第25話 雨雲と泥沼
「エレナ、お前はこっちにこい!」
「え、えと……何が起きてるの!?」
「油断したら死ぬぞ!」
牛の魔物と対峙した瞬間に、俺たちの陣形は決まった。前衛を担当するのがリーデロッテさん。魔法を使う俺がその後ろに立ち、リーデロッテさんを援護しながらエレナを守る。
「〈フルバーサーク〉」
リーデロッテさんの魔法が発動すれば、その肉体がほんわかとした普段の彼女からは考えられないほどの鋭利な気迫で満ち溢れる。
火魔法〈フルバーサーク〉は、肉体の限界を超えたパワーを引き出すための魔法だ。それをいきなり使うということは、彼女は根っからの戦士ということ。
しかし、そんな戦士であってもこの牡牛を前にしては警戒せざるを得ない。
『ブモォォォ!!』
高らかに吠える牡牛が俺の片角よりも見事な両角を誇ると同時に、俺たち三人をまとめて轢き殺そうと猛る。
以前に感じた気迫よりもさらに数段上の恐怖は、俺の背後にいるエレナも感じ取っているようで、呼吸すらもままならないほどに彼女は怯えてしまっていた。
「チッ……リーデロッテさん、避けて!」
「わかった!」
忠告と同時に放たれる牡牛の突進は、まるで隕石のように地上を駆け抜けた。あと一歩避けるのが遅れていれば、牡牛の角に巻き込まれてぺしゃんこになっている木々のように、無様な姿をさらしていたことだろう。
「なんつー威力だよ……」
それを見て、受けてはならないと俺は確信した。
同時に。
「なら、使えねぇーようにすればいいな〈スワンプフィールド〉」
姑息に戦場を書き換える。
相手の強みを潰すこと。それがどんな相手にも勝つ方法だ。
今しがた牡牛が見せた突進は間違いなく奴の必殺技。ならばこそ、それを封じることでより勝利へと近づける。
あの突進の強さは何だ。最大の恐怖は、五メートルを超える巨体が高速で移動してくるとだ。ならば、移動が困難になる戦場を作ればいい。
泥魔法〈スワンプフィールド〉
辺り一帯の地面を泥にする移動封じの魔法だ。問題は、地面に埋まった木の根っこなんかは泥化できないことだが――
生憎と、ここら辺の地形はこいつが均してくれたばかりなんでな。地面に埋まった木の根っこも、全部が掘り返されたあと。遠慮なく、すべての土を泥に変えられる。
「〈レイニーブルー〉」
同時発動するのは空魔法〈レイニーブルー〉。文字通り雨を降らせるだけの魔法だが、これによってぬかるみは更なる粘り気をもって牡牛を封じ込める。
「〈ワインドシールド〉」
だが、忘れてはいけないのはリーデロッテさんのサポートだ。泥と雨の二重の移動封じは無差別にリーデロッテさんの機動能力まで奪ってしまう。だから、俺は風魔法〈ワインドシールド〉の風を纏う鎧を彼女に使い、一時的な雨除けとした。
「〈アクアカット〉」
最後の仕上げに、泥となった戦場に土の道を作り上げる。水魔法〈アクアカット〉は液体状のものを二つに割る魔法だ。それこそ、モーゼの海割りのようにリーデロッテさんの目前には、牡牛までの道ができあがる。
「全力を!」
「言われなくても!」
動きを封じられた牡牛が足掻くが、それよりも素早いリーデロッテさんの一撃が牡牛へと炸裂した。
「もう一発ァ!!」
更なる一撃が牡牛の首に入る。たったそれだけで、ずしんと牡牛の体が後ろへと後退するが――まだ足りない。
牡牛を討伐するには、まだ――
「〈ライトニングブーツ〉」
その一手を埋めるのが俺の役割だ。ここまでお膳立てした理由は、すべてこれを決めるため。リーデロッテさんに攻撃してもらうことでエレナが牡牛の注意から外れるように促し、その隙を狙って俺がとどめを加える。
ついでに言えば、空から降り注ぐ雨は、感電によって〈ライトニングブーツ〉の威力をそこ上げするための隠し味だ。前の時は、この一撃じゃあ全然怯みもしなかったからな。
今度こそ、全力で打ってやる。
「オラァ!!」
渾身の〈ライトニングブーツ〉が牡牛の体へと炸裂する。ここに加えてもう一撃。下準備に長くかかった俺の切り札。
「空×雷。――『雷雲魔法』」
複合魔法の更なる複合。想像を絶した威力を誇る、母さんから教えてもらった数少ない攻撃魔法。
「〈ケラノウス〉」
今だ俺には扱いきれなくて、準備に時間のかかる雷撃の魔法。それでも、ここ一番で使う意味があるそれは、豪と雷鳴を轟かせて空から牡牛へと降り注いだ。
「……よし」
牡牛が沈む。
『ブモォォ!!』
しかし、死んだかに思われた牡牛は立ち上がった。
「なっ……!!」
「危ない!!」
首を横に振るようにして、角を武器にした攻撃が俺へと迫って来る。
最大威力の魔法を決めて俺は完全に油断していた。おかげで、立ち上がった牡牛の攻撃に遅れ、防御が間に合わない。
受けたら、死ぬ。
リーデロッテさんの悲痛な声が雨の中にこだまするが――彼女の手は俺には届かない。万事休す。一瞬の油断が命取りとなる戦いの世界で、気を抜いた俺の敗北だ。
あーあ。こんな体たらくじゃ、エレナに小言の一つも言えないな。
そんなことを、向かい来る牡牛の角を見ながら思っていたら――
「ルード!!」
「エレナ!?」
泥をかき分けて俺の横に来ていたエレナが、抱き着くように俺を吹き飛ばしてくれたおかげで、牡牛の角は空振りに終わった。
同時に、今のが最後の力だったのだろう。攻撃した直後に、がくりと牡牛は倒れ伏した。
ただ、それよりも――
「やだぁ……ユーリ、死んじゃだめぇ!!」
危機一髪で俺を助けてくれたエレナが、泥まみれになりながら、俺の胸で泣きじゃくっていた。
「大丈夫だ。エレナのおかげでぎりぎり生きてる。助かった」
「うわぁあああああん!!」
エレナの子供のような泣き声が、雨の中にこだまする。
ああ、まったく。なんて情けない話だろうか。危機感が足りてないと思っていた彼女に、最後の最後で油断していたところ助けられてしまった。
本当に危機感が足りていないのはどちらだったのか。わからなくなってしまう。
「……ユーリ君。一応、倒せたみたいだよ」
「リーデロッテさん、警戒ありがとうございます。……とりあえず、ギルドに報告ですかね」
「その前に、雨と泥、何とかしておいてね」
「わかってますよ」
とりあえず今日は、エレナが泣き止むのを待ってから、予定通り町に帰るとしよう。
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