第8話 @中嶋和馬
「マスターは今までどんな方と付き合ってきたんですかぁ?」
「ああ、マスターのその話クソ面白くないから聞かなくていいの! それより聞いてよマスタ〜」
「はいはい。今日はどんなお客さんだったの?」
「それがさぁ──」
僕の仕事はお客さんの話をひたすら聞くことだ。自分の話は極力しないようにしてる。
たまに酔っ払って幼い頃の話をしたりするけど、真面目だったんだねと言われるくらい面白みはなかった。
当然だとは思う。
あの日まで勉強しかしてこなくて、恋人だった彼女の些細な変化などに気づきもしなかった。
いや、彼女をきちんと見ていなかったんだろうな。
幼い頃から一緒だったし、それが日常だったし疑うことなんて一度だってなかったし考えたことすらなかった。
大学に入学し、少しだけ露出を増した服の意味も、「チャンスと秘密の象徴」ピンキーリングを左手にしている意味も知らず、知らない香水の香りすらも、大学生になったからお洒落したくなったのかな、くらいにしか思ってなかった。
今ならわかる。それまでの僕は心のどこかで「彼女が僕から離れていくことはない」と考え、言ってしまえばずっと受け身だった。
だから彼女の些細な変化も見逃していたし、呑気に胡坐をかいている内に僕の彼女はあの男の女になっていた。
そうなっていたのは実は結構早くの段階だったらしく、それでも僕の前では普通の笑顔で、普通の対応で、普通の恋人だった。甲斐甲斐しく掃除や洗濯、料理までしてくれていた。
今思うとそれが普通に怖い。
まあ、それでも今となれば何となくその時の心境がわからなくもないけど。
「随分と早くなったなぁ」
夏に向かう朝の日の出。本日最初で最後のお客さんだったキャバ嬢二人組をタクシーに乗せた後。
仕事終わりの一服で空を見上げていた。
「カラスが鳴くからかーえろ、だねぇ」
みんな知らないかもだけど、朝もカラスは鳴くんだよ。
それにしてもこんな風な朝方だったかな。
大学時代、たまたま朝帰りに出会した時なんて「ありがとう」くらいにしか思っていなかった。
『──か、和君』
『──あれ? こんな早くに帰ってきたの?』
『──あ、朝ごはん、やっぱり作ってあげたくて。コンビニ?』
『──うん。でもそんなの別に良いのに。お友達起こしたんじゃない?』
『──え? あ、うん、ちょっと…起こしちゃった…』
『──朝抜くと思ってた? 悪いことしたね』
『──朝、抜くなんて、悪いこと…だよね…』
尤も、雫がそう言っていたからそう鵜呑みにしていただけで、いろんな意味で滑稽以外の何ものでもなかったけど。
「今考えると、体張った上手い告白だったな…」
そんな馬鹿なことは覚えてるんだよな。でもあれを察するなんて高度過ぎる。
今ならまあ、わかるけど。
でもそれに気づいていれば、その後の仕打ちも、この街に来ることもなかった。
もしかすると違う未来もあったのだろう。
「…モーニンググローリーってやつかな。いや、グローだったか」
青緑の朝空に、月はもう見当たら無かった。
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