第40話 恐怖と信頼


 木々がなぎ倒され、或いは消し炭となって開けた大地となった森の真ん中で、黒い翼の少年が空を仰ぐ。


「ユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイ――」


 堰を切ったように少年の口からこぼれだす無機質な殺意。それは嵐のように渦巻き、空に向かって吹きすさぶ風が彼の黒い炎を天高く舞いあげる。


「な、なんで……あの人は死んじゃったのに……」


 その光景を見上げたエレナは怯えていた。


「ユーリ……」


 彼女が見る森の中心部。そこにいる少年がユーリなのは間違いない。しかし、彼女の知る白髪紅瞳の子供はそこにはおらず、何もかもが黒く染まった何かとなり果てていた。


 そんな少年が空へとまき散らす炎は、勇者チナツの体すらも消し飛ばした猛火だ。幸い、風向きの関係でそれらがエレナたちのところへと飛んでくることはないが――もしも上空の風に乗れば、炎は森の外へと飛んでいくことだろう。そしていずれはハドラへと届く。


 あの炎が、ハドラに。


「だめ!!」


 その事実に気づいたエレナは叫んだ。


「もう敵はいないよユーリ! 戦いは終わったの! だから、だから――もうやめて!!」


 下手に動けば舞い落ちる炎に体を消し飛ばされてしまう。だからといって、この状況をただ見ていることしかできない彼女は、それでもこの声が届くことに願いを込めて叫ぶ。


 だが、届かない。


 黒く染まったユーリに、彼女の声は届かない。


「なんで……ユーリ!!」


 悲痛に叫ぶエレナ。だが、次々と風に乗って空へと舞い上がってく炎を止めることはできない。


 高く、高く。空高く、死の炎は飛んでいく――


「……クルエラ!?」


 その時、ぼうっと立っているだけだったクルエラがユーリの元へと走り出した。今もなお舞い上がる炎の中へと走る彼女を引き留めようとエレナは叫ぶが、クルエラは止まらない。


 ふらふらとした足取りで、力なく彼女は走る。


「だめ!!」


 そして、クルエラが黒い炎へと突っ込んだその時だった。


 不思議なことに、炎はクルエラを燃やさなかった。


「……あ」


 それを見たエレナは悟った。どれだけ姿が変わっても、あの黒い少年はユーリなのだと。自分がよく知る、優しい少年なんだと。


 そう思った瞬間、彼女の足もまたユーリの下に走り出していた。


「ユーリ!」


 クルエラの背中に追い付いたエレナは、彼女の手を取りながらもユーリに向かって叫ぶ。そして、彼の下にたどり着くと同時に、その黒い体を抱きしめた。


「もう、大丈夫! 戦わなくていいの……!!」


 恐怖はあった。その体は、チナツの半身を削り取った恐るべき炎を纏っているのだ。それでも、エレナに迷いはなかった。ユーリがそんなことをするわけがないと、信じていたから。


「ゆーり……」


 そんなエレナに倣って、クルエラもユーリの体を抱きしめる。


「あなたは、わたしを、すくってくれた……だから、もう……くるしまなくていいの……!!」


 ない力を振り絞った彼女の言葉が、ユーリの耳へと囁かれる。


 その言葉は。


「あ……」


 二人の言葉は。


「あ……が……ば……」


 抱きしめられながらも、右手を上げるユーリ。その手には魔力が込められている。それが、ユーリを止めようとしている二人に向けられて――


「――パ、〈パニッシュ……スタン〉」


 バチリとした電撃が、ユーリの頭を打ちぬいた。


「な、なに!?」


 それは、かつてユーリが作り出した魔法。だけの魔法である。それを発動した彼は、ぐったりと力を失い気絶したかと思えば――


「っ痛ぅ……ったた……やっぱりこの魔法は使うべきじゃねぇな」


 空に舞い上がった炎共々、全身に広がった黒を失いながら、ユーリは正気を取り戻した。

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