第15話
和馬は隆章も分析していた。
結婚生活が上手く行くようにと、動画を見返し、縛られたまま、雫は何度も何度も確認させられた。
そしていろいろなアドバイスをもらった。
その事に胸を痛めてしまう雫だったが、和馬に気持ちを伝えることが出来て、文字通り全てを晒すことが出来た。汚い自分と汚れた自分も見て貰えたなと、すっきりとしていた。
隆章の強引なキスに照れる仕草をした雫は、隆章の胸に手を添え、やんわりと跳ね除けた。
「…ん…、ふふ、もぅ、お土産食べましょう? お茶にしますね」
「あ、ああ、そうだな…」
いつもなら目の色を変える雫のその余裕に、少し疑問が浮かぶ隆章だったが、よほど楽しかったのか、楽しそうな土産話に毒気が抜けた。
その日の二人は、いつもと違って夫婦のような会話を楽しんだ。
◆
それから一週間、雫はあの手この手で隆章からの誘いを避けてきた。楽しく楽しんでいるのがわかった隆章は、土曜日の夜までは我慢しようかと、我慢した。
そして土曜日の夜、夫婦別々でお風呂に入り、気持ちを昂らせていた。
雫は隆章の強引なキスを意図的に拒否する仕草をしながら、和馬によるマッサージを思い出した。
三週間も前のことなのに、今だ鮮烈にあるのは和馬の言うように私がドスケベなだけだろうと雫は顔を伏せる。
あの羞恥心を炙られ続け、業火の中に焚べられているような重たくも深く暗い快楽を思い出して、顔と耳が赤くなっていた。
それはえも言われぬ色気となって、隆章に襲いかかった。
あの頃、和馬への裏切りの秘密を抱えたまま快楽に縋った時のような、精神的に卑しい女の、何かを期待するような姿が、隆章をムラムラとさせていた。
『隆章君ってさぁ、お客さんにもいるけど、多分、内在的にはドMなんだよ。見た目とかプライドとかじゃなくてね。だから同じ立ち位置を目指しても上手くいかない。君が時と場合によっては彼より上か下にならないと。ははは』
それは和馬の言う通りなのかも知れないし、違うかもしれない。
でも今はいい。
「あっ、……や…」
「ははっ、期待し過ぎだろっ」
「は、恥ずかしいわ…」
「…ははっ、久しぶりにもっと恥ずかしいことしてやる」
その日の夜は、昔みたいな交わりがあった。
隆章は昂り吠えた。雫も快楽に耐えるフリをしつつ羞恥を見せるようにした。
その瞳に何が映っていたのか、隆章は知らなかった。
それなりに満足した雫は目を細めて月夜を眺めた。彼の店に飾ってあった絵に近い、金と銀が混ざったような色彩を放つ、不思議な月の夜だった。
「月夜、
それにしても和くんらしい、変な店名だったなぁと、雫はくすりと笑った。
彼は昔から名付けるのが下手で上手だった。言葉の中に誰が考えてもそうはならない彼独自のルールが入っていて、いつも私には分からなかった。
後出しのようで、でもパズルみたいな名前は彼と私の思い出だった。
だから店名だけはわかりやすかった。
だってキッシュは私が和くんに初めて振る舞ったその後の得意料理で、語源のケーキは彼と私の受験勉強の最中語り合う共通の趣味だったのだもの。
月の夜。
ケーキを挟んで。
彼と私。
それは別れるまでの二人が繰り返してきたワンシーンだ。彼は横に並べたけれど、私には縦に重なってまるであの月の絵のように見えた。
プレイの合間にそれを指摘したら、偶然だ、こじつけが過ぎると、照れながら慌てた仕草が、昔と変わらなくて大粒の涙が溢れた。
『無意識から出て来る言葉には、自分の過去がきっと映ってる…って言ってたよね…?』
『そ、そんなこと言ったかな…覚えてないよ』
多分自分の中で納得しちゃったんだろうな。だから、その私の偽りのない涙に慌てた彼は最後の最後でドジを踏んだ。
「ふふ…120点満点よね…」
雫は小さく笑って涙する。
覚えてないかも知れないけれど、微睡の中、またいつかと同じことを、和くんは根拠なく言っていた。
和くんが去る前、隆章との旅行の前にも、確かに言っていたなぁと思い出して馬鹿な自分に涙が溢れた。
『…上手くいく。君の願いはきっと叶う。当たり前だよ、だって雫なんだから』
これでようやく、和馬にも、今回利用した戸塚夫婦にも、隆章にも誰にも話していない、雫の計画は動き出す。
だから雫は、今度こそ、あのキッシュのように、それを別の意味に変えてみせるのだと、目を強く閉じて涙を切った。
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