第9話 @中嶋和馬
幸せな人生に必要ではないのかも知れないけれど、一人分の不幸せをほんの少し薄めるにはこれほど向いている仕事はないんじゃないだろうか。
そう思って僕は毎日毎夜カウンターに立つ。
決して悲観的にはならず、現実主義でもなく、楽観こそが人生を豊かにしてくれる。
人の脳はそういう風に出来ている。
だからそれを後押ししてあげるように話を聞く。
共感と同調。その高低を見抜き、話を振る。昔は考えながら喋っていたけど、いまではあまり考えずに言葉に出来ていた。
だけど、最初は辛かった。何の経験も知識も色恋も面白味もなかった僕が、お酒以外の何かを求めてやってくるお客さんに相手にされるわけはなかった。
だから頼ったのは結局は夢の残滓だった。
スピリチュアルズ論。オカルトではなく、面白いほどその人のパーソナルが顕になる、いわゆる心理学だ。
人の性格は幼少期と外的要因で決まる為、自分では変えられないのは割と有名な話だとは思うけど、例えば外交的か内向的かだと、外的刺激に鈍感な人ほどより刺激を求め外交的な性格になる。
反対に外的刺激に敏感な人ほど刺激に怯え、静かな所を好むような内向的な性格になる。
楽観的か悲観的かはその外交内向で決まってくるし、それだけでも随分と思考が色分けされる。今と未来の重要性、その見方をどう捉えてるかがわかったりする。
今日これ以上飲めば明日辛い。でも飲む。なんて言うのは経済学で言うところの「割引率」が高いと言えるし、スピリチュアルズに習えば「堅実性」が低いと言える。例えばそれはアリとキリギリスに近い話で、それだけでも性格と好みの傾向がわかる。
そんなことを観察しながら人の性格を見抜き、少しの話をする。
気が晴れた。また来るよ。また来てしまった。上手くいったよ。聞いてくれよ。
そんな感想や感謝を受けて、徐々に常連さんが増えていった。とりあえず個人で暮らせるくらいにはなった。
そうして、もしかしたら僕は、夢を叶えているのかもしれないと気づいた。
医師に成りたかったのではなく、人を助けたかったんだと、今ならわかる。
そんな事で大変な仕事と比べるなんて烏滸がましいとは思うけど、満足してくれるお客さんに、心は満たされていった。
つまり僕が逆に癒されたんだろう。
共助、それが嬉しい。
リベラルで自由な社会が共同体を破壊したけど、人はやはり助け合ってこそだと、改めてそう思う。
そんなある日、雫が何の前触れもなくやってきた。
なんでだよ。
◆
常連である男の子と、奇しくも失恋話をしている時だった。奥に通したサングラスの女性が、注文もせずにモゴモゴしていたのだけど、徐にそれを取ったのだ。
「和君…」
「あれ? マスター知り合いっすか?」
「…」
どこか悲壮感の漂う目の前の彼女が、不幸せでない事を祈ってきたのは間違いではない。けど人は見ただけではわからないし話してもらわないと今現在がわからない。
ただ、経験上、どこかその悲壮感が放つ匂い立つ色気を感じる。
どこか倒錯した感情というか、楚々とした女性が持つ魔性というか、崖っぷちの人間が放つ最後の煌めきというか。
有り体に言えば破滅願望を抱えているように見える。
発した声にその願望が乗っていて、それは僕の記憶に合致する気がする。
「……久しぶりだね、雫」
「ッ、うん…うん、久しぶり…です」
驚きと嬉しさを噛み締める時の仕草は変わらない…か。
少し予想と違う反応だけど、しかしいったい誰に聞いたのだろうか。
偶然の線も捨てきれないけど、父さんかな?
あまり驚くことが出来ないのは多分、小説より現実の方がよっぽど作り物みたいな偶然が起きたりすることを、長年眺め続けてきたからかもしれない。
まあ、人はそれをスレたという。スレたくなければ、夜の仕事はすべきではない、というのが僕の持論だ。
純情な子ほど、深く堕ちていくのが夜の世界だ。つまり僕だな。あははは。
「何にしましょう?」
「え? あ、お、お任せで……」
何処かうっとりしたような感じもしないでもないけど、カウンター側に立つと後ろのボトルとかライティングとかで、まあまあ魅力的に映る。
つまり勘違いだ。
これに騙される女の子多いんだよ。
ふと隣の彼を見ると、目がギラギラしていた。そういえば年上好きって言っていた。それに身体が半身に傾いている。
そして時刻はまもなく23時だ。
何があったか知らないが、幸あれ、雫。
そう思って僕は彼女への一杯を丁寧に作った。
君の話を聞くとして、とりあえず、隣の彼に今夜お持ち帰りしてもらおう。
それもまた人生だろうしね。
ははは。
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