第3話 パーシャンハウンド号の航海

 船長は謙遜けんそんしたが、パーシャンハウンド号は優れたスクーナー船だった。

 頑丈なだけに船の大きさからすると重く、吃水きっすいも深い。しかし、吃水線下の形状が水の流れに逆らわないようにできているのと、コリンス船長の操船の巧みさとによって、パーシャンハウンド号は波頭なみがしらの上を駆けて行くような軽快さで進むことができた。

 それでも、この海には難渋する。

 空は暗い。夜で、しかも雲が低くまで垂れ込め、その雲の下をさらにちぎれ雲が飛んで行く。

 稲光はこの空のあちこちでひらめいていた。

 この漆黒の闇のなかでその空の様子と海の様子を確かめられるのも、ときには遠くで、ときにはすぐ近くで閃き続ける稲光と、激しい波に揉まれて発光する夜光虫のおかげだ。

 雨は力強く叩きつけてきた。一粒ずつの雨粒が体の表面に痛みを走らせる。それがときに塊になって打ちつけてくる。

 目を開け続けているだけでも強い気力が必要だった。

 パーシャンハウンド号は、大波のなかに舳先へさきをつっこみ、かと思うといきなり舳先を持ち上げられ、ときには船体ごと波の谷間に投げ出された。

 そのたびに船は左右に大きく揺れ、舳先の向く方角も変わる。

 風は南から北へと吹いている。

 それでも、パーシャンハウンド号は、舳先のセイルとフォアセイル、メインセイルを斜めに展張して、風上側へと少しずつ向かっていた。

 船員はみんな体に命綱をつけ、船のコントロールを失わないように奮闘している。

 「船長!」

と航海士のジェフ・ハンフリーがわめく。

 こんな小さい船で肩書きなんかなくていいようなものだが、船長に何かあったときに船の指揮を引き継ぐのはこのジェフ・ハンフリーなので、航海士にしてある。

 金髪の髪を短く苅った、痩せているが筋骨はたくましい若い男だ。

 「船長、って!」

 そのジェフがわめいても、荒れ狂う波の音、風の音と打ちつける雨で、なかなか聞こえない。

 命綱をたぐって、舵を取る船長のすぐ横まで来る。声をかけようとしたときに船がほとんど横倒しになり、ハンフリーはそのあいだロープを握って耐えていた。

 船が立ち直り、反動で反対側に傾いてまた戻ったところで、ジェフは船長に駆け寄った。

 「なんだ?」

 船長の返事は落ち着いていた。

 「このまま行くのは危険すぎます! 風向きが急変したら、いや、吃水の浅い状態で横風を食らったりしたら!」

とジェフ航海士が叫んだところで、船は舳先から海のなかにつっこんだ。

 甲板の上まで海水に浸かる。浮力の反動で急に跳び上がり、そこに風が吹きつけた。そこでさっそく横風を食らい、また横倒しになる。

 「じゃあ、どうしろって言うの?」

 コリンス船長はまた落ち着いて返事する。

 そのコリンス船長にしても、何度も足もとを水にさらわれ、投げ出されそうになり、ときには船とともに横倒しになりながらも、波に舵を流されないように舵を取り続けているのだ。

 「せめて進路を北に戻してください!」

 「そんなことをして、この暴風をまともに追い風で受けろって? まあ、それもおもしろいかも知れんが」

 船をコントロールするのはさらに難しくなる。

 船が進める速さよりも速い速度で後ろから風に押されると、船がどう動くか、予想もつかない。

 「いや、だからって!」

 「それにな。お客さん方は明日の朝にコニディーに着くことをお望みだろう? いっぺん引き返して出直しじゃ、間に合わないよ」

 「間に合わせる必要なんかありゃしませんって!」

 ジェフ航海士が言う。

 「そう思うか」

 泰然として船長が答えたところに、船のすぐ横に雷が落ちた。

 大音響とともに、稲光が海の中まで鋭く反射して、あたりが黄色に輝く。

 たじろぐ間もなく、正面からマストより高い大波が襲ってくる。

 波で風が遮られ、無風のまま、惰性で船は波のなかにつっこんだ。

 水の中に潜った状態から浮き上がり、船は左右に不安定に揺れる。その瞬間にも帆は風をはらみ、その動揺をさらに複雑なものにする。

 「フォアセイル、もうちょい戻せっ!」

 ジェフ航海士は大声で指示を出す。それでコリンス船長の顔を無言で見た。

 コリンス船長はそれに答えて、ゆっくりと言う。

 「じつは、おれもそう思ってるんだ」

 「は?」

 声には出さないが。

 ジェフ航海士は、たぶん、何を言われたのか、よくわかっていない。

 「明日の朝にコニディーに着けるつもりはない」

 「じゃ、なぜ?」

 だったら、そもそも嵐のなかに出港する必要はなかったはずだ。

 ジェフ航海士の問いに、コリンス船長は得意そうに笑った。

 「お客さん方に声をかけられたとき、警官が近くにいなかったし、それに、ああいう方がたにはこういう体験はぜひしてほしかったものだからな」

 「はあっ?」

 ジェフ航海士は、たぶん、何を言われたかわからなかったのだろう。

 コリンス船長が言う。

 「酔い潰れてたテンプルを船に乗せずに帰したときにガートルードに伝言してある。もうちょっと風が収まった頃にこっちは舳先を逆に向けるから、この嵐がどこかに行ってしまった頃にゃやつがなんとかしてくれるだろうって」

 ジェフは不服そうに口を結んで言った。

 「あのニセ警官の娘っ子ですかぃ?」

 「まあそう言うな。正式の警官じゃないってだけで、ちゃんと役には立っとる」

 船長がそう言ったとたんに船は斜め前から大波に襲われた。

 だが、それを見越して船長が舵を切っていたので、船は転覆せずにすむ。

 「フォアセイルもメインセイルも右! このままじゃ帆の裏に風が入っちまう!」

 ジェフ航海士がまた後ろに向かってわめいた。

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