「……、ん、出来た」

「マジか、早いな」

 夜七時半過ぎ。裕也はテレビを見ながら、啓介は裁縫をしながら酒を飲んでいた。裕也が買ってきた発泡酒は疾うに空になり、今はしばらく前に買った安焼酎を水割りで薄められるだけ薄めて飲んでいた。

 啓介がシーツの端を広げて見せる。

「ここ、ポケットになってるから、煉瓦くらいの大きさのものなら入れられるぜ」

「おお、良いな。すごいすごい」

「いや、ここ縫っただけだし」

「よし、これで準備万端だな」

「重しはどうする?」

「砂が良いかな、と」

「ああ、確かに。それっぽい音しそうだな」

「だろ? ペットボトルに砂を詰めて、現地でポケットに入れよう。砂は公園の砂場でちょっと拝借すれば良いだろ」

「ペットボトルのまま入れるより、砂を直接ポケットに入れた方が良いんじゃないか?」

「ならポケットは上にして引きずらないと、こぼれちゃうな」

「だな。取りあえず、現地で試してみるか」

「うん。明後日が待ち遠しいな」

 明日は二人ともバイトの予定がある。啓介は明後日の午前中もバイトの予定だったが、屋敷に忍び込むのは昼過ぎでも早すぎるくらいだろう。裕也が言うにはこの辺の子供達が屋敷へ肝試しに行くのは──伝統のようなものらしく──午後五時過ぎと決まっているらしい。あまり早く行って、来るかどうかわからない子供を待って暑い中隠れ続けるのはごめんだ。

「じゃあ明後日の十五時に。現地で大丈夫か?」

「ああ、大丈夫。場所わかんなかったら連絡するよ」

「よし。じゃあ、明後日の成功を祈って!」

 裕也がテレビの前のクッションに座ったまま言った。

「乾杯」

 啓介はキッチンの椅子に腰掛けたままグラスを上げた。

 焼酎をぐいっと飲むと、手元にあるシーツの黴臭さが再び鼻をついた。

(俺は絶対、こんなもの被りたくないな)

 そう思った。


(……この辺かな)

 八月十六日。この日の天気も快晴。気温は体温に迫る勢いだった。

 バイトが終わって一旦家に帰り、食事を済ませてから、啓介は件の屋敷へと向かった。シーツは裕也が持っている。

 屋敷はバス通りからはよく見えたが、いざ行こうとするとなかなか辿り着く事が出来なかった。屋敷のある小さな山の麓は住宅街で、道は細く入り組んでいる。ようやく小山に着いても、今度は道が見当たらない。獣道みたいなものは所々に見えるのだが、結局小山をほとんど一周してようやく道らしき道を見つけた。その道も、左右に木々が鬱蒼と生い茂り、何だかいかにも「幽霊屋敷に続く道」といった雰囲気だ。

 道の先に屋敷が見えた頃には、もう午後三時を三十分近く回っていた。

「遅いぞ啓介」

 首にかけたタオルで汗を拭きながら裕也が声をかけた。

 坂を上がりきったところに屋敷の門があり、裕也はそのそばに立っている。まるで監獄の入り口のようなその門は、今は鎖で厳重に閉ざされており、そこから入る事は叶わない。また、よじ登れるような高さでもなかった。

「悪い。でもさ、お前、携帯に連絡したけど出なかったじゃん」

「いや、前に来た時は子供だったから知らなかったんだけどさ、ここ、圏外なのな」

「え?」

 言われて携帯端末を見ると、確かに圏外になっていた。

「上り始めたぐらいの時にはまだ電波あったのに」

「な。つか、バス通りからそんなに離れてないのに、圏外とかマジお化け屋敷だわ」

「確かに」

 二人は話しながら屋敷の塀沿いに裏手へと回った。

 屋敷の周囲を囲む塀は、一辺が百メートル以上はありそうだった。煉瓦造りで、所々にヒビが入っている。無秩序に生えた雑草達が、この屋敷の主が不在である事を物語っていた。

 門から見て逆時計回りに進み、最初の角を折れると、荒廃の色はより一層濃くなっていく。とはいえ子供が肝試しに来るぐらいだから、歩くのに危ない程では無い。草の背丈もくるぶしくらいの高さしかない。右手に目をやると、数メートル先は森だ。遠くから見ていたよりずっと深く感じる。まさかこんな町中の小山に熊などがいるはずもないが、昼尚暗い森の姿は、何か人間の本質的な恐怖心を呼び覚ますようだった。

「お、ここだここだ」

 二つ目の角の手前で裕也が声を上げた。

 視線の先には、煉瓦の一部が崩れ、子供ひとりなら余裕で潜れそうな穴が空いていた。

「……思ったより小さいな」

 子供なら余裕だろうが、成人男性の体にはかなり窮屈そうだった。

「確かに。いや、俺も最後に来た時子供だったからさ……」

「まあ、通れなくはないだろ。よし、裕也、先に行け」

「俺?」

「そりゃそうだろ」

「……わかったよ」

 裕也は手に持っていた紙袋──中にはシーツと、砂を詰めたペットボトルが数本入っている──を先に塀の向こうへやると、恐る恐る、穴に体をねじ込んだ。

「……まだ誰も来てなさそうだな」

 肩まで潜ったところで裕也が言った。啓介も耳を澄ましてみる。聞こえるのは割れんばかりの蝉の声だけで、人の声も物音も聞こえなかった。肝試しをしている子供が、そんなに静かでいるはずがない。

「無理に通るなよ。崩れたら怪我じゃ済まないぞ」

「わかってるよ」

 思いの外すんなりと、裕也は穴を通り抜けた。

 続いて啓介も穴に頭を潜らせる。少し肩がつかえたが、大した苦労もなく通り抜ける事が出来た。

「取りあえず、第一関門突破だな」

 塀の中を見渡してみると、屋敷は思ったより大きくはなかった。敷地の大半は庭となっており、今ではただの土のプールとなった花壇が、その多くを占めているようだ。雑草すらほとんど生えておらず、ところどころゴミが落ちている以外は何もないその広々とした空間は、廃墟と言うよりはむしろ、これから何かを建てようとしている土地に見えた。

 屋敷の正面へと回って見ても、その景色は変わらない。門から続く道の途中に、鉄骨だけとなったアーチが三つ、四つ。これらも元は美しい花々で彩られていたのだろうか。そう考えると、ふ、と寂しさがこみ上げてきた。

 建物をよく見てみる。三階建てで、広さは二百平米くらいのものだろうか。普通に考えれば充分豪邸と言えるが、敷地に対してはずいぶん小さく見える。建築には詳しくないので、これがどういった様式の建物なのかはわからないが、前時代的なデザインである事だけは間違いなかった。

「三階建てなんだな」

 啓介が何気なく呟いた。

「そうだよ」

「話には二階しか出てこなかったから、何となく二階建てだと思ってたわ」

「なるほどね」

「で、どこから入るんだ?」

 入り口の扉にたどり着くと、裕也は足を止め、「いや、ここさ──」と言ってドアノブに手をかけ、引いた。

「普通に玄関開くんだわ」


 扉は「ギ、ギ、ギ……」と嫌な音を立てながら、手前にゆっくりと開いた。

 ギリギリ通れるくらい開けたところで手を止め、二人は屋敷の中へと滑り込んだ。

 当然と言えば当然だが、屋敷の中は暗かった。吹き抜けになった玄関ホールの入り口側の壁には八つの窓があったが、曇った硝子では広いホールを照らすのに十分な明かりは取り込めないようだ。

 そして外とは打って変わって、静かで、空気がヒンヤリとしている。まったくもって、いかにもお化け屋敷だ。

「その正面の大階段が、妻が這っていって転がり落ちた階段だ」

 裕也に言われて改めて見てみる。階段は中央に踊り場のある「いかにも」な造りだ。目を凝らして見てみるが、血の跡は見つからなかった。

「一階右手が食堂で、その奥に厨房。左手は、使用人部屋だか客間だかかな。わからん」

「貴族かよ」

「貴族かぶれじゃね? で、二階の右手が書斎で、左手が夫婦の寝室な」

目を凝らして見る。二階はその周囲を階段が巡っており、裕也の言葉通り、右手と左手にそれぞれ扉が一つずつ見えた。

「お前さ、間取りについて詳しすぎじゃね?」

「いや、本当かは知らないけどさ。こう、子供達の間で語り継がれてきた伝説があるわけよ」

「ふーん。で、三階は?」

「知らない。三階に上る階段は半壊してるから、たぶん誰も行った事ないんじゃないかな」

「なるほどね」

「じゃあ行きますか」

 二人は足下に注意しながら二階へと向かった。ホールの床の上には、至る所にゴミが散乱している。お菓子の袋やタバコの吸い殻、煉瓦やネズミの死骸など、種類は様々だ。暗さに慣れてくると、壁や床の落書きが目に付く。どうやら、人の出入りは結構あるようだ。

「ゆっくりな。俺が子供の時でもけっこうヤバい感じだったから」

 階段に足をかけると、なるほど、裕也の言う通り板のしなる感触がした。軋む音も派手だ。慌てて降りでもしたら、板を踏み抜いてしまうだろう。

 恐る恐る、二人は二階へと上った。足下に体重をかけるのも怖かったが、手摺りも大分痛んでおり、そちらに体を預けるのも不安だった。自然と二人はそっと跳ねるような足取りで階段を上って行った。

 踊り場のところで一息。埃と黴の臭いの他に、何かが腐ったような臭いもほのかに漂っていた。死の臭い──、そんな表現が似合うように思った。

「左手の部屋だよな?」

 沈黙を嫌って啓介が言った。

「うん。よし、さっさと行くか」

 二人はまた階段を上り始めた。


 結局、おっかなびっくり三分ほどの時間をかけ、二人は二階へ上がった。そこの廊下も相当老朽化している。ところどころ穴も空いていて、もしもうっかり足でも滑らせたら、最悪の場合大怪我になることも予想された。

「子供が肝試しするには、ちょっと危なすぎるんじゃないか?」

「だよなあ。俺の子供の時の記憶と比べても、こりゃ相当老朽化が進んでるぜ」

「取り壊さないのかな?」

「どうだろうな。何の貼り紙も看板もないけど、土地の所有は誰になってるんだろう」

「ここの主人は事業に失敗して首を吊ったんだろう? なら少なくとも所有権は誰かに渡ってるんじゃないかな」

「まあ、その『事業に失敗して』ってのも噂に過ぎないからなあ。単に引っ越しただけで、この土地と屋敷はほったらかしにしてるだけ、って可能性もあるな」

「まてよ、今更そんな前提から変えるような話するなよ」

「帰ったら図書館かネットで昔の新聞調べて見ても良いかもな」

「実際に事件があったかって? それさ、事前にやるべきだったんじゃ──」

「まあまあ、良いの良いの。大事なのは雰囲気だから」

 そんな話をしながら寝室に入った。

 二十畳近い部屋の真ん中に、フィクションの中でしか見たことがないような、大きな天蓋付のベッドが置いてあった。天蓋のシルクはびりびりに破れ、蜘蛛の巣の上に積もった埃がその裂け目を接いでいた。元は純白だったであろう布団も枕も茶色く変色しており、飛び出した羽毛が床の上に散らばっていた。

そっと天井に目をやる。部屋の真ん中を横切る様に、立派な梁が渡っていた。ここに千切れたロープでもぶら下がっていたら、流石に二人も肝を冷やしただろうが、実際にはそういったものは何処にも見当たらなかった。

 この部屋の床は、階段や廊下と比べると随分心強い感じだ。多少軋むものの、変にたわむような感触はない。

 腕時計に目をやると、短針は「4」、長針は「1」を指していた。予想以上に時間が経っており、二人は少し慌てる。

「よし、じゃあ準備するか」

 裕也が紙袋からシーツと砂の入ったペットボトルを取り出した。

 まずはシーツを広げ、啓介が作ったポケットへ、とりあえずペットボトルをそのまま入れてみる。そして裕也がシーツを被り、引き摺りながら歩いてみた。

 ガガガッ……、ガガガッ……。

「うーん、違うな」

 反り返った床板にペットボトルが当たって「ずるずる」とはほど遠い音を立てた。

「やっぱり砂を直接入れた方が良さそうだな」

 ペットボトルの蓋を開け、シーツのポケットへと砂を流し込んだ。ペットボトルは四本用意していたが、全て入れてもポケットにはまだ余裕があった。

「こんなもんで大丈夫かな?」

 裕也が不安そうに言った。

「取りあえずやってみようぜ」

 ずずっ……、ず……、ずる……。

 今度はかなり理想に近い音がした。

「良いんじゃないか?」

 啓介の声に、シーツを被ったままの裕也が肯いた。

 これで準備は万端。後は子供達が肝試しに来ることを祈るばかりだった。

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