第13話 【咬鼠】

 だけどお腹を空かせたまま、水だけを飲んでいる訳にもいかないな。

 体調が少し良くなってきたから、逆に空腹が耐えがたくなってくると思う。


 とりあえず、お腹へ水を入れてから考えよう。

 〈はがと〉がコップで水を飲んだ後、私も飲もうとしてハッと気づいた。

 これは間接キスをしているんじゃないの。

 はぁ、私は何を意識しているんだろう、自分ながら困ったものだわ。


 〈はがと〉がどの方向へ、食べ物を探しに行けば良いかを聞いてきた。

 〈はがと〉はどこからか連れてこられた奴隷だから、塔のことを何も知らないのね。

 私も良く知っている訳じゃないけど、〈見習い巫女〉だから少しは知識がある。


 だけどいくら考えても、詰(つ)んだ状態だよ。


 〈南部連合〉の〈待機所〉は、言わば私が〈赤星病〉にかかって、追い出された所だ。

 〈見習い巫女〉の宿舎を自主的に出た体裁(ていさい)だけど、内実は疎(うと)まれて追い出されたのに近いいんだ。

 とても帰れないし、帰ったら今度は本当に追い出されるだろう。


 〈塔神殿〉も同じだ。

 私が元〈見習い巫女〉だと分かれば、〈南部連合〉の〈待機所〉へ行けと言われるだけだと思う。


 最後に残ったのは、新人の狩場しかない。

 ここは圧倒的に広いから、歩いていればここへたどり着くことになるし、食べ物になるものもいるわ。

 だけどその食べ物の【咬鼠】を、私と〈はがと〉で倒せるとはとても思えない。

 逆に食べ物にされてしまうわ。


 新人の〈見習い巫女〉ならば、〈段階〉が上がった〈先導者〉に守ってもらいながら、〈1段階〉へ上げてもらう場所なのよ。

 〈1段階〉に上がったら、見習いがとれて一人前の〈巫女〉と名乗れるのだけど、それでも【咬鼠】に咬み殺されてしまう人も多いと教わったわ。


 〈1段階〉にも上がっていない私達が、どうこう出来る訳が無い。

 それが可能なら、〈塔〉は今頃人で溢(あふ)れているはずだわ。


 さっき詰んだ状態と思ったけど、ちょっと間違っていたわ。

 前から詰んでいたのが、もう二三手伸びたのに過ぎないんだ。


 恐怖で顔が引きつっているから、〈はがと〉も【咬鼠】を知っているのね。

 「うわぁ」ってなによ、【咬鼠】が倒せないのは、〈はがと〉に言われなくても良く分かっているわよ。


 はぁ、直ぐに栄養不足になるのは分かっているけど、どうしようもないから、コケをまた見つけるしかないんだ。


 ◇◇◇◇◇◇ 〈はがと〉の視点 ◇◇◇◇◇◇


 結局、またコケを探すことになった。

 「水音に注意して」か。

 コケを見つけたのは、僕なんだけどな。


 それにしても、〈アワ〉は普通に歩けるようになったんだ。

 つい先日まで動けなくて、道端にへたり込んでいたのが嘘みたいだ。


 二人で〈塔〉の中の方へ、周りの気配に注意しながら歩いている。

 僕が注意しているは、水音じゃなくて【咬鼠】の方だ。


 あんな凶暴な【咬鼠】からの襲撃が、あるかも知れないのに、水音なんかを気にしてはいられないんだよ。

 それじゃどうして、危険を犯してまでコケを探しているんだと思うけど、あの部屋でお腹を空かして剣を研いでいるのもかなり怖いんだ。

 飢餓感に長く苛(さいな)まれながら、少しずつ死んでいくってことだからな。

 〈アワ〉を疑っている訳じゃないけど、まだ、【咬鼠】が本当にいるとは限らない。


 「右の方から、水音がします」


 〈アワ〉が右の方へ進路を変えながら、僕へ言ってきた。

 この岩の洞窟と言うか、〈アワ〉の言う〈塔の零階〉は、天井から水が滲(し)み出している場所が多いんだな。

 またあのコケを食べるのかと考えながら、ひょいっと岩を超えたら、死が目の前に待っていた。


 【咬鼠】が「ぴちゃ」「ぴちゃ」と舌で、水を飲んでいやがった。


 〈アワ〉は「ひぃ」と小さな悲鳴を上げている。

 僕は恐怖で身動きも出来ず、声も出せずにいた。


 〈アワ〉は腰を抜かしたのか、後ろ向きに僕の方へ這ってくる。

 恐くて【咬鼠】から、とてもじゃないが目が離せないのだろう。

 僕もそうだから、その気持ちは痛いほど良く分かる。


 〈アワ〉のお尻が僕の足へ当たった時に、僕は弾けるように〈アワ〉を抱えて走り出した。

 なぜ〈アワ〉を見捨てて、逃げなかったのかは、僕にも良く分からない。

 何も考えていない、反射的なとっさの行動だったんだ。


 走っている最中に、抱えている〈アワ〉を背中へ背負い直して、僕は全速力で駆けた。

 〈アワ〉が小柄ですごく軽いから出来たことだし、背負っていても驚くほど軽い。


 「あぁ、〈はがと〉、あの部屋に向かって」


 当たり前のことを言うなよ。

 そんなこと言われなくても、あそこしかないだろう。


 【咬鼠】にとっても、突然の出来事だったのだろう。

 僕達へ襲いかかるという、初動が遅れた【咬鼠】を、かなり引き離すことが出来たらしい。


 何とかあの部屋へ、帰り着くことが出来そうだと思ったその時に、「ヂュウ」「ヂュウ」という【咬鼠】の嫌な泣き声が、後ろの方から聞こえてきた。

 まだ泉を超えてもいないぞ。


 「うっ、〈はがと〉追いつかれるわ」


 五月蠅いな。

 嫌になるほど分かっているって、黙らないとここへ置いていくぞ。

 僕は返事も出来ないまま、もっとスピードを上げた。

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