業界では当たり前のことだ。

 

「大方、先走りで霊瘴を祓おうとしてこのザマだ。礼装が放り出されてるから、何かしらの術式は行使してたんだろうな」


 源治は慎二郎が左手の少し先に投げ捨てられていた水晶玉を指差す。

 確かに、磨き上げられた水晶玉にはかなりの魔力が籠められていて、前日に感じ取った慎二郎の魔力と一致していた。


「慎二郎さんは陰陽課・・・ってことは、陰陽道か神道由来の魔術か」

「空間内に残留する思念から読み取るに、風水を応用した術式で霊瘴の原因を探ってたみたいだね」

「それ、他心通たしんつうの応用か?」

「ご名答」


 得意気な笑みとともに彩愛は首肯。

 高度な魔術の運用に悠真は感心したように小さく口笛を吹いた。


「死因は別にどうでも良いわ。とりあえず、とっととこの死体を消さないと」

「同感だ。ここで警察なんぞ呼ばれちまったら面倒極まりない」


 シルヴィアの意見に源治は同意を示すと、僅かに遺体から離れた。

 刹那。眩い光が周囲を照らす。光の出所はシルヴィアの左手───より正確に言うならば、左手の人差し指に嵌められた大きなルビーが填めこまれた指輪だ。恐らく、その指輪が彼女の魔術礼装なのだろう。


「"我が声はBrave炎にfor転ずるyou"」


 一小節の詠唱。魔術が起動し、業火が顕現する。

 渦を巻く紅蓮は舐めるように慎二郎の遺体を覆い尽くしていき、数秒の後に灰すら残さずに焼却処分する。摂氏にして3000度は下らない火力だ。

 やはり彼女もまた、法政課で熾烈な権力闘争を勝ち抜いてきた魔術師なのだろう。物質界に働きかける術式の組み立て方が恐ろしく滑らかだ。


 (火力に関して言えば、俺のルーンより上。敵対するのはごめん被りたいな)


 悠真は苦笑とともに心中でそう願う。

 業火が失せると、其処には最初から何も無かったんじゃないかというほど綺麗なカーペットが床に敷かれている。

 ────しかし、まあ随分と慣れたなと悠真は自身に呆れた。この業界に足を踏み入れて最初の頃は、殺し殺されの世界に怯えさえしていたのに、今では表情一つ変えること無く死体が処理されるのを見れるようになってしまった。

 かつての自分へ哀愁の念を抱いていると、隣に立つ彩愛が訊ねてきた。


「そういえば、あのスーツの・・・大護だいごさんだっけ?彼は?」

「ああ、あの人なら信夜さんに暗示を掛けてるはずだ。警察に通報でもされたら面倒だしな」


 最も、通報したとしても法政課が圧力を掛けて揉み消すだろうがな、とは口にしなかった。


 ◆◆◆


 甘ったるい香りで満ちた応接室の中、大護と信夜は向き合うように座っていた。


「良いか?この指先を良く見て」

「はい・・・」


 大護の問い掛けに、信夜は虚ろな眼で従う。

 特殊な香料で軽い催眠状態にしているのだ。もちろん、大護は魔術で自身の僅か数ミリ程度の距離内の空気を中和することで無力化している。

 暗示の魔術の下準備、といったところか。普段ならばこんな小細工はいらないし行わないが、この案件では別だ。

 なにせ、特級の魔術資産を獲得できるかもしれないのだ。ならば、少しでも不安要素をなくすべきだ。

 野心を胸に、大護は詠唱を開始する。


「"我に従いチクタク我の声を聞きチクタク我が命に殉じよ世界は廻る"」


 一つの音に、二つの意味を持たせる。

 魔術における詠唱の基礎技術だ。

 大護の指先が、時計の針のように円を画く。


「"汝の定めを我が手に空の時計に

  汝の安寧を剣で示そう砂を詰めよう

  誓いを此処にチクタクチクタク"」


 円は時計周りから反時計回りに。

 それは意識と記憶にかかるカーテン。


「"汝は我。我は汝逆さに廻った砂時計

  手を取り、心を委ねよ砂が溢れて、我が汝に道を示そう世界は堕ちる"」


 ────詠唱が終わり、暗示は問題なく成功した。

 これで暫くの間、彼は正常な意識には戻ってこれない。後は部屋に蔓延する香料を消せば終わりだ。

 大護は短く息を吐き、席を立ち、後片付けを始める。


 その背中に向けられた、獣のような視線に気付かないまま。


◆◆◆


「───ところで、昨日言ってたついで、ってどういう意味なんだ?」


 何気なく、悠真は彩愛に問い掛ける。

 別に深い意図はない。ただ、本当に何気なく気になったから聞いただけだ。


「ん?あー・・・言葉の通りだよ。私はもともとこの館っていうか、近くの街に用があったんだ。で、偶然にも此処の除霊依頼が回ってたから、ね」

「へえ?魔術師なのに、此処の利権に興味はないのか?」

「ないよ。それに、興味が無いのは君もでしょ」


 彼女はなんでもないようにそう指摘し、見事に図星を突いてみせる。

 ・・・他心通で思考を読まれたか?


「言っとくけど、魔術は使ってないからね?」


 どうやら違うらしい。ではなぜ解ったのだろうか。悠真は思考回路を働かせて、


「別に単純だよ。昨日の会談で此処の利権にはあまり食い付いて無かったでしょ。其処から推測しただけ。まあ、図星だったとは思わなかったけど」


 とあまりにもあっさりと、彼女は答えを提示した。


「ああ───でも、確かめないといけないことはあるかな」

「確かめないといけないこと?」


 彩愛は眼を瞑り、僅かに口許を吊り上げる。

 それはまるで獲物を見つけた獣のようで、


「此処にはね、匂いが染み付いてるんだ。とても濃い────鬼の匂いが」


 獰猛に、彼女は笑ってみせた。


◆◆◆


「鬼、か・・・」


 先ほど彩愛が発した一言を反芻しながら、悠真は館の中を歩いていた。

 鬼。その名の通りなら、伝承に語られる幻想種の一角であり、日本でも五本指に入るネームバリューを持つ妖怪だ。

 だが、現代の日本どころか世界において、幻想種はほぼ地上から姿を消している。

 理由は単純。

 人類の進化は科学の発展とイコールだ。如何に幻想種の個々が強大であっても、何億という霊長が知恵を武器に束になってかかれば一溜りもない。

 だからこそ、力ある幻想種たちは人類に狩り尽くされる前に世界に孔を空け、世界の裏側へと住処を移したのだ。

 ───そう、悠真は義母から聞いている。


 だが、彩愛だけではなく信夜すらも此処には鬼が出ると言っている。

 それがどうにも信じられない。

 だって────


「どうなってんだ?此処は。?」


 ───この館から怪異の気配を感じないのだから。


 この館に着いた時から感じ続けている違和感。

 そう、まるで失敗した儀式が中断されずに継続されているような、そんな感覚。

 疑念が脳裏に渦を巻く。此処は何かが変だ。

 思考の海に飛び込もうと、悠真は一度通路の端に寄り、壁に背中を預けた。

 だが。


「ねえ、あんた」


 と玲瓏な声で意識が引っ張られた。

 声の方に視線をやると、其処には。


「あんた、クローディアが贔屓にしてる便利屋よね?」


 ウチのお得意様の名前を呼びつつ、好戦的に笑う紫ドレスの美女────シルヴィア・アーゼリットが立っていた。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る