第14話

 和馬の元を離れてから約二週間後、スーツケースを持った雫は、自宅の扉の前で一つ呼吸してから顔を上げた。



「ただいま。隆章さん」



 雫はリビングにいる隆章に満面の笑顔で話しかけた。室内を見渡すと少し汚れていた。男の一人暮らしだから仕方ないかと、雫は溜息を我慢した。



「おかえり。楽しめたか?」


「ええ、すっごく。戸塚君には感謝してるわ。あなたからも伝えてくれるかしら」



 そう言いながらソファに座る隆章の首に腕を回す。甘ったるい香水を放つ妻に何の疑問も持たずに隆章は雫の頬にキスをする。


 隆章は突然降りかかった問題を収束させる為に、戸塚の提案通り、戸塚の嫁の里香に頼んで旅行に行ってもらっていた。


 そのついでに実家にも帰るのだといい、寧ろ助かったと送り出した。


 雫は腕に力を入れて隆章に枝垂れかかった。



「ああ、わかった。それで──おいおい、どうしたんだ。そんなに甘えて」


「…なんでもないわ…」



 雫は隆章から視線を逸らすようにして、小さな声で囁くように言って離れた。隆章には後ろ姿と白い頸しか見えないが、雫が照れていることはわかった。


 そう見えていた。



「雫…?」


「…」



 思えば、一番結婚生活から遠いところに居たなぁと思った。


 いつの間にか傲慢な態度やブライドなんてものを見につけていて、思い通りに行かないことに憤って、辛気臭い表情を常にしていたんだなぁと思った。


 謝りたい一心で探した彼は、私の抱えた感情を見抜き、それを見事に炙り出し、指摘し、破壊してきた。


 女としての尊厳の破壊も、当たり前に求めた不自由さも思っていた以上に上手く上書きしてくれた。


 味わったことのない、天井知らずの快楽と背中に走る重い背徳に翻弄される私を横目に丁寧に丁寧に解き解して分析してくれた。


 内臓まで丸裸にされたような、事実、そうされたのだけど、ぐちゃぐちゃのドロドロに全てを掻き出され、イキたくてもイケない、そんな地獄を三日間に渡って、味合わされた。


 彼の変化は、私にとって胸の痛む変貌だったし、ある意味で救いだった。


 久しぶりに見た和くんは、正に鬼畜メガネと言った風貌だった。元々あった優しい眼差しはあったものの、まるで心の中まで見透かすような瞳を私に向けてきた。


 私から去り、自分のお店を持つまで、いや持ってからも相当頑張っただろうし、辛い思いもしてきたのだろうなと思った。


 それなのに私の話を聞き、その願いを叶えるためにお店を閉めたのだろう。まさかとは思っていたけど、実家まで行ってくれていて、両親との間に入ってくれていて、和解を手伝ってくれていた。


 いろいろなことを先回りして予想を立てていた。そしてその願望通りに物事は動いた。


 それはあの頃の、高校に入る頃や大学に入る頃の優しくも力強い彼の姿で、そのことが余計に胸を締めつけた。


 変わらない人はいないって彼は言うけれど、和くんは全然変わってなかった。


 そして再び彼を騙した私も、変わってなかったなぁと、思って少し胸が痛かった。



「…雫、おいで」


「…」



 雫は今一度、恥ずかしい仕草を思い出しながら、気合いを入れ直した。

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