3
八月十六日。午後五時。
僕ら四人は『お化け坂』の麓に集まっていた。
ユリは早くもおびえて、シンゴの後ろに隠れていた。
「よし、全員そろったな」
シンゴが僕らの顔を見渡して言った。背中には大きなリュックサックを背負っている。たぶん、冒険に必要な道具をあれこれ用意してきたのだろう。彼は行き当たりばったりなところは大いにあるが、時間的な猶予があれば準備は入念に行う方だ。
「ちゃんと準備はしてきたか?」
「えー……、私、何にも持ってこなかった……」
「僕も……」
ユリとユウキがそろって声を上げた。
「何だよ、懐中電灯くらい持ってこなかったのか? タクミは?」
「僕は、懐中電灯は持ってきたよ」
「さすがタクミ」
「あとね、おじいちゃんからこんな話を聞いてきた──」
僕はおじいちゃんから聞いた話をかいつまんで話した。その話に、シンゴとユウキは目を輝かせ、ユリは怖がって耳を塞いでいた。
「その話、ほんとかよ?」
「うん。おじいちゃんが言ってたから間違いないよ」
「じゃあ、今まで女の霊を見たって言ってた奴らは、嘘だったんだな。見てもなければ、行ってもないんだ」
「行ってないかはわからないけど……、女の人の霊を見たっていうのは嘘だろうね」
「よし! じゃあ俺らはしっかり男の霊を見てやろうぜ!」
「見れなくて良いよ……」
ユリが泣きそうな声で言った。
僕等は足取りも軽く『お化け坂』を上っていった。タクミも、屋敷のところまでは行った事がなかったが、この坂までは遊びに来た事があった。この坂の周りの森にはカブトムシがいるので、昆虫採集に来る子供も少なくない。
頂上の屋敷まで子供の足で十分程。特に何のハプニングもないまま、四人は目的地へと辿り着いた。
道は屋敷の前で行き止まりとなっている。そこには大きな門と左右に続く塀とが行く手を阻んでいた。
「で、どうやって入るの?」
堅く閉ざされた門を前に、僕はシンゴに訊ねた。
「おい、ユウキ、説明しろよ」
「うん。お兄ちゃんから聞いた話だとね、ここから右の方へぐるっと回ると、塀の途中に穴が空いてて、そこから中に入れるんだって」
「危なくないの?」
ユリが訊いた。
「お兄ちゃんも僕たちくらいの時に行ったって言ってたし、大丈夫じゃないかな……」
「お兄さんは、お化け、見たって?」
「ううん。何にもいなかったって」
ユウキの答にユリは少し安心したようだった。
「よし、じゃあ探検開始だ! みんな俺の後ろについて来いよ!」
僕らはシンゴ、ユリ、僕、ユウキの順番に一列になって歩き始めた。
門に向かって右手の方へ歩を進める。数十メートル歩いたところで塀の角に辿り着いた。正面と右手には森、左手には塀が続いている。陽はまだ明るかったが、森の中はまるで黒い絵の具をぶちまけたかの様に暗く、陰気だった。僕らは無言で、塀の続く左手へと折れた。
蝉の声が割れんばかりに響いている。
風か、何か動物か、時折森の中からがさがさと音が聞こえた。聞こえる度に、ユリの背中がビクッと震えた。
足下の草は、日当たりが悪いせいか背が低く、歩くのに邪魔にはならなかった。
ふいに、耳のそばを蚊が通り過ぎる。反射的に手で払う。半ズボンから覗いた足には、虫刺され痕が何カ所か見えた。意識すると、痒くなる。足を掻きながらゆっくりと歩く。みんなも同じように、時々手で蚊を払っては、皮膚の露出した部分を掻いている。
しばらく歩くと、ユウキが言っていた通り、塀に空いた穴が見えてきた。
「あれか?」
シンゴが振り向いて訊いた。
「うん。たぶんそう」
ユウキが答える。
近づいて見ると、穴は僕らが潜るには充分な大きさだった。穴は地面から上、僕らの腰くらいの高さのところから頭の上くらいまでのところで空いている。これくらいの大きさなら問題なく上れるだろう。
シンゴが手で触って、穴を調べる。
「よし、崩れてきたりはしなさそうだな。じゃあ俺から行くぞ!」
そう言って穴の縁に手をかけ勢いよく跳び上がった。
「よっ、と……。あ、おい! 引っ張るなよ! 引っ張るなって!」
ユリがシンゴの服の裾を握ったままだったので、危うくシンゴはバランスを崩しそうになる。ユリは慌てて手を離した。
「次は誰だ?」
無事塀の向こう側へ潜り抜けたシンゴが言った。僕ら三人は顔を合わせて、黙った。
「何だよ……。おい、じゃあタクミ、お前来いよ」
「いや、僕は最後に行くよ」
「おいタクミ、お前、ビビってんのかよ」
「ユリはシンゴと一緒の方が怖くないだろ? こっちにいるより、早くそっちに行った方が良いんじゃないか?」
僕が言うと、ユリは小さく肯いた。
「後ろから押さえててね」
「わかった」
危なっかしく塀を上るユリの背中を僕とユウキが支えた。シンゴは向こう側から手を伸ばし、抱き留める様にユリを下ろした。
「よし、次は?」
「じゃあ僕が」
ユウキが軽々と穴を潜った。彼は、運動神経は良い方だ。
「よし、じゃあタクミ」
シンゴが言う前に僕は穴の縁に手をかけていた。僕も運動神経は悪くない。危なげなく穴を潜り、塀の向こうへ軽やかに着地した。
辺りを見渡して見る。塀の中にはだだっ広い庭が広がっていた。庭は、以前は美しい花が咲いていたであろう、今はただ土で満たされただけの花壇がその大半を占めていた。花壇以外の部分は主に石畳になっている。普通は誰も手入れをしなければ雑草だらけになりそうなものだが、不思議と花壇にも石畳にも雑草はほとんど見られない。それが余計に『お化け屋敷らしさ』を醸し出しているとも言える。
遠目には巨大に見えた屋敷も、敷地面積の割には小さく見える。三階建てのその建物は、所々窓が割れたところがあるが、それ以外に目立って壊れた部分はなかった。もちろん、壁のペンキなどは剥がれ落ち、不気味さは十二分に漂っている。
「で、屋敷の中にはどうやって入るんだ?」
シンゴが訊いた。
「行けばわかるよ」
言ってユウキが先頭になって歩き始めた。今日のユウキは少し機嫌が良いようだ。
ユウキ、シンゴ、ユリ、僕の順で屋敷の入り口に向かって歩いて行く。
「怖い……」
ユリが泣きそうな声で言った。その背中は、相変わらず小さく震えていた。
「何だよ。怖がることないよ。大丈夫だって。ユリは俺の後ろに隠れてろよ」
「うん」
寂寞とした庭の景色に特別僕らの興味を引くようなものはなかった。四人は寄り道する事もなく、足早に屋敷へと向かった。
「おい、正面から入るのか?」
ずんずん歩いて行くユウキに向かってシンゴが訊いた。
「うん。入り口のドア、空いてるんだってさ」
「なあんだ」
そう言ってシンゴは駆けだした。その後を泣きそうになりながらユリが追いかける。残された二人もその後を追う。
「おっ、ほんとだ、開いてる」
先に屋敷の入り口へと辿り着いたシンゴが扉を押しながら言った。
ギギギ、と扉の軋む音が聞こえる。
「お前らも早く来いよ」
シンゴが半分くらい開いた扉の隙間から中へと滑り込む。僕らも続いて中へと入った。
──ガタッ。
中に入るとすぐに、何か物音が聞こえた。
「今何か音がしなかったか?」
僕が訊くと、シンゴは鼻で笑って、
「何も聞こえなかったぜ? 気のせいだろ。やっぱタクミ、ビビってんだな」と言った。
「違うってば……、もう、良いよ」
ここは玄関ホールの様だ。開けた空間は埃と黴の臭いに満たされており、床にはごみが散乱していた。ごみは枯れ葉や木の枝、ペットボトルにお菓子の袋、虫やネズミの死骸とバリエーションは様々だった。
玄関側の壁には、扉を挟んで左右に三枚ずつ窓が並んでいる。そのおかげで玄関ホールはあまり暗さを感じなかったが、二階を見上げるとここよりずっと闇が深い。確か噂によると二階の左手の扉が寝室で、右手が書斎だったか。
「よし、じゃあ探検開始だな。何処から見て回る?」
「一階からが良いんじゃない?」
僕が言うと、シンゴは笑って、
「いや、一階はどうでも良いだろ。さっさと二階に行こうぜ」と言って、さっさと二階へ向かう階段へと歩き出した。
「わ! 階段すげえぼろぼろだぞ!」
階段に足をかけたシンゴが叫んだ。
「気をつけて! 怪我したら大変だよ」
珍しくユウキも大きな声を上げる。確かに、少し体重をかけただけで、階段の板は悲鳴の様な音で軋んだ。
「ねえ、もう帰ろうよ」
ユリが非難する様な声で言ったが、シンゴはそれを無視した。
「そうっと歩けよ!」
ギッ、ギッ、と音を立てながら階段を上っていく。
その時──、
ずる……、ずる……。
音が、聞こえた。
僕らは『全体止まれ』の号令を受けたかの様に、ぴたりと足を止める。
ずる……、ずる……、ずる……。
噂に聞いていた通り、死んだ女の人の霊が、この階段へと向かって這いずる音だ。
しかし、その噂は嘘だったのではないのか?
おじいちゃんが言っていた。自殺したのは男の人だったって。
もしかしたら男の人も上手く死ねずに、この階段まで這いずって、そしてここから身を投げて──?
自然と視線が書斎──階段の上、右手の方へ行く。
みんなもそちらを見ているのがわかった。
ずる……、ずる……、ずる……、
ぎいっ……。
小さな音を立てて、書斎の扉が開くのを、僕ははっきりと見た。
「うわあああああああ!」
「お化けだあああああああ!」
「きゃああああ!」
「逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ!」
僕らはめちゃくちゃに叫びながら階段を駆け下りた。途中足下で板が割れる感触がしたが、立ち止まる訳にはいかなかった。
我先にと屋敷の中から飛び出す。
玄関から出て少し行ったところで、シンゴが僕を追い抜いた。後ろから誰かが僕の服を掴んだ。どきっとして思わず振り払いそうになったが、泣き声が聞こえ、ユリだとわかった。
火の輪くぐりの様に、塀の外へと穴に飛び込む。
ユリも、ジャンプ。膝を少し打ったようだ。血が滲んでいるのが見えたが、気づいていないようだ。
「ユウキは!?」
シンゴが叫んだ。
「ユウキはどこだ!?」
──いない。ユウキの姿が見えない。
声もしなければ、塀を越えてこちらへ来ようとしている気配も感じなかった。
「どうする!?」
僕が叫んだ。
「私帰りたい! もう、やだ、帰りたいよ!」
ユキも泣きながら叫んだ。
「ちょっと待て!」
言ってシンゴは穴の中をのぞき込んだ。僕はその勇気に感心した。僕は怖かった。とてもじゃないが、塀の向こうなんて見られなかった。
「いたか?」
「……いない」
シンゴが首を横に振る。
「どうする? 探しに、行く?」
僕は恐る恐る訊いた。膝が震える。自分がこんなに臆病な人間だとは知らなかった。
「やだ、やだ、やだ、私帰りたい!」
「ユリ! ちょっと黙れ! 大丈夫だ、俺がついてる!」
もう一度、シンゴは塀の向こうをのぞいた。
それから深呼吸をし、僕の目を見て言った。
「大人を呼びに行こう」
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