七,佐藤篤志

「ねえ、僕も入れてよ」

 アツシが言うと、ガキ大将のケンゴは鼻で笑った。

「おい、ビビりのアツシが来たぜ」

「入れてやってもいいけどよお、お前、俺達と肝試し行くか?」

 ケンゴの取り巻きの一人であるジロウが馬鹿にするような口調で言った。

「え? 肝試し?」

 その言葉にアツシは思わず一歩退いた。それを見て、ケンゴがまた笑った。

「おい、肝試しって聞いただけで怖いのかよ。ビビりのアツシ、ビビりのアツシ!」

「ビビりのアツシ、ビビりのアツシ!」

 ケンゴの号令に併せてジロウとマサも一緒になって囃し立てた。

「やめろよ。怖くなんて……、怖くなんてないよ!」

「本当か? じゃあ俺達と一緒に行こうぜ」

「……どこに?」

「K御殿だよ。山の上の、お化け屋敷。知ってるだろ?」

 山の上のK御殿。そこに出るというお化けの噂はアツシも知っていた。自分の生まれる前──、父がまだ結婚する前、この辺一帯は工場地帯だった。それは父と祖父が今も勤めるSという会社の工場で、その社長であるKは工場地帯を見下ろす小山の上に屋敷を構えて住んでいた。それが俗に言うK御殿である。その屋敷には今は誰も住んでおらず、空き家となっている。

 そこにはこんな噂があった。


『失恋を苦に自殺した男の霊が、夜な夜な現れては屋敷を徘徊している』


 この町にはアツシが小学校に上がる際に引っ越してきたが、その頃にはもうあった噂なので、昨日今日出来た話ではない。そしてどうやら昔、男が自殺したという話は本当らしい。この新しい住宅地には、アツシの父のようにSで働いている人間が多く住んでいるので、当時の事を知っている大人も少なくないのだ。

 子供達は恐れながらも、屋敷の門のところまで行っては、おっかなびっくり中を覗いて肝試しをしていた。アツシも一度、別の友人から誘われた事があったが、幽霊や怪物といったものがどうにも怖くて仕方がない為、断った。それを笑われて以来、『ビビりのアツシ』とことある毎にからかわれるようになったのだ。

「どうする、行くか?」

「そんなの……、行ったってつまんないよ」

「何だ、下手な言い訳だなあ。怖いなら怖いって素直に言えよ!」

 そう言ってマサがパチンと肩を叩いてきたので、さすがのアツシも腹が立った。

「門の隙間から中を見たって面白くないって言ってるんだよ! 中に入らなきゃつまらないだろ? お化けは屋敷の中に出るんだからさ」

「おうおう、ビビりのクセに強がってんじゃねえよ」

「強がってなんかないよ」

「よし、じゃあ決まりだな。今から行くぞ」

「だから、外から見るだけじゃ面白くないって──」

「バカ。だから、中に入るんだよ?」

「え?」

 ケンゴの言葉に、頭に上っていた血が一気に引いていくのを感じた。

「え、だって、門には鍵が閉まってるだろ?」

「それがさ、塀の裏っ側のところがちょっと崩れてて、そっから中に入れるんだよ」

「う、嘘だあ」

「ホントだよ。だって昨日俺が見てきたんだから」

「……ほんと?」

「おっ、ビビってきたな。ホントだよ。昨日俺とジロウが二人で肝試しに行ったんだ。前にも行った事あったからさ、門の隙間から覗くだけじゃつまらねえ、って塀をぐるっと回ってみたんだ。そしたらさ、あれはたぶんこないだの台風で崩れたんだな、塀にひとがひとりくぐれるくらいの穴が空いてんのさ。さあどうする? 行くか? それとも逃げるか、このビビりアツシ」

 正直に言えば、怖くて逃げ出したい気持ちだった。しかし、アツシにも男としてのプライドがあった。ここまで来て「行かない」とは言えない。

「……行こうぜ」

「よーし、言ったな! ジロウ、マサ、こいつが逃げ出さないようにしっかり見張れよ」

「合点承知!」

 マサが後ろからアツシの両肩へ手を置いた。そしてジロウは左側にぴたりと張り付いた。

「さ、行こうぜアツシ」

 公園の時計は四時を知らせていた。

 八月の太陽は、まだギラギラと燃えるようだった。


 K御殿のある小山は、この住宅地のはずれにある。その辺りはまだ開発が終わっておらず、空き地や草むらが広がっている。山の麓までは、公園から歩いて五分ほど。四人は遠目には仲良さげに、空き地の間を縫って歩いて行く。

「ジロウ、お前ちゃんと懐中電灯持ってきたか?」

「もちろん!」

 ジロウがポケットから懐中電灯を取り出し、ケンゴに向かって振って見せた。なるほど、異常に膨らんだポケットには何が入っているのかと気になっていたが、懐中電灯を入れていたのか。ちゃんと準備をしてきているのだな、とアツシは感心した。

「マサは何か持ってきたか?」

「俺は塩を持ってきたよ! お化けが出たら撒いてやるんだ!」

「よし、良いぞ」

「ケンゴは?」

 気になってアツシが訊いた。

「あ? バカ、俺はこれで充分よ」

 そう言って力こぶを作り、それをパンと叩いて見せた。これはこれで心強いな、とアツシは思った。


 山の麓に着く。山頂の屋敷までは真っ直ぐな坂道を上がっていく。道は左右の森から張り出した太い枝に覆われて、まるでトンネルのような暗さだった。アツシは肌が粟立つのを感じた。マサに肩を押さえられていなかったら、恐らく走って逃げ出していただろう。

「ジロウ、明かり!」

 ケンゴが言うより早く、ジロウは手にした懐中電灯のスイッチを入れた。暗いと言っても夜ほどではない。道の先を懐中電灯で照らしても、薄暗さはあまり変わりないように思えた。

「よーし、行くぞ!」

 四人はそろそろと坂を上り始めた。

 蝉の声がうるさいくらいだ。

 そう言えば、この山にはカブトムシやらクワガタやらも沢山出るそうで、肝試し目的以外の子供達も結構来るらしい。『お化け屋敷のある山』ではなく『カブトムシの取れる山』と思えばずいぶん怖さも軽減されるが、どちらにせよ一人ではとてもじゃないけど来れないな、とアツシは思った。

 風の仕業か、森の中からは時折『ガサッ』とか『パキッ』とか音が聞こえた。聞こえる度に、アツシは反射的にビクッと体を震わせた。その度にマサがクスクスと笑う。

「ビビり、ビビり」

「うるさいな」

「何だアツシ、まだ着いてもいないのにビビってんのか?」

 ケンゴが振り返り、後ろ向きに歩きながら言った。

「ビビってないよ」

「こいつ、ガサッとか聞こえる度にブルってやがんの」

 マサが言って笑う。つられてケンゴもジロウも笑った。

「ブルってなんかないよ!」

「そうか、じゃあアツシ先頭歩けよ」

「え? いや……」

 思いがけない提案に、アツシの足が止まる。

「お? 何だよ、ブルってないってんなら大丈夫だろ?」

「……わかった」

 マサが後ろからポンと背中を押す。

 ケンゴが道を開け、アツシは先頭に立った。

 誰の背中も見えなくなると、今までとは桁違いの恐怖が湧いてくる。ケンゴはさっきまでこんな景色を見ながら笑っていたのか。そう思うと、敵ながらあっぱれという気持ちになる。

「さっさと歩けよ」

 言われて恐る恐る歩き出す。「振り向いたらみんないなくなっていたらどうしよう」などと余計な考えが頭をよぎる。ちらちらと後ろを振り返りながら歩いた。

「おい、ちゃんと前見て歩けよな。転ぶぞ」

「う、うん。みんなもちゃんと、つ、ついてきてよね」

「バカ、俺達が逃げ出すわけないだろ。ビビりのアツシとは違うんだよ」

 麓から小山の頂上までは、子供の足でも十分程度だ。もう半分以上は歩いただろう。何だかもう何時間も歩いているような気がする。緊張で硬くなった体の色んなところが痛んだ。

「お、見ろ、見えてきたぞ」

 ケンゴの声に、ずっと足下を見ていたアツシは顔を上げた。なるほど、傾斜の向こうに屋敷の門とおぼしき影が見えてきた。太陽の明かりが門と塀を照らしていて、アツシにはまるで地獄の出口のように思えた。怖い怖いと思っていた屋敷を見て、少しほっとしている自分がおかしかった。

「あれ? なあ、門開いてないか?」

「え? あ、ホントだ!」

「ちょっと待って、見てくる」

 言ってマサが駆け出した。

 アツシの目にも、もう門はハッキリと見える。なるほど、ケンゴが言うように門にかけられたチェーンが外され、ほんの少し開いた状態になっている。

「ちょうど良いじゃん。こっから入ろうぜ」

「ちょっと待ってよ、誰かいるんじゃないの? 怒られるよ」

 脳天気なケンゴの発言を、アツシは慌てて遮った。

「別に怒られたら謝れば良いだろ? 人間とお化け、どっちが怖いんだよ」

 この状況ではお化けより人間の方が怖いように思えたが、アツシは反論しなかった。何と返しても、ビビりと笑われるのは目に見えていたからだ。怖いのを我慢してせっかくここまで来たのだ。ビビりの汚名を返上せずには帰れない。

「よし、行くぞ」

 先に着いたマサが門を大きく開く。

 成るように成れ、とアツシは心の中で叫んだ。

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