第27話 憤慨と使命
目を疑った。
酒場の壁に貼り付けられた張り紙。そこに書かれている内容を理解した瞬間に、周囲の雑音の一切が消える。
足元がぐらついた。まるで穴にでも落ちているようだ。今、自分が立っているのか座っているのかすらわからない。
わかることは一つだけ。
「なんだよ……これ……」
俺は怒りを抱いている。
『三日後、15時に第二演劇広場にて
獣人族、とはしなやかな体に強靭な肉体を持った人型種族の一つだ。それの処刑が行われると、ここには書いてある。
だが、重要なのはその書き方。“罪人”ではなく“獣人族”を処刑するという内容。これを見て、俺はある男の言葉を思い出した。
『子供の
母さんを殺したアドベルが言っていたあの言葉。これはまさにそれだ。獣人族を殺すことを強くアピールしておいて、隠れた仲間をあぶりだそうとしている。
吐き気がする。
魔人族だけじゃなかった。
獣人族までも。
いや。
違う。
これはきっと人間以外に行われる迫害だ。
人間以外を認めない、人間たちによる業。魔人族の国を滅ぼしたように。きっと彼らは、魔人族以外も滅ぼすのだろう。この世界を、人間だけにするために。
なによりも――
「……」
この酒場に居る人間の誰しもが、この張り紙を黙認してる。それが俺はどうしても許せない――
「変な気を起こすなよユーリ」
「ッ!?」
いつの間にか張り紙に近づいていた俺が、酒場に居る人間を睨むようにぎろりと振り返ってみると、そこには酒瓶を片手に持ったバラズさんが立っていた。
彼は忠告するように言う。
「今お前がここで何かをやろうとして、仮に衝動のままに何かをしたとしよう。それで、あとには何が残る? 誰も幸せになりゃしねぇよ。冷静になれ、ユーリ」
「っ……いや、そうじゃなくて……」
確かに、怒りのあまり衝動的になっていたことは認めよう。それを止めてくれたことには感謝しよう。
だが――
「どうして、俺のこと……」
「ああ? お前の隠し事についてか? はっ、なめるなよユーリ。これでも俺はギルド長で、元白金等級の冒険者だぜ。お前が何を隠してるのかは知らねぇが……頭の辺りに、霧魔法で幻影を張ってるのぐらいは見抜けるに決まってんだろ。隠し物の在処は、ちょうど右側頭部あたりだな」
「ッ!!」
気づかれていた? 何時から?
もしや、あの時――初めて出会ったあの時、俺のことをまじまじと見つめるあの視線は、それを見抜こうとしていたから?
「安心しろ。このことは俺しか知らねぇし、お前をどうこうしようとは思ってねぇよ」
「……なんで?」
「なんで、だって? はんっ、そんなもん決まってる」
ぐびりと、片手に持った酒を飲みながら彼は言う。
「悪い奴じゃねぇからだ」
ぞくり、とした。
怖かったからじゃない。
違ったから。
俺たちを一方的に悪と罵ったあの男たちとは違うから。
「エレナが連れて来た時は驚いたがぁ、まあなんてことはないガキだったからな。ガキ同士の喧嘩でムキになって、いっちょ前に女の子の前でかっこつけたがる。そんだけの奴を、どうして憲兵に付きつけなきゃならねぇ」
「いや、でも……人間にとって……人間以外は――」
「そりゃここ最近の常識だ」
「……」
……やっぱり、か。
「最近つっても広まったのは二十年かそこらか? あんときから、貴族の亜人排斥派の勢いが強くなって、しかもそいつらが勇者なんつー武力まで持っちまったから手が付けられなくなったんだな。んでもって始まったのが、魔人国をはじめとした亜人諸国への手当たり次第の征服行為。国内の亜人の迫害、奴隷化。挙句の果てには思想教育……その結果が、これだ」
これ、と言って指差されたのは、先ほど俺が見た張り紙だ。
「『人間擬きの営みなど、種の一つに至るまで根絶やしにせよ』……ふざけた話じゃねぇか。これでも俺には10年前まで亜人の友人がいたんだぜ? そんな奴を、どういう顔で殺せばいいってんだ」
「バラズさん……」
その心境を、俺は察することができない。俺は魔人族で、この世界には疎いから。人間として、何十年とこの世界に生きてきたバラズさんの悲しみを、俺は察することができない。
それでも、彼が俺の母さんを殺した連中と違うことだけははっきりとわかる。
「だが、助けに行こう、だなんて思うなよ」
「な、なんで……」
「相手が悪い」
助けに行くな。その言葉に対する俺の疑問に、バラズさんはこう続けた。
「これは国が取る政策の一つだ。もちろん勇者が関わってくる。魔人の国なんて一大勢力を滅ぼした英雄が、だ」
ごくり、とその言葉に俺は唾を呑んだ。
勇者が、来る。こんなに早くも、勇者に会える。
「それに、あいつはどうするんだよ」
「あいつ……」
勇者に会える。そう思って高揚した心は、しかしバラズさんのその一言で途切れた。彼が指差したほうを見れば、そこにはとある少女がいる。
銅等級冒険者になれたことを、心から喜ぶ少女が。
「エレナ……」
「あいつはようやく夢だった冒険者の道を走り始めたんだ。その一番最初のパーティーメンバーが、いなくなったら酷だろう」
ああ、そうだ。
今の俺には、エレナがいる。
もしも俺がこの処刑に関わり、獣人族を助け勇者と対峙したとして。死のうが生き残ろうが、もう二度と冒険者として活動なんてできないだろう。少なくとも、人間の敵として指名手配されて、ことが終わるまで一生を追われて過ごすことになる。
とてもじゃないが、エレナと一緒に冒険者なんて、できない。エレナと過ごした時間は、復讐を忘れるほど楽しかった。
目的を忘れないために、アドベルの捜索願を持ち帰るほどには。
けど、もしも俺が処刑される獣人族を見捨てれば?
勇者に背中を向けて、エレナと冒険者をする道を選んだら?
いや、迷う必要なんてない! 俺は何で旅に出た! 勇者を殺すためだろう!! 勇者を殺して、復讐を果たして――その先に、何がある?
俺は本当は、何をしたいんだ……?
「俺が言いたいのはそれだけだ」
言いたいことだけを言ったように、彼はふらふらとどこかへと言ってしまった。
そうして、取り残された俺は考える。
「俺は――」
パーティーを組むと約束をしたエレナと共に冒険者を続けるか。
見ず知らずの獣人族を助け、勇者と対峙する使命を選ぶか。
どちらを。
俺は選べばいい?
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