第15話 肉
「きゃー、【咬鼠】が入ってくる」
私は無我夢中で石を押し出したけど、【咬鼠】の頭の侵入を許してしまった。
手に持っているスコップで、【咬鼠】の頭を突くけど、大して効いていないのが分かる。
私は〈段階〉が一つも上がっていないし、病気にかかっているただの女なんだ。
やっぱり、ここで死んでしまうのかな。
〈神様、どうかお助け下さい〉と心の中で祈るしかない。
〈はがと〉も何かを叫びながら、剣を振るっているけど、浅い傷をつけているだけだ。
【咬鼠】は全くひるまずに、徐々に部屋の中へ入ってこようとしている。
私が突いたスコップを、「ガギン」と噛んで凶悪な笑みを浮かべているみたいだ。
突然、【咬鼠】が弱弱しい声で「ヂュウ」「ヂュウ」と鳴きだした。
えっ、首から血が噴き出しているじゃない。
〈はがと〉の方を見ると、不格好(ぶかっこう)なんだけど、力強い一撃を【咬鼠】へ喰らわせている。
〈はがと〉は強いんだ。
〈段階〉が上がってもいないのに、【咬鼠】を倒せるなんて、体格も良いし才能があると思う。
「はぁ、はぁ、やったぞ」
「はぁ、すごいです。首が落ちてます」
それにしても、腕が痛いしとても疲れてしまったよ。
首を断ち切られた【咬鼠】を見た後、私はヘナヘナとその場にへたり込んでしまう。
◇◇◇◇◇◇ 〈はがと〉の視点 ◇◇◇◇◇◇
【咬鼠】を何とか倒すことが出来た。
部屋の入口に偶然頭が挟まったのが、奇跡を産んだのだろう。
〈アワ〉は女の子座りでへたっているし、僕も荒い息がまだ収(おさ)まらない。
ゴロンと転がっている【咬鼠】の頭が、かなりグロテスクだし、噴き出した血の濃厚な匂いが鼻についてしかたがないけど、生きていることに感謝しよう。
はぁー、噛まれなくて本当に良かったよ。
僕はかなり長い間、茫然(ぼうぜん)と座っていたと思う。
「〈はがと〉、この【咬鼠】を解体しましょう。食べ物が手に入ったのよ」
えっ、1メートルもある獣を解体するのか。
でも待望(たいぼう)の食べ物だから、それは食べたいよな。
「僕はやったことがないから、とても出来ないよ」
「そう。私は実習で習ったから、少し出来るわ。でも力がいる作業では協力してね」
「ふぅー、分かったよ」
〈アワ〉はグロ耐性がかなりあるんだな。
それとも【咬鼠】の恐怖が去ったので、猛烈にお腹が空いた可能性もあるな。
僕もそうだから、推測は当たっていると思う。
血まみれの【咬鼠】の頭も、不思議なことに、どうやったら食べられるのかと考えてしまっている。
空腹は最高のスパイスって言うけど、飢餓は何でも食料へ代えてしまうんだな。
昔の人が、猛毒の河豚(ふぐ)とか気持ちの悪い海鼠(なまこ)を食べた気持ちが、少し分かったような気がするよ。
解体は汚れるし血の匂いもするから、肥溜めへ続くトンネルの中ですることにする。
部屋の中に飛び散った【咬鼠】の血は、泉の水でサッと流すことしか出来ないため、当たり前だけどそれほど綺麗にはならないから、これ以上部屋の中を汚したくなかったんだ。
少し肥の匂いはするけど、大量に出る血の匂いで、直ぐに気にならなくなっていった。
それよりは、ムッとするような鉄臭い血の匂の方が、僕には堪らなかったと思う。
血抜きのため〈アワ〉の指示で、太い血管を剣で断(た)つのに、ずいぶんと苦労をされられた。
まるで剣が研げていなかったのだろう。
腹の真ん中を剣で開くのも、上手くいかなくて、食べられる内臓が減ってしまったらしい。
だけど僕的には、内臓をあまり食べたくは無かったから、いっこうに惜しいとは思わない。
それから、皮を剥(は)ぐのも大変だった。
なかなか剥がすことが出来ずに、二人とも疲労困憊(ひろうこんばい)となってしまったので、解体は一時中止として体力の回復を図るため一旦寝ることにした。
命を賭けた濃密な一日だったから、心も身体も疲れきっていたんだろう、僕は直ぐに眠ったようだ。
眠る直前の記憶は一切ない。
朝起きると、昨日以上に猛烈にお腹が減っている。
昨日死にもの狂いで身体を動かしたことと、食べられ物があるためだろう。
でもまだ、食べることは出来ないんだ。
はぁー。
二人で協力して、まずは剣を研ぐことになった。
【咬鼠】の脂肪がベッタリとついて、このままではとても使えそうになかったんだ。
長い時間剣を研いで、気持ち悪さに泣きそうになりながら、やっと皮を剥がすことが出来た。
二人とも大量の汗をかいて、もう座り込むことしか出来ない。
手も服も【咬鼠】の血と脂で、ドロドロになっている。
火打ち石で焚火を作った後、泉で服と身体を綺麗にすることにした。
二人ともこのままでは、あまりにも汚いと思ったんだ。
互いに背を向けて裸になって、服と身体を洗ったのだけど、水だけでは限界がある。
特に服はあまり綺麗に洗えた気がしないな。
はぁー。
それよりも、肉が早く食べたい。
気持ちが悪い解体作業だったけど、飢餓感の方がもっともっと辛いんだ。
皮を剥がれてピンク色になっている、【咬鼠】の背中の部分の肉をそいで、焚火の上で焼いてみる。
肉がジュウジュウと焼けていく匂いが、鼻を刺激してお腹がグウグウと悲鳴を上げているぞ。
ははっ、もう少しだけ待てよ、僕のお腹。
こんがりと焼けたお肉は、それはそれは美味しかった。
噛むと肉汁が口一杯に広がり、良い匂いが鼻へ抜けていくんだ。
あぁ、幸せだな。
この世界へ飛ばされてから、一番美味しい食事だよ。
奴隷には考えられない、とっても贅沢(ぜいたく)な食事だ。
お肉って、なんて素晴らしいものなんだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます