2
門を潜ると、そこには荒涼とした景色が広がっていた。花壇のほとんどは掘り返され、穴ぼこだらけとなっていた。辛うじて残った緑も、意図して植えたのではなかろう雑草ばかりだ。庭木の類いも引き抜かれており、まるで空襲でもあったかの如き有様だ。
「おい、さっさと行こうぜ」
この光景をすでに見た事のあるケンゴ達は、辺りを見渡す事もなく、屋敷へ向かってすたすたと歩き始めていた。
「何か、あんま怖くないな」
ケンゴが言った。
確かに、薄暗かった坂道と比べると、遮るもののない庭の中は夏の日射しに溢れ、むしろ鬼ごっこでも始めたいくらいの開放感だった。アツシもほんのつかの間恐怖心を忘れ、酸欠気味だった脳へとたっぷり酸素を送り込んだ。
「あ、ほら、あそこ見てみろよ」
ケンゴが指さした先、屋敷に向かって右手奥の塀の一部が崩れて穴が空いているのが見えた。なるほど、あそこから忍び込む計画だったのだ。
しかし、何故門の鍵は開いていたのだろう?
やはり、誰か中にいるのではないだろうか。
辺りを見渡してみる。人影は見えない。隠れる場所などは何処にもないから、少なくとも庭には誰もいないようだ。耳を澄ましてみるが、蝉の声ばかりがうるさくて、自分の足音すら聞こえない。これでは仮に屋敷の中で物音が立てられても、この場所からでは聞こえないだろう。
屋敷の入り口へと辿り着く。どうやらここにも鍵はかかっていないらしい。門と同様、ほんの少しだけ開いた状態になっている。
ケンゴの指示で、マサがドアノブに手をかけた。手前に向かってそっと引く。小さく軋みながら、扉は開いていく。
「ストップ」と、滑り込むのに最低限必要なだけ開いたところでケンゴが制した。
ケンゴ、ジロウ、アツシ、マサの順に、屋敷の中へと入る。
入った先は玄関ホールの様だ。まるで外国映画に出てくるセットみたいだ。
ここも雑然としている。家具は全て運び出されており、壁には絵が掛かっていた後だろうか、四角い白抜きがいくつか並んでいた。床は一面の埃と、木くずや紙くずが点々と落ちている。
「おい、これ見ろよ」
「これ……、足跡か?」
ケンゴが指さした先、床の上には確かにハッキリと足跡が残されている。
「やっぱり、誰かいるんだよ」
「いや、足跡の上にうっすら埃が積もってる。前に忍び込んだ奴のだよ、これ」
ジロウが懐中電灯で照らしながら言った。
「前に、って……?」
「そうだよ、塀が崩れたのはこないだの台風でなんだろ?」
「気付いたのがこないだってだけで、もしかしたら前から空いてたのかもな」
「そうじゃなくてさ、持ち主の足跡かもよ?」
「持ち主?」
アツシの言葉に三人が振り向いた。
「門のところに『売り家』とか『売り地』とかの看板が無かったし、まだここって元の持ち主の物なんじゃない? 持ち主なら鍵だって持ってるだろうし、今日、門が開いてたのだって……」
「すいませーん! 誰かいますかー!」
突然、ケンゴが大声を上げた。
「何だよいきなり!」
「シッ!」
四人揃って口を噤む。
──聞こえるのは蝉の声と、時折聞こえる木々のざわめきのみだ。
「……ほら、誰もいないじゃないか」
ケンゴは自慢げに両手を広げて言った。
「聞こえなかっただけかもよ?」
「すいませーん! すいませーん! 誰か! いますかー!」
今度はジロウが叫んだ。
──やはり、何の返事もない。
「よし、誰もいないな」
「何処から探検する?」
「噂じゃ書斎に出るって話だけどなあ」
「一応全部見て回るか?」
「全部は無理じゃないかな?」
「まあ書斎は行くとして、一階も一応調べてみるか」
「あんまり遅くなると母ちゃんに怒られっから、手分けして探さない?」
「うん、それが良い」
マサの提案にケンゴとジロウが同意した。
「ちょ、ちょっと待ってよ。バラバラになるのは、危ないんじゃないかな?」
「何だよアツシ。やっぱビビってんのかよ」
「いや……、そうじゃないけど……」
「なら手分けして探すんで良いだろ」
そう言ってケンゴはぐるりと中を見渡した。つられてアツシもホールの中を見渡す。
一階は入ってすぐ左右に延びる廊下と、二階へ登る階段の左右にそれぞれ扉がひとつずつ見えた。
玄関ホールから延びる大きな階段は、二階部分に付いたところから左右へと分かれている。二階にも左右それぞれに扉がひとつずつ見えた。
三階もあるようだが、ここからは見えない。
「よし、じゃあマサとジロウは一階を頼む。俺とアツシは二階に行くぞ」
「了解」
「まかせろ」
「アツシ、行くぞ」
言ってケンゴはさっさと階段を上り始めた。
「ちょ、ちょっと待ってよ」
アツシは慌ててその後を追った。
階段に足をかける。立派な階段だ。もう何年も放置されているだろうに、大して軋みもしない。やっぱり、金持ちの家は普通と作りが違っているのだろう。
階段の途中、踊り場のところでケンゴが足を止めた。
「アツシ、俺は書斎の方に行く」
書斎は、噂で幽霊が出ると言われている部屋だ。
「書斎って……」
「そうだ。俺が行く。お前は反対側の部屋を見てくれ」
一人で部屋に行くのは恐ろしくてたまらなかったが、幽霊が出ると言われている部屋に行くよりはましに思えた。アツシは痙攣するように肯いた。
「頼んだぞ」
二階に到着したところでケンゴは右手へ、アツシは左手へと別れた。
ケンゴの足音が遠ざかっていく。
アツシは覚悟を決めた。
極力足音を立てない様、ゆっくりと廊下を進む。
扉の前に立つ。
この部屋は何の部屋なのだろうか。
耳を澄ます……、中から物音が聞こえる様な気がした。外の音だろうか。もしかしたら一階でジロウとマサが立てた音かも知れない。そうでないとしたら……。かぶりを振って恐ろしい想像を吹き飛ばす。
深呼吸。
それからままよばかりに扉を開く──。
部屋の中に、人影があった。
「うわあああああああああああああああああああ!」
叫びながらアツシは廊下を駆ける。そして転げ落ちるように階段を下りる。
「何だよ! どうしたんだよ!」
「な、な、な、何だ何だ」
「誰? 誰かいるの?」
「うわあああ、で、出たのか!? 出たのかよおい!」
皆の声を背中に受けながら、アツシは脇目も振らずに走った。
乱暴に玄関の扉を押し開け、庭へと飛び出す。それでもまだ振り返らず、敷地の外へ駆けていく。門は開いたままだった。坂道を、何度も転びそうになりながら駆け抜ける。足に痛みを感じる。一度ならず何度も捻ったかも知れない。しかし、そんな事を気にしている余裕はない。
麓に着いても、坂で加速した勢いは止まらず、目の前の空き地に突っ込むようにアツシは倒れ込んだ。胸が、肺が痛い。頭がくらくらして、耳がどくどくと脈打っている。
(助かった……)
仰向けになると、夏の夕空が見下ろしていた。
「おい……、アツシ……」
「ちょっとよ……、マジで……、勘弁してくれよ……」
しばらくすると三人が姿を現した。皆、肩で息をしながらアツシを見下ろしていた。マサは声も出ないくらい、苦しそうだ。
「見たんだ……」
仰向けのままアツシは言った。
「僕……、見たよ……」
「見たって……?」
「おい、見たのか? 幽霊……」
「うん……、見た」
「どんなだった?」
「一瞬だったから顔は見えなかったけど……、たぶん、女の人だった」
「おんなあ?」
非難する様な声でマサが叫んだ。
「幽霊は、男じゃ、ないのかよ」
「女の人だったよ。間違いない」
「アツシ!」
ケンゴが勢いよくアツシの手を引き、無理矢理に立ち上がらせた。そしてその手をぎゅっと握って言った。
「お前、やったな!」
「え?」
「すげえよ。噂は間違ってたんだ! 幽霊はさ、女だったんだよ!」
「な、なあ、アツシ、ほんとに見たのか? お、お化けをさ」
興奮した様子でジロウが訊いた。
「見たよ。はっきり見た」
「アツシ、俺、見直したよ」
マサが言った。
「俺も!」
ジロウが言った。
「明日、クラスのやつらに教えてやろうぜ! おい、アツシ、みんな驚くぜ」
ケンゴはアツシの肩を抱いて言った。
何とも言えない満足感と、一気に緩んだ緊張のせいか、アツシは無意識に笑い出した。つられて三人も笑い出した。
やった。
やり遂げたんだ。
今はもう、恐怖なんて微塵も感じなかった。
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