第21話
隆章は、画面から目が離せなかった。鳩尾の重い鈍痛も、強張る筋肉も、震える膝も、体中の何もかもが叫びを上げる中、目を見開いてその様子を見ていた。
『うはは、最高だよ』
『…言わないで…』
パンパンに張った肌けた大きな胸を、ガサツな誠太にしては意外なほど労りながら優しく揉みほぐしていた。それはまるで本当の夫のようだった。
『それよりまた後ろ?』
『ごめんなさい…』
それは隆章にとって、雫の抵抗に見えた。そこまでして守ろうとしているのかと、安堵しつつ、何故そんなことになっているのか、何故そんな男にいいようにされているのか、胸が張り裂けそうな気持ちになった。
「もう、やめてくれ、もう、いいだろ…」
そんな言葉が届かないことは知っている。散々叫んでも画面の中には届かない。だが、諦めを許さないからと口から何度も何度も溢れてしまう。
喉が焼けて、鉄の味がする。
涙が流れて、それと混ざる。
そしてようやく気づいた。泣いているのか? この俺が? いや、それは雫だ。雫の涙だ。あいつが流せない涙を俺が流しているんだ。
隆章の脳内はそんな妻の内心が浮かんでは消えていく。
誠太は感無量と言った表情で、征服欲が満たされていた。離婚もありかもな、そんな感想すら浮かんでくる。
雫にとっては、そのどちらも外れていて、一人だけ冷めた笑いが止まらなかった。そのせいか、画面には快楽を我慢するかのような顔に映っていた。
「し、雫…!」
『せ、誠太さんっ…!』
偶然、隆章の呼びかけに答えたかのようなタイミングで雫から出てきたのは、残酷なまでの一言だった。
隆章の心を締め付けていくと同時に、どこかで見た光景で、だがそれをかき消すような重い興奮によって上手くいかなかった。
『し、雫ちゃんっ! いいかいっ!』
『は、はい…!』
そしてついに誠太が達すると、目があった気がした。いや、あいつは見ている。見せつけている。妻の震える尻しか見えないが、あいつはそういう奴だ。
いつの間にか画面は消え、叫び疲れて限界のきた隆章は、下を向いた。いつの間にか達していた。
ああ、と目を閉じ眠りについた。意識を失う瞬間、隆章は薄らとした記憶、誰かが雫と一緒に歩いていたなと、少しだけ思い出した。
それを壊してやろうと、確かに思った。まだ足りなかったのかと、隆章は笑った。
◆
旅行三日目。誠太はまだ寝ていたが、雫は座椅子に座り窓の外に見える竹林を眺めていた。その表情はまるで安寧の中にいる聖母のようだった。
先程から何度も鳴るスマホは、誠太のこれからを告げるコールだろうなと、雫はくすりと笑った。
「誠太さん、起きて。電話が鳴ってるわ」
「…雫ちゃん…雫、早いね…おはよう…あれ…会社からだ。ちっ、連絡すんなって言ったのに……はぁっ!?」
「どうしたの…?」
「会社が…!!」
「会社…? 会社がどうしたの?」
「い、いや、雫はゆっくりしてていいから! あの野郎ッッ!!」
慌てて服を着た誠太は、乱暴に叫び、旅館を後にした。
残された雫は、くすりと笑い、もう一度お腹を撫でた。
「これでようやく終わりかな。ふふ、違うわね。ここからが私のスタートだったの。隆章さんにとっては──」
「ゴールでも、かしら」
雫の呟きに、そう続けた浴衣姿の女が入ってきた。雫は笑顔で出迎えた。
「ぷ、古いよ、里香さん」
「そう? 良い女と同じで良い曲に古いも新しいもない。だったかしら」
里香のそのセリフは、暗に和馬のことを指していた。
「…それ逆ですよ」
「ふふ、まぁ、お父さんが溢したんだけどね」
驚いた顔の雫を見て、里香は笑った。つまりお腹の子が誰の子なのかバレたということだ。
「ごめんなさい」
「え? あ、ああ、別に気にしてないわ。言ったでしょ、思う存分やりなさいって。まさか本当に身体まで許すなんて思わなかったけど」
「ただの入れ物ですから」
雫には、過去を肯定してくれた和馬がいる。おそらくドン引きしつつも、その仮定を聞きながら優しく整えてくれる彼がいる。
その月の光で雫の歩く道を照らしてくれている。
「はぁ…まったく、どういう男なのかしら」
「素敵な人ですよ」
「雫さんが良いなら良いんだけどさ。絶対性格変わったわよ」
雫と出会ってそんなに経っておらず、そこまで深くは知らないが、明らかに前回の旅行から変わっていた。里香から見た雫は、今回のようなことをしでかすような女には見えなかった。
「ふふ。そんなことないですよ。それより上手くいきました?」
「ええ、お父さん…真島さんがいろいろと動いてくれたわ。貴女もそれでいいしょう?」
真島は和馬の店の客だった。「お父さん」が愛称の初老の男で、突然雫と里香の前に現れたのだが、自分の娘に酷いことをした隆章と誠太を探していた。
雫と里香の復讐計画に、社会的制裁はあれど、金を引っ張るような発想はなかった。それは雫にとって、一番の関心ごとで、すぐに協力を申し出た。
ただ、真島からすれば、今回の雫の提案は、狂気の沙汰にしか見えず、あれだけ殺してやろうと思っていた気持ちもどこかへ行ってしまった。
「ふふ、この子のためですよ」
「…無茶はもうやめてね」
「ふふ。はい」
雫は、同性でも見惚れるような笑顔で里香に優しく笑いかけた。それは、隆章や誠太に向けていたような作った笑顔ではなかった。
「ほんと、節穴ね…」
「え?」
「ううん、なんでもないわ。じゃあお風呂にでも行きましょう。背中洗ってあげる」
「お願いしますね。でも前から思ってましたけど、ふふ、里香さんの手つき、いやらしくないですか? 女子高出身だから?」
「ま、まあ、否定はしないわ。ちょっと特殊な派閥システムのせいなのよね──」
なんですかそれ、などと笑い合いながら、二人は軽い足取りで浴場に向かった。
その日の晩に、隆章と誠太は警察に捕まった。
それは、立派な満月の夜だった。
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