第19話

 エビス男を前にした隆章は、現状を把握しようと低い声を出して問いかけた。



「さっきから何笑ってるんだ。これは明確な犯罪行為だぞ。鮫島はどうした」


「ほほ」


「チッ、余裕ぶりやがって……はは、そうか。さっき男女って言ってたな。生憎だが、俺は違うぞ」


「…違うとは?」


「大方、誰か泣きついたんだろ。たかだか50万くらいか、闇金で借りたなら知らないが、ただモテない男女がマッチングアプリで勧誘されただけだろ」



 隆章が行っていたのはヤリサーの男女をマッチングアプリに登録させ、釣れた学生に高額な入会料を払わせてセミナーに勧誘する、いわゆるマルチ商法まがいの行いだった。


 入会させた学生を半ば洗脳するようにしてノルマを課し、五人集めればペイできるといった悪質なものだった。



「成功しようがしまいが、それはそいつの運次第だ。経済学でも証明されてるんだよ。知らないのか? 逆恨みしてんじゃねーよ。それに今の代表は戸塚誠太って奴だ。俺じゃねぇ。残念だったな」


「ははは」


「…何がおかしい」


「その前に、こちらをご覧になっていただきましょうか」



 エビス男が用意したのはノートPCだった。そこには古びた和室が映っていた。



「なんだ…? はは、この和室がなんだって言うんだ」


「見覚えありませんか? あなたのご友人が滞在している旅館ですよ」


「…何?」


「そして、かつてあなたがわたしの友人を壊したところ、ですかね」


「…友人だと? はっ、さっきから何言ってやがる。何でお前みたいなジジイが…お、おい、おいおいおい!! テメェっ! ふざけてんのか!」



 隆章が焦るのは無理もない。画面にはお腹を労わるようにしてゆっくりと座椅子に腰掛けた最愛の妻である雫が映っていた。



「ははは。おっといけない。消音になってましたね」



 仮面の男はそう言ってミュートを解除した。その為画面が隠れたせいで、一緒にいるであろう里香の姿は見えなかった。


 そうだ、里香がいる。二、三度会ったくらいだが、雫とは嫌に仲がよく、信頼出来る女だった。この男が何を企んでいるかは知らないが、少し冷静になれた。


 すると音声が聞こえてきた。



『少し疲れたの。後で行くわ』


『はいよ〜』



「……今の声は…」


「戸塚君ですよ」



 エビス男は、そう言って笑った。



「な、ならお前は誠太の…! あいつふざけやがってッッ! 里香は!? あいつは一緒じゃねーのかッ?!」


「ほほほ。ほぅら、戸塚君の彼女の様子をご覧ください」



 そこには、悲痛な顔を隠しているのか、片手で顔を覆いながら俯く雫がいた。



「あいつの彼女だとッ!? 雫は俺の嫁だッ!!」


『…ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい…』


「な、し、雫…嘘だろ、何があったんだ…?」


「お腹を摩りながら何やら懺悔していますが、どうしてでしょうねぇ」


『ごめんなさい、ごめんなさい……さんごめんなさい』



 隆章は雫のその様子に声が出なかった。いつだったか、悲痛なこの声には聞き覚えがある。隆章は顔を伏せて謝る雫を見て、記憶の蓋に手をかけた。



「あの日から彼は壊れてしまいました」


「こ、壊れてんのは雫だろうがっ! 誠太じゃねぇッッ!!」


「ほほほ。お節介だとは思ったのですが、なんとか同じ気持ちになってもらわないと楽しく飲めませんしねぇ」


「た、たかがそんなことで俺と雫を…?」


「いえいえ、雫さんは関係ありませんよ。最初に言ったでしょう? いや、まあ、目が離せないようですし、ご覧になってからにしましょうか。ごゆっくりどうぞ」



 エビス男はそう言って部屋から出て行った。


 隆章は画面の中でひたすら謝り続ける雫から目が離せなかった。


 そこに確かな愛を感じていた。





 エビス男は、階下を上がると洋風の椅子に腰掛けた。ここは山間にある廃れた別荘地で、エビス男の所有する物件だった。



「はぁ、はぁ、階段が辛いなと、ふぅ…っと」


『いいんですか?』


「ええ、ええ、ちょうど始まったようで。それにこのままだと怒りが霧散しそうでね…」


『ふふ、そうですか』



 エビス男の耳には黒いコードレスのイヤホンが装着されていた。そこから年若い女の声が漏れていた。



『随分と勘違いしてましたね』


「ちょうどいいからと否定しなかったけど、あんな真剣な様子に笑いそうになったよ。笑っちゃいけないのにね。ほほほ」



 隆章は、誠太だと勘違いしていたが、それは狙ったわけではなかった。



『…これからどうするんですか?』


「それはまあ、この後の彼の態度で決めようかな…」


『雫ちゃんの提案の方は、やはり駄目ですか?』


「最初は…あれほど殺してやりたかったのに、いざできるとなるとね…いやはやこれは中嶋君の言う通りでしょうかな…」


『それじゃあ…』


「ええ、ケセラケラ、成り行きに任せるとしましょうかね。協力してくれた里香ちゃんには申し訳ないけどね」


『ふふ。私は別に。でもお父さんがいいなら私はどちらでも構わないですよ』


「そうですか。ほほほ」



 エビス男は、そう言って仮面の下で、恵比寿様のようにして笑った。

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