第14話 背中

 僕は返事も出来ないまま、もっとスピードを上げた。

 やっと泉を超えたけど、死ぬほど息が苦しいし、足が乳酸ですごく痛くなってくる。

 【咬鼠】の追いかけてくるスピードはとても早くて、部屋までギリギリ間に合うか微妙な距離だ。


 だけどここで、【咬鼠】に咬み殺されるわけにはいかない。

 奴隷の境遇(きょうぐう)から、やっと脱出出来たんだ、今死んだら、死んでも死にきれないぞ。


 必死に走って、部屋の前に倒れ込むように、何とか着くことが出来た。

 僕は「ぜい」「ぜい」と荒い息を吐きながらも、今度は必死に部屋の中へ飛び込んだ。

 直ぐ後ろで【咬鼠】に大きな歯が、「ガチ」「ガチ」と鳴っていたと思う。

 

 「〈アワ〉、早く退(ど)けろ」


 「きゃー、【咬鼠】が入ってきた」


 先に入っていた〈アワ〉に、つっかえの石を退けろと言ったけど、ちょとだけ間に合わなかった。

 【咬鼠】の大きな頭が隙間(すきま)に差し込まれて、僕達を黄色く濁(にご)った目で見据(みす)えながら、鋭い歯の間から口からもう涎(よだれ)を出してやがる。

 幸いだったのは、〈アワ〉が石を退けようとしたのだろう、隙間がかなり小さくなって首の部分で挟まっていることだ。


 僕は剣を両手で持ち、【咬鼠】へ「おらっ」「コイツめ」って喚(わめ)きながら、振り下ろした。

 〈アワ〉もスコップで「えぃ」「やぁ」と掛け声を上げて、必死に突いているのが見える。

 

 だけど力が弱すぎるので、あまり効果がない。

 最後はスコップを口で咬まれて、「返して」と涙声で叫んでいるぞ。


 それは僕もあまり変わらない。

 剣を叩きつけているのだが、浅い傷しかつけることが出来ていない。

 あぁ、スコップじゃなくて、ツルハシにすれば良かった。

 使い慣れたツルハシならと思ってしまう。

 あの固い〈力鉱石〉を毎日掘っていたんだ、【咬鼠】の頭くらいならきっと粉砕出来るのに。


 僕は剣をツルハシだと思って、柔らかく握り先っぽが最大速度となるように、弧(こ)を描くように振り下ろした。

 ツルハシだと強く思ったから、腕に力を込めるのではなく、腰のひねりと背筋を使うことも意識せずに出来たと思う。

 長年の作業で培(つちか)った、命懸(いのちが)けの技と言うか、習性なんだ。


 僕が振り下ろした想像上のツルハシは、【咬鼠】の首を見事に半分以上切り裂いてみせた。

 【咬鼠】は首から血を噴き出しながら、今度は哀れっぽい声で「ヂュウ」「ヂュウ」と鳴いている。

 僕はそんな声に構うはずも無く、もう一度想像上のツルハシ振り下ろして、首を完全に切り落とすことに成功した。

 これで命が助かったぞ。


 「はぁ、はぁ、やったぞ」


 「はぁ、はぁ、すごいです。首が落ちてます」



◇◇◇◇◇◇ 〈アワ〉の視点 ◇◇◇◇◇◇


 〈はがと〉と一緒に、コケを探すことになった。

 二手に別れて探した方が効率的だとは思うけど、【咬鼠】がいるかも知れないのに、そんな怖いことは出来ない。

 〈はがと〉がいてもどうにもならないとは思うけど、私一人では心細過ぎるんだ。


 〈塔〉の中心と思う方へ、しばらく歩き続ける。

 周りは相変(あいか)わらず岩と枯れ木しか見えない。

 ただ、私は〈どうして平気で歩けるの〉と思ってしまう。

 〈赤星病〉の症状が重くなったはずなのに、どうしてなんだろう。


 不意(ふい)に、微(かす)かな水音が聞こえてくる。

 あっ、右の方にコケがあるんだ。


 〈はがと〉にも水音が聞こえる場所を教えて、何気(なにげ)なく岩を超えた先にそいつはいた。

 禍々(まがまが)しい黄色の目で、私をギロっと見詰めている。


 あぁ、【咬鼠】が本当にいた。


 【咬鼠】は死体なら見たことがある。

 解体の実習で捌(さば)いた時は、そんなに大きいとは思わなかったけど、生きているのはとても大きくて、すごく歯が鋭(するど)くて、すさまじく獰猛なのが見ただけ分かる。

 もう逃げれないよ。


 私は「ひぃ」って息を呑(の)み、身体から力が抜けてしまったらしい。

 腰が抜けて立つことが出来ない。

 怖い。

 逃げなくっちゃ。


 震えながら必死に後ずさりしたら、〈はがと〉に抱えられていた。

 あぁー、〈はがと〉は私を助けてくれるんだ。

 あぁ、私はまだ生きられるんだ。


 〈はがと〉の背中が大きいから、私は安心することも出来た。

 見捨てられなくて良かったと、心の底から温かいものが込み上げて、私はすごく嬉しくなってしまう。

 〈はがと〉は私を背負いながら、すごい勢いで駆けて、泉を超えようとしているところだ。

 私はギュッと〈はがと〉の背中へしがみついて、決してこの背中から振り落とされまいと思う。


 泉が見えた時、後ろの方から「ヂュウ」「ヂュウ」という、【咬鼠】の泣き声が聞こえてきた。

 このままでは、部屋へ帰り着く前に、きっと追いつかれてしまう。


 「うっ、〈はがと〉追いつかれるわ」


 〈はがと〉、頑張ってちょうだい、もう少しなのよ。


 〈はがと〉が必死に走ってくれたので。何とかギリギリ間に合った。

 私は急いで部屋に中へ入り、入口を支えている石にスコップを当てた。

 〈はがと〉が部屋へ入ったら、直ぐに押し出して入口を閉じるためだ。


 「〈アワ〉、早く退(ど)けろ」


 〈はがと〉が怒鳴るように叫んでいる。

 怒鳴らなくても、分かっているわよ。


 私は力を込めて、支えている石を押し出そうとしたけど、その前に【咬鼠】が頭を突っ込んできた。

 コイツは私達の直ぐ後まで、迫ってきてたんだ。

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