五,岩田裕也

 九月十六日。長かった休みも終わりを告げ、裕也はひと月ぶりに大学へとやってきた。

 最寄り駅から大学へ向かう途中、まるで休みの中に学生の本分を置いてきてしまった様な表情の学生達の中から啓介の姿を探した。

 あの事件の後、何となく気まずさがあって、啓介とは一度も会っていなかった。寂しさも感じなくはなかったが、そもそも毎晩の様に男二人で会っていた事の方がおかしかったのだと、九月に入る頃には思うようになっていた。

 ちなみにその後事件の続報は無く、世間の話題からもあっという間に消え去った。子供が一体誰と一緒にいたのかは謎のままだが、続報が無いという事は特に事件性はなかったという事だろう。裕也はもうすっかり、事件に対するわだかまりは無くなっていた。しかし、啓介はどうだろうか。そう考えると、やっぱり気まずさはなくならないのだった。


 ひとり教室へ入り、辺りを見渡す。啓介はまだ来ていないようだ。

「裕也! こっち来いよ!」

 声のする方へ視線を送ると、慎太郎がこちらへ手を振っていた。

 金崎慎太郎は誰とでも仲良くなれるタイプの人間だ。見た目はお世辞にも格好いいとは言えないが、その人なつっこい性格から、男からも女からも好かれている。学生はある程度グループでかたまるものだが、慎太郎はどこのグループにも属さず、且つどこのグループにも出入りしていた。裕也と啓介は主に二人でいる事が多いが、慎太郎と三人で遊ぶ事も度々あった。

「慎太郎、久しぶり」

「久しぶり! どうよ、この夏、何かあった?」

「いやー、相変わらずよ」

「マジかよ。啓介と?」

「バイト、酒、バイト、酒、の日々よ」

「ありえねー、お前らやっぱ付き合ってんだろ」

 横から口を挟んだのはキヨ──伊丹清志だ。キヨは一匹狼タイプの人間で、あまり人と一緒に行動する事はない。とはいえ人嫌いというわけでもないので、こうして慎太郎と一緒に輪の中に加わってくる事も少なくない。要するに、コミュニケーション能力がやや低め、という事だ。

「マジでバイトと飲みだけだったの?」

 慎太郎がしつこく訊いてきた。

「憐れむんじゃねえよ。まあほぼそれだけだけどさ……」

「ほぼって事はどっか行ったのか? なあ、どっか行ったって言ってくれよ」

 キヨが泣き真似をしながら言った。

「うるせえな……。あー、あれよ……、あの……」

「何だよ」

「お化け屋敷行ったわ」

 良い思い出ではないので黙っていようと思っていたが、他に話す出来事もなかったので、まあ良いか、と裕也は話し出した。

「あの、ほら、T町のとこにお化け屋敷あるじゃん?」

「ああ、あそこね」

「遊園地か何かあんの?」

 慎太郎は知っているが、キヨは知らない様だ。裕也は簡単に例の噂話を説明した。

「で、啓介と二人でそこに行ってみたのよ」

「結局啓介と二人っきりかよ!」

 キヨが笑った。

「どうだった?」

 慎太郎が訊いた。

「どうって?」

「お化け出た?」

「いや──」

「おい、何話してんだよ」

 不意に肩を叩かれ、振り向くと啓介が立っていた。

「啓介、久しぶり!」

「おう、慎太郎。何だ、キヨもいるのか」

「何だとは何だよ。おい、裕也、お前の彼女が来たぜ」

「彼女じゃねえって」

「で、何の話してたんだ?」

「ああ、お前と裕也がお化け屋敷でデートしたって話だよ」

「……そっか」

 啓介の表情がさっと曇る。やっぱり話題に出すべきではなかったと、裕也は反省した。

「で、どうなんだよ。お化け出たのか?」

「いるわけ──」

「いたよ」

 裕也が否定しようと口を開いたところを遮って、啓介が意外な言葉を返した。

「おおっ、マジかよ。どんな? どんなだった?」

「いや、見たわけじゃ無いんだけどさ」

「何だよ、見てないのかよ」

「ああ、でも、音を聞いたんだよ」

「音?」

「誰もいないはずなのに、扉が開く音をさ──」


「なあ啓介。あのお化け見たって話、何だよ」

 帰り道、二人きりになったところで裕也は訊いた。結局、さっきの話は何とはなしに流れてしまい、慎太郎の土産話で盛り上がる事となった。

「言わなかったか?」

「何をだよ」

 啓介は何とも言えない暗い表情で、立ち止まった。

そして、小さく息を吐いて、話始めた。

「あの時の事、覚えてるだろ?」

「そりゃあ、まあ」

「子供達が逃げてった後、俺がお前に『出てきて驚かすのはやりすぎだ』って言ったら、お前出てきてないって言ったろ?」

「ああ。実際にやってないし」

「でもさ、俺、聞いたんだよ」

「何を?」

「お前が立てた『ずる……、ずる……』って音の後に、扉が開く音をさ」

「さっき言ってたやつな。それこそ、アレじゃないの? あの、子供といた誰かがさ、どっかに隠れてたんじゃない?」

「お前、二階に上った時に書斎の扉が開いてたか閉まってたか覚えてるか?」

「書斎? ……いや、どうだったかな」

「子供達が逃げた後、俺が二階に上がった時には、少し開いてたんだよ」

「え? じゃあそこに誰か隠れてたのか?」

 裕也は気味の悪さを感じた。凶悪犯という事はないだろうが、それでも、誰もいないと思っていたところに誰かいたと考えると、何となく嫌な気持ちだ。

「その可能性もあるかも知れないけどさ……」

「いやいや、それしかないっしょ。うわ、マジか。怖っ」

「……俺は、幽霊だと思うんだよね」

 啓介が小声で言った。

「……マジで言ってる?」

「ああ」

「お前、そういうの信じる方だっけ?」

「いや……」

「じゃあ──」

「じゃあ、子供は何で逃げてったんだよ」

 相手が冗談を言っているのでは無いことは表情でわかる。裕也は咳払いをして、啓介に向き直った。

「そりゃ、俺の『ずる……、ずる……』ってのにビビったんだろうよ」

「でも、叫び声を上げたのはその後──、扉が開く音の後だった」

「じゃあその書斎に隠れてた誰かが出てきたんだろ。そりゃ人が出てきたらビビるだろうよ」

「でもさ、誰か隠れてたとして、その後はどうなったんだよ?」

「その後? どっか行ったか、書斎の中に戻ったんじゃない?」

「どっか行ったなら、たぶん俺が音で気付いただろう。子供の叫び声がうるさかったとはいえ、もし階段を下りたなら派手な音がしただろうし」

「なら書斎の中に戻ったんだよ」

「それなら、普通扉くらい閉めるんじゃないか?」

「そんな……、知らねえよ……」

 裕也は啓介の話より、啓介の様子が怖かった。

 こいつは一体何を気にしてるんだ?

 こいつは一体何が言いたいんだ?

 お化け? いるわけないじゃないか。

 何でこいつは頑なにお化けを見たなんて言い張ってるんだ?

「噂の話じゃなくて、あの屋敷で本当にあった事件の事、お前もニュースで聞いただろ?」

「え? ああ……」

「幽霊が出るとしたら、書斎なんだよ。だからあの音は──」

「あのさ、何でそんなにこだわるの?」

 我慢できず、裕也は訊いた。

「良いじゃん。もう終わったんだからさ。忘れようぜ。お前が聞いた音の正体なんてどうでも良いだろ?」

「……俺だって、そう思うよ。でもさ──」

 その時、二人の携帯端末が同時に鳴った。

 どちらともなく画面を見る。

 キヨがSNSに何かアップした通知だった。

「あいつ……」

 画面を凝視しながら、啓介が険しい表情で呟いた。

 通知をタップして詳細を開く。

 キヨがアップしたのは、あのお化け屋敷の噂話と、そこで友人が本当にお化けを見た、という話だった。

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