最終話 @中嶋和馬

 屋上緑化された庭園風のビアガーデンは、普段はしない蝋燭や白い風船や旗などが飾り付けられていて、白熱の電飾が綺羅綺羅と輝いていた。



「マスターおめでとう」


「ははは…あ、ありがとう…」



 ここはオーナーの持つ、四階建ての飲食店ビルの屋上だ。僕が初めてバイトしていたところでもあるのだけど、夏場は爽やかなビアガーデンとして使っていたのに、今日は荘厳な雰囲気だった。


 時刻は土曜の夜の九時前。こんな暑い夜ならまあまあ一見さんも多いはずなのに、見渡す限り僕の知ってる人しかいない。



「逃げたらシベリア送りっすよ」


「それは嫌だなぁ…ははは…」



 さっきから乾いた笑いが止まらない。


 雫に動画を見せつけられ、9がたくさん並ぶ%も出てきて、確かに僕の子供のようだと納得し、責任をとろうと提案したけど、雫の積極性に有耶無耶にされ気づけば丸一日ホテルに滞在していた。


 流石に二日も店を閉めるのは不味いと、まだ滞在してるからという雫をホテルに残し、出勤すると、オーナー直筆の張り紙が店の扉に貼られていた。


 結婚パーティーに来いとだけ書いてあった。


 よく開催している婚活パーティーと間違えたんだろうなと、手伝う為に渋々店に向かうと、それは僕と雫の結婚パーティーだった。


 意味がわからない。


 だけど、どうやらそれは本当で、つまり僕は、雫の本気と覚悟を見誤っていたらしい。


 そしてそれはあの頃の、思春期の僕にとっては劣等感を刺激されるような、そんな彼女のポテンシャルを、僕は心底思い出した。


 君が本気を出せば、どこまでもいけるって信じていた。君が望めば何でも叶うって思っていた。


 それくらい雫は特別だった。


 でもここまでとは思ってなかった。



「オーナーさんがこうしたら和くん逃げないって」



 雫は、夜の光が散りばめられた、大きな黒の瞳を向けてくる。艶やかな黒髪をアップし、白いカジュアルめなドレスの君は本当に綺麗だった。



「な、何? やっぱりこんな若いの似合わない…?」


「そこじゃないよ。けど君は綺麗だ」


「そ、そう?」


「そうさ…」



 ただ、もしかすると、この人、傾城傾国ってやつなんじゃないだろうか。


 聞かせてくれた離婚の話は、そこまで詳細には聞いてないのだけど、彼女の元夫とその友人は殺人未遂で捕まったのだと言う。どれくらいのレベルかはわからないけど、おそらく雫を巡っての凶器を使っての犯行みたいだった。


 元夫の後輩の男は会社を経営していたらしく、その会社に元夫が乗り込みあらゆるデータを流出させたらしい。元々消費者庁から悪質だと勧告は受けていたらしく、そこから一気に事件化し、あっけなくその後輩は捕まり、余罪も含めて今も出られない部屋らしい。


 元夫は過去の違法行為が取り沙汰され、お父さん──真島さんと、真島さんの友人の活躍もあり、彼もまたなかなか出られない部屋だそうだ。


 真島さんっていつもニコニコして飲んでるただの普通のおじさんなんだけど…。元警察か弁護士か、そんなところだろうか。


 娘さんの関わっていた件の情報があればなぁって泥酔してた時言ってたから雫のデータだけ消して渡しただけで、なぜそんな血腥いことに…。


 真島さんから何も聞いてないんだけど…。


 それとホテルを出る際、雫にいきなり預金通帳を渡されたから何事かと思ったけど、「あの時私のお金じゃなくて、だから用意したわ。遅れてごめんなさい。利息つきだから許して」なんて言われて額を見て絶句してしまった。


 あれはちょっとした冗談じゃないか…。


 離婚の際の数年分の養育費と慰謝料らしいけど、どうやったらそうなるのかわからないし、何したのかは聞いてはないけど、世の中には聞かない方が良い話もある。


 犯罪臭がしないでもないけど、うっかり聞いた時は黙って墓場までがバーテンダーのデフォルトだ。


 僕はオーナーからそう学んだ。


 今はなんかパーティ行かなあかんねんみたいなエセ外国人の格好してつっ立ってるけど…神父のつもりだろうか。


 く、腹立つ…。



「それにしても、よくバレずにここまで準備出来たね…いじめかと思ったよ」


「ごめんなさい…」



 最近、何故か僕だけがオーナーの店から出禁にされていたのは、雫が今回のこの打ち合わせのため度々訪れていたせいらしい。


 聞いてないよ。


 やさぐれてしまってたじゃないか。



「里香さんにアドバイスをもらってね」



 里香さんとは、さっきまで雫のメイクを手伝ってた女性だ。何故かジロジロと値踏みされていたけど、そこはかとなく百合の匂いがした。



「なんて?」


「油断に突き刺すは致命の一撃を、って」



 雫はそう言って、僕の心臓に細く綺麗な指先を突き立てる。


 何だその物騒な格言は…確かに何年も会ってなかったし、怒涛の事実の連続だった。だけど、それは絨毯爆撃攻撃であって、いくら味方だからと言っても、差し出された情報ミサイルが多過ぎる。


 それを油断とは言わないと思うし、油断ならもう五年も前に突き刺さっていて、しかもこれじゃあ最初も入れて三度目じゃないか。


 いや、僕の逃走前科もあるし仕方ないのか…。



「怖いんだけど…里香さんは稀代の暗殺者とかなのかい?」


「ふふ。違うわよ。それはまた今度教えるわ。ただ…もっと静かでも良かったかなぁって。皆さん、俺も俺もって…こんなに大事になっちゃって…」


「…そうだね…」



 ここにはもう既に100人近いお客さんが来ていた。僕のお客さんや知り合いやバイト時代の同期で、後は知らない人がちょこちょこと。


 雫はウェディング関係で働くお客さんとか、オーナーとか、真島さん経由で交渉し、僕の店名に合わせてナイトウェディングにしてもらったのだと言う。


 最近お客さんが来ないなと思っていたら、関係者全員…というか常連さん全員で打ち合わせしていたみたいだ。


 僕抜きで。


 雫抜きで。


 やっぱり意味がわからない。


 危うく店を畳もうか悩んだじゃないか。


 雫に聞けば、オーナー曰く、未練たらたらなのはわかってたんだよ、らしい。


 強引にいけばいけるいけると聞かされた、らしい。


 あの鬼畜メガネの驚く顔が見たかった、らしい。


 この界隈のみんなノリノリだった。


 僕だけが知らない街になっていた。


 しかし、飲み屋のノリ的にわかるのはわかるけど、本当に実行するとは…今回のこれいくらかかってるんだよ。


 ほんとみんな頭おかしい。


 まあ結婚も離婚も、夜の世界じゃ割と珍しくもなく飛び交ってるし、ペケついてる人多いしな…。


 おそらく普通に請求されると思うけれど、僕が拒否したらどうする気だったんだ。


 いや、それもそれで残念会にでもすぐに変更しそうだ。ここにいる半分くらいの人が、呑めりゃ理由はなんでもいいんだよってメンタルの人ばかりだし。


 しかし…雫がいろいろ無断でしでかしたこととはいえ、責任を負うよとは言ったけど、それはまだプロポーズじゃないと思うのだけど。


 いや、そうか。これも試されてるのか…ここまでやったんだ、本当に拒否するならしてみろよ、というみんなからの挑戦か。


 あるいは雫からの逃げ道のパスだろうか。


 そうだ。息子を連れて来てないのも、子供を盾にしたくなくてか…。


 嫌ならこいつは本気で逃げるってバレてるし、それならそれで構わないってことだろう。


 でも、そういうつもりで君の前から居なくなったわけじゃないのだけど。



「雫」


「はい」



 用意された壇上に雫と上がると、目に映る狭い空の月は少し欠けていた。


 まるでお互いがそうであるかのように。


 いや、みんな多分どっか欠けてるんだろうな。だからくだらない話でもいいから身を寄せ合い酒を飲むんだよ。


 ただ、ここまでしてくれてありがたいはありがたいんだけど、素直にお礼が言いにくい。それをわかっているのか、みんなニヤニヤしながら好き勝手にガヤを飛ばしてくる。


 く、腹立つ。



「…やっぱり嫌だった?」


「藁だったんだよ。あのお店」


「え?」


「はは、いや、大きな川に浮かぶ穴の開いた葉っぱの気分だよ」


「…」


「昔から…君は僕にとっては、まるで大河のようだった」



 僕のそんなセリフに、雫は少し眉をひそめてギュッと腕に力を込めた。



「心に大穴を開けたのは…謝っても許されないとは思う。もし嫌なら…ダメなら、逃げていいから…和くんとはもう会わないようにするわ……」



 雫はそう言って、キュッと僕の腕をもう一度強く握った後、離れようとした。


 それを僕は捕まえる。



「穴が開いてるって言っただろ? 初めて出会ったその日から、僕はとっくに君に溺れてる。そういう意味さ、雫」


「…」


「な、何か言ってくれよ…。恥ずかしいじゃないか」


「ふふ、ぐすっ、やっぱり回りくどいんだから…」



 抱き合う二人を囃し立てる口笛とクラッカーが、少し欠けた月の夜に響いた。


 その欠けた部分を二人で埋め合えと、喫酒に明け暮れようとする来場者と共に、笑い合う僕らを叱咤激励しているようだった。



「…嫌かい?」


「でもそれがいいわ」



 そうして僕は、みんなが見てる中で、彼女の月に光る雫を拭ってキスをした。


 濡れた雫の瞳は、たとえばいつか、君の前で格好をつけた、幼い頃の僕の姿を映していた。

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