第38話 黒翼の天使


 エレナは目を疑った。


 突然胸倉を掴まれたかと思えば、その瞬間思いっきりぶん投げられた彼女は、幸運にも牡牛たちが描く殺戮の円陣の外側へと着地した。


 そこで彼女が見たのは、これでもかと同胞の後を追ってユーリの元へと突撃していく牡牛たちの姿。十匹、二十匹と立て続けに飛び込んでいく彼らは、さながら死を恐れぬ特攻兵。いの一番に飛び込んだ牡牛は、今頃仲間たちに押し潰され、死んでしまっていることだろう。


「ユーリッ!!」


 その渦中にいるユーリもまた然り。メキメキベキベキと不吉な音を立てて積み重なっていく肉塊は、辛うじて元の牡牛の原形をとどめておきながらも、明らかに死体の山としか思えない形状へと姿を変えている。


 それを見たエレナは、とてもじゃないがその中心にいるユーリが生きているとは思えなかった。


「なん、で……なんで!!」


 彼女は叫ぶ。


「一緒に冒険するんじゃなかったの!? 海に行って、山を越えて、魔物を倒してさ! 一緒に……一緒に……うっ、うわぁああああ!!」


 溢れた感情が涙になってエレナの瞳からこぼれだした。その横では、クルエラもまた何が起きたのか理解できないような表情で、呆然と立ち尽くすことしかできずにいた。


「あはー……さて、あっちの面倒くさそうなクソガキを殺したし、あんたたちはどうやって殺してあげようか」


 そんな二人の前にチナツが降り立つ。恍惚とした表情を浮かべる彼女は、二人を見下ろして言う。


「そっちの小うるさいガキは生きたまま皮を剥いで見世物にしてあげよう。んでもってそっちの家畜は、飢えに飢えたところで耳と胸と尻をはぎ取って食わせてあげよう。それが一番いい。私って天才!」


 虚仮にされた怒りを発散するように、眼前の二人の処刑方法を思い浮かべるチナツ。彼女が語るそれは、聞くだけでも身震いしてしまうほどに残酷で恐ろしい。


 そして、このままではその未来は確実に訪れてしまう。クルエラは元より、エレナに勇者のような怪物を相手にする力なんてないのだから。


 されるがままに命を散らすほかないのだ。


「ああ、でも」


 ハルバードを構えたチナツは、舌なめずりをした。


「我慢できない!!」


 ハルバードを振り上げた彼女は、他者を蹂躙する欲求に駆られて、今しがた口にした予定のすべてを忘れてエレナへとその切っ先を向けた。


 彼女にとっては、エレナなんてどうでもいいのだ。生きてようが、死んでいようが。人を殺すという刹那的な快楽を満たしてくれるのならば、どうでもいい。


「やぁ、やだ……」

「叫びなさいよ!」

「やだ、やだぁぁああ!! 死にたくないよ!! ユーリ、ユーリ!!」

「アハハハハハ無様無様! 爽快! じゃあ、死ね――」


 そしてハルバードは振り降ろされた。


「……え?」


 しかし、そのハルバードの切っ先がエレナに届くことはなかった。なにしろ、チナツが振り下ろしたハルバードには切っ先など存在しなかったのだから。


「な、なにこれ……!!」


 先ほどまで半月型の刃が付いていたはずのハルバード。しかし、今はただの棒きれと化して、チナツの手に握られている。いったい何が起きたのか。それを理解するよりも早く、新たなる異常がチナツへと襲い掛かった。


 ドン、と。


 彼女の背後で、ユーリを押しつぶし積み重なって肉塊となっていた牡牛の体が爆発した。


 同時に舞い上がる粉雪のような何かは、灰になった牡牛の肉片。


 それが、ひらひらと爆風に乗って空へと舞い上がり、辺り一帯へと降り注ぐ。その中心地には、一人の少年が立っていた。


 真っ黒に染まった衣服を身に纏った、白髪紅瞳の子供。魔人族の中でも混血に現れる凶兆の角を携えた少年。


 しかし、その少年の姿は先ほどとは全く違うモノになっていた。


「なによ……それ……」


 質素な旅装に身を包んでいたはずの彼が身に纏っているのは、小さな彼をすっぽりと覆い隠す影を編み込んだような黒い外套。


 絹のように綺麗な純白の白髪は毛先に行くほどどす黒く染まっていき、影がかかって表情を伺えない顔には二つの赤い瞳孔がキラリと光っている。


 魔人族を示す片角は見たこともないほど鋭利な形へと姿を変えて、尚且つ天に反旗を翻すようにその威容を増大させていた。


 何よりも、その背中には黒い翼が生えていた。影を掬い上げたような暗黒に染まった炎によって構成された、新月の夜のように真っ暗な翼が。


「……天使」


 ぼんやりと、すべてを見ていたクルエラはそんなことを口走った。


「何が天使だ!!」


 それを否定するように、チナツが叫ぶ。同時に、彼女の怒りに触れたクルエラを咎めようと、かつてハルバードだった棒切れが殺人的な攻撃としてクルエラへと振りかぶられるが――


「あがぁ……!?」


 クルエラへと棒切れが振られようとしたその時、棒切れを握っていたチナツの右腕が消し飛んだ。


「なによ、なんなのよ!!」


 ハルバードに続いて、どうして自分の腕が消し飛んだのか。その原因なんてわかり切っている。


「なんなんだよお前は!!」


 あの子供だ。牡牛たちの波状攻撃で殺したはずの子供が何かをしているに違いない。だからこそ、蹂躙対象のエレナたちを捨て置いて、チナツは黒い子供を睨みつけた。


「殺してやる!!」


 怒りを浮かべてチナツは叫ぶ。


「コロシテヤル」


 怒りに呼応するように、黒い子供もまたそう呟いた。

 


 

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