その後、ニュースから新しい情報を得る事は出来なかった。たぶん、犯人が見つかるまで、詳しい報道は自粛しているのだろう。子供は保護されているとはいえ、追い詰められた犯人が何かしでかす可能性もある。そう考えれば、そもそも「誰かといた可能性がある」と報道した時点で失敗だっただろう。今後問題になるのだろうか。何であれ、もう、自分達には関係ない。そう心に言い聞かせた。


 しかし、啓介は気になって仕方がなかった。

 事件の真相が、ではない。あの時自分が聞いた、扉が開く音の正体が、だ。


 幽霊を信じているわけではない。

 子供のそばにいた誰かも、パンと飲み物を与えたようだ。そんなお化けなんていないだろう。だとすれば、実際に人間がいたわけだ。

その人間が、自分の聞いた音の主だろうか?

 ──そうとは思えなかった。それなら、その後何らか別の音を聞いても良いはずだ。でも、何も聞こえなかった。


 気にしすぎなのだろう。

 気にする必要はないのだろう。


 しかしどうしても、啓介はあの音がなんだったのか、答えが知りたかった。

 たぶん、それがわからないと、心の何処かで幽霊の存在を肯定してしまいそうで怖かったのだ。


 その日の夕方、啓介は半ば無意識に、あの幽霊屋敷へと向かった。

 屋敷へ上る道は、麓のところから警察によって封鎖されており、その周りには数人の野次馬の姿が見えた。皆、何をするでも話すでもなく、番をしている警察の姿を遠巻きに見ていた。その輪の中に加わり、啓介は誰にともなく話しかけた。

「子供と一緒にいた誰かって、もう見つかったんですかね」

 横にいた六十代くらいの女性が、まるで知り合いに声をかけられたかの様に自然に答えた。

「まだ見つからないらしいのよ。怖いわよね。あなたも、近く?」

「ええ、まあ……」

 啓介は笑って誤魔化した。

「その子も──私の知ってる子なんだけどね──誰といたか話してくれないみたいで」

「そうなんですか」

「そうなの。元々……、ちょっと変わったところのある子なんだけどねえ……、普通に、挨拶をしたら返してくれるような子なんだけど……。やっぱり、怖い思いをしたのかしらねえ。可哀想に……」

「そうですね……」

 警官と、ふいに目が合う。

 思わず、目を逸らす。

 まずい、怪しまれただろうか……。

 自分は何もしていない。何も悪くないのに、何故か鼓動が早くなる。

 もう帰ろうか?

 いや、ここで立ち去るのも余計怪しく思われるだろう。

「お化け屋敷の噂は、知ってますか?」

 啓介は、動揺を押し殺すように、何気ない口調で女性に質問した。

「もちろん。『ずるずる』ってあれでしょ?」

「はい」

「あの話もねえ、私が昔聞いた話と全然違っちゃってて、ニュース見て驚いたわよ」

「ああ、僕もニュースで見ました。奥さん、自殺なんてしてなかったんですってね」

「そうよお、私なんか子供の頃からこの辺だけど、今こんな噂話になってるなんて知らなかったわよ。私も当時の事件の話は覚えてるけど──、お屋敷で自殺した方、青木さんって言ってね、私何度かお会いした事があるのよ」

「社長のお手伝いをされてたっていう方ですか?」

「ええ。社長さんと奥様に一人ずつ、お付きの人みたいなのがいてね。社長さんには青木さん、それで奥様には……、ええっと、何てお名前だったかしら。奥様は社長さんよりずっとお若かったんだけど、ちょっとね、お耳が不自由だったから……、だからいつも一緒の女の人がいたんだけど……、忘れちゃったわ。いやねえ、歳をとると……。ええっと、ああそれでね、私は当時U町の方に住んでたんだけどね、その頃この辺は工場地帯でお店なんかないから、ちょっとした買い物でもU町の方まで来ないとなかったのね。それで、その青木さん、ちょっと色男だったもんだから、彼が出てくると女の子達がわざわざ見に出たりしたのよね。私も子供だったけど、友達と見に行ったわ。だからねえ……、自殺されたって聞いて、U町の女の子達は皆哀しんだものよ」

 思いがけない昔話に、啓介の好奇心は刺激された。

「何で自殺されたんですかね」

「さあねえ、私も子供だったし……、当時はまだニュースって言ったら新聞でしょ? あんまり詳しい話は大人じゃなきゃ、ねえ」

「化けて出るって話は当時からあったんですか?」

「ないわよ。あれば『美男子の霊が出る』って、女の子がこぞって見に行ったでしょうね」

「そんなにかっこよかったんですか?」

「そうねえ、当時はそう思ったけど……、最近の男の子はキレイな子が多いから、今見たらどう思うかしらねえ」

「写真とかないんですかね」

「あら、あなたもしかしてテレビの人?」

「いえ、違います違います」

 慌てて訂正する。

「写真ねえ……、当時撮った女の子はいたかも知れないけど、今まで取っておいてるとは思えないわよねえ」

「そうですよね……」

 もし写真があれば、それをあの時屋敷にいた子供に見せる事が出来れば、子供達が見たと思われる幽霊の正体がわかるかも知れない。しかし、それは難しそうだ。

「ありがとうございました」

 啓介は頭を下げてその場を離れた。

 警察の視線が、背中に刺さっている気がして、痛かった。


 少し歩いたところに公園があったので、啓介は一休みする事にした。ここまでバスに乗らず、ぼんやりと歩いて来てしまったので足がひどく疲れていた。


 水道で顔と手を洗い、ベンチに腰を下ろす。

 夏の陽はまだ輝いている。

 額に浮かんだ汗を手の甲で拭う。


 公園では数人の子供が遊んでいた。子供達の親が、遠目にこちらを警戒しているのが見えた。啓介を、例の犯人と疑っているのだろうか。不本意だが、無理もない。あんな事件があったばかりなのだ。


 この中に、あの時屋敷で出会った子供はいるだろうか。

 いや、まだ昨日の今日だ。しかも犯人(誘拐犯がいるとして、だ)はまだ捕まっていない。まともな親なら、今日はまだ外で遊ぶことを許可しないだろう。


(見つかった子供は……、今日までどうしていたんだろう……)


 子供が行方不明になっていたのは一日半程か。この暑さだから、もちろん脱水等体調については心配だが、むしろ誰かと一緒にいたならば、暴行やいたずらといった心配の方が大きい。それについて報道では伝えられなかった。おそらく、そういった事実があったとしても、子供が殺されでもしなければ報道は控えるのだろう。そうあって欲しい。


 自分が今になってようやく、子供の心配をした事に気付き、啓介の気分はさらに沈んだ。


 見上げた夕日は、少し滲んで見えた。

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