昼過ぎ。

 浅い眠りから覚めた啓介は、のそのそとベッドから起き上がり、冷たい水でも飲もうとキッチンへ向かった。

 頭が痛い。

 何か嫌な夢でも見ていた気がするが、思い出せなかった。

 コップに口を付けながら、消していたテレビをつける。

 テレビは、いったいどの層をターゲットにしているのか理解に苦しむような内容のニュースバラエティーを映し出した。

 もう少しまともなニュース番組はやっていないかとチャンネルを変えてみる。


『──ここで速報です』


 お昼の顔と呼ばれて久しいキャスターの声に手を止める。


『一昨日、十六日の午後から行方不明となっていた、K県S市、井上裕樹くん十一歳が、どうやら先ほど、無事警察に保護された模様です。現場からの情報が入り次第、詳しくお伝えさせていただきます──』


 思わず、手にしたコップを落としそうになる。

(良かった……)

 まず、安堵の気持ちがわき上がった。

(俺達は……、何にも悪くないんだよな?)

 次に、不安。

(何にせよ……、助かった……)

 そしてまた安堵と、感情の渦に啓介は立っていられず、その場に腰を下ろした。

 その時、携帯端末が鳴った。裕也だ。

「もしもし」

『ニュース見たか?』

 ああ、やっぱり。彼もニュースを見たのだ。

「ああ、見た」

『俺達、調べられたりしないよな? もう解決って事で良いんだよな?』

「たぶんな……」

 裕也も同じ不安を抱いたようだ。

『無事保護されたって言ってたよな?』

「ああ」

『怪我とかなかったのかな?』

「さあ……」

『何だよお前、不安じゃないのかよ』

「……俺も不安だよ」

 でもこの不安の正体は罪悪感じゃない。自分勝手な、罪の否定だと、啓介は心の何処かでは気付いていた。自分達は、自分達の心配ばかりで、子供の心配なんてひとつもしていないのだ。

『ああ、でも良かった。あっけなく解決してくれてほんと良かったよ。俺さ、結局あの後も寝れなくてさ。こんなのが何日も続いたら、おかしくなるところだったよ』


『先ほど速報でお伝えした、井上裕樹くん保護のニュースですが、現場から詳しい情報が入って参りましたのでお伝えします』


 つけたままのテレビから、女性キャスターの声が聞こえた。

 電話の向こうの裕也も急に無言になる。たぶん、同じニュースを見ているのだ。


『警察からの情報によりますと、裕樹くんは行方不明現場となったところから、少し山を下ったところ、斜面に空いたくぼみの中にうずくまっているところを発見されたそうです』

『昨日の時点では、まだその辺りは捜索されていなかったんですかね?』

 男のコメンテーターが口を挟む。

『現場からそんなに離れていない場所、という事ですので──』

『警察が見落とした可能性もあるんじゃないですかね?』

『それはちょっと現段階の情報ではわかりませんが……。気になる情報もあります。どうやら裕樹くんのそばに、パンの袋や飲み物の入ったペットボトルが置いてあったらしいのですが、裕樹くんは、それを誰かにもらったと、話しているそうなんです』

『え? じゃあやっぱり誘拐だったんですか?』

『本人も、まだ多少衰弱しているとの事で、あまり詳しい話は聞けていないようなんですが、事件の可能性もあると見ているようです』

『まだ小さなお子さんですからね……。トラウマにならないように、慎重に捜査を進めて欲しいですよね』

 若いママタレントが言った。

『そうですね。事件であれば速やかな解決を望みますが、まず第一に、裕樹くんの事を考えて捜査を進めて欲しいですよね』

『裕樹くんに怪我はあったんですか?』

『いえ、少し足を痛めているとの事ですが、目立った怪我や暴行の痕などはないそうです』

『ああ、それだけでもね、ちょっと安心しますね』

『はい。それでも、もし誰かに連れ去られていたとすれば、恐怖であったり不安であったり、そういった、心の傷は計り知れないですよね』

『そうですね──』


(誰かと一緒にいただって?)

 啓介は考えた。

 誰かに連れ去られたとして、それはどのタイミングだったのだろうか。

 考えられるのは、


1,屋敷の中に隠れていた誰かが、子供が屋敷を飛び出す前に連れ去った。


 しかし、これはないだろう。

 子供だって抵抗するだろうし、ましてやあの状況下だ、大きな声で叫んでもおかしくない。それとも、あまりの恐怖から気絶でもしてしまったのだろうか。いや、何にせよ屋敷の中で攫ったというのなら、犯行現場の目と鼻の先にいた啓介が音で気付かないはずがなかった。

 それではこれならどうだろうか。


 2,屋敷のすぐ外にいた誰かが、子供が屋敷を飛び出した瞬間に連れ去った。


 ……これもどうだろうか。

 よっぽど一人遅れて飛び出したならともかく、それなら他の子供達も気付くのではないだろうか。屋敷から離れたところであればなおさらだ。それに、屋敷のすぐそばであれば、自分にも何らかの声や物音は聞こえただろうが、いくら蝉の鳴き声がうるさかったとはいえ、自分は何も聞いた覚えはない。この可能性も低いと言えるだろう。

 それなら──、


『啓介』

 耳元で急に名前を呼ばれ、啓介は我に返った。

『今のニュース、見てたか?』

「もちろん」

『お前、誰か見たか?』

「何処で?」

『お前しょんべんしに外出たろ? そん時誰か見なかったのかよ』

「いや、見なかった」

『どっか隠れてたとか』

「あんな見渡しの良い庭だぞ。少なくとも、屋敷の正面や左右にはいなかった」

 自分が見たのは正面と玄関に向かって左側だけだが、反対側にいたのなら子供達から見えただろう。屋敷の裏手も、塀を越えたところからは丸見えだ。

『そうだよな……』

「屋敷の中に誰か隠れてたって事はないか?」

『いや、それはないと思う。お前が出てった後、俺耳を澄まして待ってたからな』

「何も聞こえなかった?」

『ああ。まあ、相手も俺らを警戒して静かにしてたってならわかんないけどさ』

「塀の外──、森の中に潜んでたのかな?」

『それが一番怪しいよな。子供達がどの時点で一人いないって気付いたのか知らないけどさ』

「確かに。塀を出てすぐ気付いたってなら、塀の中でいなくなったって事だもんな」

『うん……。なあ、俺達には責任、ないよな?』

「お前が犯人じゃないってんならな」

『バカ!』

「いや、マジな話、うちらだって誰か見たわけじゃないんだし、責任もなければ警察に提供する情報もないんだし、無関係だろ」

『だよな。ああ、マジで昨日は終わったと思ったわ。今夜、どうする?』

「今夜は早く寝ようぜ」

『だな。何か安心したら眠くなってきたわ……』

「おやすみ」

『ん』

 通話を切った後も、啓介はしばらく同じ姿勢のまま座っていた。

 ニュースでは先ほど聞いた情報を繰り返している。

 時折ヘリコプターからの、現場の映像が流された。

 やはり、庭に隠れる場所はないように見える。

 という事は、屋敷の中に──。


(幽霊……?)


 そんな考えが頭をよぎった。

 ああ、そうだ。

 あの時の事を思い出す。


 あの時、子供達が階段を上り始めて少しして、


(ずる……、ずる……)


 と、音が聞こえた。子供達も黙って足を止めたので、周りの音は良く聞こえた。

 この引き摺る音は裕也が部屋の中で立てたもので間違いない。裕也も自分がやったと言っていたし、何より、本当のお化けはこんな音を鳴らすはずはない。自分達が聞いた話は、作り話だったのだから……。


(ずる……、ずる……、ずる……)


 音はしばらく続いた。何分も続いた様な気がするが、まあ十秒から十五秒程度だろう。


(ずる……、ずる……、ずる……)


(ぎいっ……)


 ここで──、そうここで、確かに扉が開く音が聞こえた。

 しかし、裕也は自分ではないと言っていた。

 では、やはり誰かが中にいたのだろうか。

 その後、扉を閉める音は聞こえなかった。

(じゃあ、もしかして……)

 自分が記憶している限り、玄関以外で開いていた扉は、書斎の扉だけ──。

 子供達が叫び声を上げて逃げ出したのは、扉が開く音が聞こえてすぐだった。

子供達は……、何か見たのだろうか?

(もしかして本当に……?)

 啓介は自分の考えを振り切るように、テレビの音量を上げた。

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