第29話 雷鳴と黒衣


 天気は快晴。


 草原の町ハドラの劇場広場には、普段の街並みからかけ離れた大勢の人間が集まっていた。


 というのも、今日はとあるイベントがある。


 獣人族ビスタスが処刑台に上るこの日、なんとあの救国の英雄である四人の勇者のうち一人がこの町に訪れるのだという。


 何にもない町だから、こういった娯楽には目聡いハドラの住人である。安全圏から罪人の処刑を見るもよし、噂に違わぬ勇者の美貌を見物するもよし。


 とにかく一見の価値ありと、地上から三メートルはあるだろう処刑台の下に、他の町からも人々は集まっていた。


「お、結構集まってるなー。テンション上がるぅー!」


 それを劇場広場近くに停めてある豪奢な馬車の中から見下ろす女性が一人。彼女こそが、かの勇者の一人。明滅の勇者チナツである。


 10年前に異世界に降臨してから数々の戦線で活躍した彼女は、その二つ名をもってして今は蒼国シグルガルドをはじめとしたさまざまな国を巡っている。


 そして、見つけた亜人を狩って回っている。


 それはなぜか。


「あ~……滅茶苦茶承認されてる~♡ 幸せ~♡」


 その行いが正義だからだ。


 正義とは肯定されるものだ。悪とは否定されるものだ。


 故に巨悪を滅する正義として振舞い、彼女はその一身に肯定を集めている。それこそが、彼女の自己表現なのだから。


「ねぇ、もう殺しちゃいたいんだけど。殺しちゃっていい? ねぇねぇ殺してもいいよね? 殺すの我慢できないんですけど~……殺すよ?」


 そう言いながら、彼女はを蹴った。


「う、ぐっ……」

「はー何そのスタイル。確か獣人族のでっかいコミュニティってもうなかったはずなのに、なに食ったらそんなにいい感じのプロポーションになれるわけ? 嫉妬しちゃ~う♡」


 苦痛にうめくそれを見て、彼女はまくしたてるようにそう言った。それからもう一度蹴り、嗜虐欲を満たす。


「はぁ~♡」


 恍惚とした表情で弱者を見下ろす彼女は、処刑の時が来るのを今か今かと待ち望んでいた。なにしろ、その瞬間こそが最も注目を集められるのだから。


 大悪を処し、正義の勇者として立つその姿に、民衆は熱狂する。


 だから、彼女は処刑が好きだった。自分から、こうして亜人の残党を見つけ出し、処刑するほどに。


「チナツ様。お時間です」

「待ってました! それじゃあ、先行ってるからいい感じによろしくにゃん♡」

「はっ! 今日もお美しいくございます!」


 使用人から処刑開始の時刻が迫ることを聞いた彼女は、馬車から飛び出したかと思えば、足早に処刑台の上に立った。


「お待たせー! 勇者チナツだよ~♡」

「「「「うおぉおおおおおお!!!」」」」


 拡声の魔法を使った大声で彼女がそう言えば、観衆からは大歓声が上がった。あれがかの高名な勇者チナツか。素晴らしい美貌だ。なんというプロポーションだ。エトセトラエトセトラ。


 そんな自分をほめそやす声を聞いて承認欲求を満たす彼女は、顔がとろけそうになるのをぐっと堪えて演説を続けた。


「今日集まってくれてありがとー! 今日はね、獣人族ビスタスの処刑をするんだー! みんな、獣人族ビスタスについては知ってるよね!」


 まるでアイドルのライブのようなマイクパフォーマンスをする彼女だが、ここは異世界で場所は処刑台の上だ。MCをするには少々物騒過ぎる気がするが……彼女にとっては些末な問題だ。


「そう、こいつらがいると家畜も人もが殺されるんだよ! そもそも獣っぽい人とかそれ完全に魔物じゃん! そんな奴が隣に居たら全然安心して眠れないっつーの! だから、殺しまーす!」


 無茶苦茶だ、だなんてこの場の誰も思わない。何しろ、ここに集まるのは魔人族や獣人族の話を風聞でしか聞いたことのない若者たちであり、国が流布する悪評を真実だと思う人間ばかりなのだから。


 だから、悪が死ぬのは大歓迎。スプラッタを安全圏から見れるなんて興行ならなおさらだ。


 そもそも、人が死ぬところを見たくない人はこんなところに来ていない。だから、自然とこの場には処刑を望む声しか上がらなかった。


 ……彼らは、今から処刑されるそれを、人とも思っていないけれど。


「それじゃあ、主役の登場と行きましょー!」


 そんなコールとともに処刑台の上に現れたのは、獣人族の少女であった。恥部を辛うじて隠せる程度の布切れを纏い、後ろ手に拘束された状態で、彼女は観衆に晒されている。


 薄汚れた灰色の汚らしい髪を風に揺らし、その頂点にはかつては誇らしげに反り立っていたであろう獣のような耳がへたりこんでいる。


 彼女こそが、勇者によって住処を追われた人型種族の一つ、獣人族の生き残り。


 だからだろうか。ひどい迫害の痕が、露出した肌のあちこちに見て取れる。痣はもちろん、ひっかいたような切り傷や擦り傷に塗れ、その表情はまるで死人のよう。


 特に、獣人族の際たる特徴である獣のような耳と尾は、片耳がそぎ落とされ、しっぽは根元から切り取られていた。


 そんな彼女は、うつむいたまま劇場広場の真ん中を歩き、処刑台を登りきる。


「さあさ、皆さんご覧あれ! この薄汚い獣人族の死にざまを! こんなに醜い生まれだけれど、最後は花を持たせましょー!」


 チナツの大声にびくりと獣人族の少女が怯えるように肩を揺らした。しかし、誰もそんなことを気しない。


「華々しく――散りなさいな!」


 どこからともなくチナツが取り出したのは巨大なハルバード。それが空を突くように振り上げられ、獣人族の少女に向けて振り下ろされる。


 その、時だった。


「〈ケラノウス〉」


 突如として処刑台の上に稲妻が落ちた。あらゆる流れを断ち切るようなそれは、獣人族の少女が処刑される瞬間を心待ちにしていたあらゆるものを驚愕させる。


 しかし、それ以上の驚愕が彼らへと無慈悲に襲い掛かった。


「例えばさ」


 処刑台の上には黒があった。


「昼間の仕事が夜まで終わらなくて、結局夜明けまでやったとしてよ。その後にコーヒーを飲んだ時に思うんだよな。生きててよかったって……別に、生きてやりたいこととかあるわけじゃないくせに。未来に希望があるわけでもないくせに」


 勇者チナツはこの国最強の戦士の一角だ。いくら不意打ちとはいえ、稲妻を直に受けることはなく、寸でのところで処刑台の上から退散して回避していた。


「そんなもんだから俺は思うんだよな。生きててよかったってのは、夢見る明日があることに安堵してるんじゃないって。辛い過去が報われたことを確かめるために思うもんなんだって」


 チナツは驚いた。しかし、それよりも憤っていた。自分が目立つ最高の瞬間を台無しにされたことに。


 その怒りに任せて、再び処刑台の上に飛び乗れば――下から見えていた黒の正体がくっきりと見えた。


「だからさ、奪うなよ。俺たちから、今が報われたと思える時間を」


 それは黒衣の子供だった。


 真っ黒な衣装は影をそのまま引きはがして身に纏ったように暗黒で、一切の光を通さない仕上がり。そんな影で顔まで覆いつくした、子供。


 その頭には、混血の証である片角が雄々しく聳えていた。


「悪役の登場だ。復讐しに来たぜ、勇者チナツ」

「はぁー……これだから場違いなガキは嫌いなんだよ……絶許」




 

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