第7話 遠い国

 船長が言う。

 「嵐の海に船を出したとき、あんたにそのガートルードって名をのこしたっていうあんたのご先祖様のことを思い出してた」

 「ああ」

 ガートルードは目を細め、唇を閉じた。

 船長が言う。

 「海に落ちた漁師を助けようと嵐の海に飛び込んで、そのまま流された仲間がいて、その子を助けるために、自分も海に飛び込んだ、って」

 ガートルードは鼻からふっと息をついた。

 「つながりで言うと、じいちゃんのお母さんとか、そのへんだね。ほんとにそんなひとだったのか、それに、ほんとにわたしと血がつながってるのか、よくわからないけど」

 もういちど、息をつく。

 「もしほんとにそんなひとがいたなら、いまから百年ぐらい前、ってことになるけどね」

 「日本から来たって話だったよな?」

 「まあ、そういう話だね」

 ガートルードもよく知らないのか。

 それともその人のことをあまり話したくないのか。

 船長はガートルードから目を離して海に目をやった。

 「日本もいよいよ門戸閉鎖政策をやめたらしい」

 パイプを口に当てたまま、言う。

 「行ってみるか? その日本ってとこ」

 「はあ?」

 ガートルードは鼻を鳴らした。

 「だって、二千海里も向こうでしょ?」

 「一週間もありゃ着くさ。海流に乗ればもっと早く着く。なんなら」

と、コリンス船長はちょっとことばを切った。

 「連れて行ってやろうか? おれの船で、さ」

 そのことばに、ガートルードはびっくりしたように目を見開いた。

 でも、すぐに、また目を細めて、言った。

 「ありがと」

 自然に笑って見せる。

 「でも、まだいいよ。いつかは行きたくなるかもしれないけどね。そのときには。じゃ」

 軽く手を上げたガートルードに船長が訊く。

 「じゃ、って、どこ行くんだ?」

 「仕事」

 「その服装で、か?」

 ガートルードははにかんだように笑った。

 「ナマコの密漁」

 「はいっ?」

 「ナマコはその日本のがいちばん味がよくて、こっちのはだいたい味が落ちるんだけど、ここらへんはけっこう味のいいナマコがいるんだよね。だから、底引き網で砂地をちょこっと」

 「はあ」

 「ナマコはチン国に高く売れるの。だから戦争とか早くやめてほしいの!」

 「いいけどさ。仮にも警官なんだから、いいかげんにしとけよ」

 「うん!」

 ガートルードは肩のところまで手を上げて笑う。

 その笑顔に、船長もパイプを軽く上げて答えた。

 ガートルードは無言で突堤のほうに行ってしまった。

 そこにはあの蒸気艇が黒と白の混じった煙を上げている。

 「警察艇で密漁とは。しかも、おおっぴらに」

 でも、植民地の臨時雇い警官だから、それでもいいのかも知れない。

 この街の王としてサルタンはいるが、イギリスの保護領ということになっている。サルタンはこの街を治めることに何の関心もないけど、サルタンの役人はそれぞれの役得が欲しい。片や、ヨーロッパ人にしたって、タラントの四人組・カルテットの連中と似たり寄ったりで、ヨーロッパで居場所がなくなったから流れて来た、という連中が多い。コリンス船長もその手下どもも似たようなものだ。

 カトリックの信者も、イギリス教会アングリカン・チャーチの信者も、モスレムもいる。それがそれぞれ結びつきを持っている。チンから来た連中にもそれを束ねる組織というのがあるらしい。

 ガートルードの率いる一団はそのいろんな人たちに多かれ少なかれつながりを持っている。

 だとしたら、こいつらが正義の味方であったとしても密漁団であったとしても、この一団の力を借りなければ、この街の治安は守れないのだ。

 コリンス船長は、その街の上に広がる青く澄んだ空を見上げ、その空に向かって、ゆっくりと煙草の煙を吐いた。


 (終)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る