第14話

 訓史が最初に連絡した時は「天候も悪いですし夜明けを待って」との返答だったらしいが、再度連絡したら夜中なのにすっ飛んできた。

 管轄の警察署は小さいから、当然のように警察官は前回と同じだ。前回は第二陣で登場した大澤と若い刑事も、今回は第一陣としてやって来た。

 再び第一発見者となった私にも大澤は驚くことなく、前回同様に離れで一対一の話をする。大澤は木谷から連絡があったことから山の怪に暗がりへ引きずり込まれそうになったことまで聞き遂げたあと、シャワーでは消せなかった手首の痣と爪痕を確かめた。

「今回も、おいぬさまが助けたと?」

「そうですね。ただ今回は、しっかりしろとお叱りになられたような気がします。私はもう、諦めてしまっていたので。あの時遺体が覆い被さってこなければ、今頃はもうここにはいませんでした」

「そういえば、夜に説明会をされると言われてましたね。そこで何か?」

 前回と同じ丸椅子に腰を掛けた大澤は、メモから視線を上げて尋ねる。寝ているところを呼び出されたのか、シャツはしゃんと小綺麗なのに本体がくたびれていた。土気色の顔は皺が深く刻まれ、目元には染みついたようなくまがある。年齢は違うが、離婚前の父をなんとなく思い出す。父は最後まで、私を責めなかった。

「なかったわけではありませんが、それが原因ではありません。私自身の問題で」

「それを、お伺いしても?」

 続けて尋ねた大澤に頷く。限りなくプライベートな事柄だが、下手に隠してまた疑われるのは避けたい。「離婚した」と言っただけで、事件との関連性を疑われたくらいだ。

「両親は私が十歳の時に離婚したんですが、原因は私の拐かしでした。母がその一件で、山の怪やおいぬさまに強い拒否反応を抱くようになって。そういったものに『好かれてしまった』私を、受け入れられなくなってしまったんです。五年ほどの間、自分のせいで壊れていく夫婦関係を見て育ちました。今なら大人として自分を守る考え方もできますが、当時は自分がいるだけで、生きているだけで両親がめちゃくちゃになっていくとしか思えなくて」

 そういえば、この話を他人にするのは初めてだ。胸の内で蟠っていたものを言葉にして出していくのは、自分を俯瞰するような不思議な感覚だった。感情と密着していた記憶が、過去の出来事として整理されていく。

「母が父と私を置いて出て行った時は、寂しかったし悲しかったです。でもどこかで、ほっとする気持ちがありました。母をこれ以上傷つけなくて済むんだなと。今回、腕を引かれながらそのことを思い出したら、助かればまた自分のせいで何かが壊れてしまうような気がしてしまって。それならもう、と」

 おいぬさまの手荒なやり方は、「馬鹿を言うな」と叱りつけているようだった。もちろん私も、頭では自分のせいではないと分かっている。でも心が納得するに至っていないから、いざという時の踏ん張りが利かないのだろう。

「瀬能さんと井上さんは、おいぬさまが罰されたのではなく、山の怪が襲ったのかもしれません。さっき私をどこかへ引きずり込もうとしたのは、人間の手でした。瀬能さんのカメラに映っていた、あの手の主かもしれません」

 まだ痛む手首を擦りながら共通点を挙げると、大澤も頷く。

「あとで、その痣と傷跡の写真を撮らせてもらってもいいですかね」

「はい、構いません」

 非現実と現実をすり合わせるのは骨が折れるだろうが、「あるわけがない」と切り捨てられないのはありがたい。私にとっては、これが現実なのだ。

「井上さんは、何を撮影するために山へ入ったんでしょうね」

「私も、それが気になっているんです。さっき申し上げたとおり、木谷さんにも動機を教えてもらえませんでしたし。批判を添えてネットに上げて、賛同者を集めたかったんでしょうか。井上さんは、私が瀬能さんを殺した殺人事件だと思っていました。説明会でも会長と意見の衝突があって、最後には『これだから因習村は』と吐き捨てて出て行ったんです」

 あのあと気になってネットで検索してみた『因習村』は、うちのようにしきたりが残る閉塞的など田舎を差す言葉らしい。やはり、あまり気持ちのいい言葉ではなかった。

「あなたは、説明会のあとは何を? 井上さんが山に入ったのには気づかなかったんですか?」

 大澤が、視線を引き締めて尋ねる。私が話す時は緊張しないよう穏やかにして、尋ねる時は鋭く切り込む。緩急のつけ方が上手いのは、さすがベテランだ。

「私は説明会からの帰路で津川さんに頼まれて、ここで一時間ほど施術をしました。九時過ぎに母屋へ戻って祖父と夕食をとったあとは、片付けをしたり風呂に入ったりしていて。雨に加えて風も吹き始めていたことくらいしか、外の様子は気にしていませんでした」

 井上が懐中電灯を照らしながら敷地を歩いていたとしても、こちらが外を見ていなければ気づけない。井上が母屋の脇を通り過ぎて行った頃、私は施術の真っ最中だったし祖父はテレビに夢中だったはずだ。

「山は、これからでも登るってのはできますかね。捜索ではなく、ひとまず頂上まで登りながらざっと確かめる程度ですが」

「いえ、夜間はだめです。日が落ちて以降の入山は禁じられていますし、山道がぬかるんで滑落の危険がありますから」

 言い終えてから、集落外の相手には順番を逆にするべきだったと気づく。大澤は理解してくれているようだが、ここの常識を押し出せばまた「因習村」と揶揄されてしまうかもしれない。

「了解です。じゃあ、朝日が昇ればOKですかね」

「はい。朝日が昇ったあとなら、ご自由に登っていただいて構いません」

「分かりました。ちなみに、禁忌はさておいて、この状態の山でも登ろうとすれば登れる方はこの集落にどれくらいおられますかね」

 現実的な路線を探り始めた大澤に、私も付き合うことにする。この時間でも登れるほど山に詳しく夜目が利くのは、山師達だろう。

「現役の山師なら全員登れると思います。御手座だと分家の宗治ですね。杉ノ囲にも数人いますし、上田やそのほかにもいます。移住組の中では津川さんですが、私の施術を受けていたので登れません。あとはこの山をよく知っている私です。ただ、私も施術をしていたので無理です」

「説明会で井上さんと揉めた会長さんは、杉ノ囲の方ですよね? 登れます?」

 絞り込まれた対象に少し驚いたが、訓史には無理だ。

「いえ、訓史さんは山師ではありません。お勤めはしていますが、夜の山は無理ですね。鳥目なので、夜目が利かないんです」

 まるで見えないわけではないが、懐中電灯なしでは夜の集落を歩けない。

「そうですか。じゃあ、会長さんが説明会のあと井上さんを追って山に入ったってのは考えられないことですかね」

「懐中電灯なしでは難しいですね。井上さんの灯りを頼りにするなら、かなり近づかないと無理だと思います。でもそれだと、バレますよね?」

 風の音で足音はごまかせるとしても、さすがに無理があるだろう。

「一緒に登ったんだとしたら?」

「それは……でも、一緒に登る理由なんてあります?」

「それに関しては、調べてみないと分かりません。会長さんには今ほかの者が話を聞いてると思いますが、私もまた改めてお伺いするつもりです」

 大澤の口調は、まるで訓史を犯人に定めたかのようだった。犯人にはなりえない理由を並べたのに、それでも犯人にされてしまうのか。まさか「犯人に仕立て上げる」つもりなのか。胸の音がどくりと鳴り、背筋に冷たいものが走る。

「訓史さんは、説明会で衝突しただけで相手を殺すような人じゃありません。それならもう、ここのじじばば達は全員死んでます!」

 まくしたてるように擁護したあと、知らず前のめりになっていた体を椅子に落ち着かせる。硬めの座面は小さく軋んで受け止め、静かになった。

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