第6話
和室の映像が写ったままの画面から、男女の声が聞こえてきた。
『楽しめたかい?』
『はい…けど…』
『まあまあ、水、そこに用意したから飲みなよ』
『ありがとう…ございます』
聞いたことのない声だ。いや脳が拒否しているのか、認知バイアスにかかっているのか、雫は画面を見つめていた。
『今回が…最後ですから』
『ああ、わかってる。最後に目一杯楽しもう』
『た、楽しむだなんて……』
その会話と共に画面にはシックな色調の浴衣姿の雫と隆章が現れた。ああ、自分の声を初めて聞いたのはいつだっただろうか。
『──くん、やめてよぉ』
『──最初に撮ったの雫だろっ』
『──そうだけど、恥ずかしいでしょう!』
その時隣に誰がいただろうか。その時わたしはどんな顔をしていただろうか。古い記憶が微かに過ぎるが、画面の中の二人がそれをかき消した。
『はは、湯上がり美人ってやつだね』
『からかわないでくださいっ。……本当に最後ですからね……あっ…ん、んちゅ』
これはあの温泉旅行で出掛けた宿だと雫はようやく認めた。あの時は乱れに乱れてその日は頭が真っ白で何を言ったか覚えてないくらいだった。
『はぁっ……、ぁっ……、あっ……!』
この翌日は最後になるだろうからデートみたいに楽しもうと、普通のカップルみたいにして過ごしたのは覚えている。
『あ、ああっ、いいっ! あっ、あっ、あっしょこっ、いいっ、気持ひいいっあっ、あぁっ、ぁっッッ!!』
俯瞰視点で続く、終わり…だったはずの一夜。朧げな記憶と凄まじい快楽の夜。
『なぁ、彼氏とどっちがいいんだい?』
『へ、あ、はぁ、し、りません、はぁ、んん』
知らないのは当然だ。雫は隆章一人しか経験がないのだから。
『あっ、あっ、こっ、しょこっ、いいっ、気持ひいいっ、あっ、あぁっ、あッ!!」
『俺にもしてくれよ』
『は、はいっ、ちゅる、じゅる』
そこには性を激しく貪り合う、若い男女がいた。
◆
髪を振り乱して何度も達した雫は、寝そべった隆章の上に倒れ込みそのまま抱きついた。それでも名残惜しいように尻だけをゆっくりと上下させていた。
隆章が動かしているのではない。
雫自身だった。
『自分で腰振って……いやらしい女になったね、雫?』
『はっ、あっ、あんっ、しょんなこと、隆章しゃんが、したんじゃないれすか……ん、ふぁ…」
その浅ましいまでに貪欲で、霰もない当時の若い姿に、雫は何を思うのか。
真っ黒な瞳でぼんやりと画面を眺めていた。
全てが事実なのだろうけど、どこか作り物みたいな世界が広がっていた。
画面のわたしは、まだまだ足りないとばかりに快楽に積極的だったのだ。
おかしい。
この頃はまだまだ恥ずかしくて消極的だったはずだ。いつの間にか記憶を失うくらいの快楽に、毎回不思議には思っていたのは確かだったけど、俯瞰して見れば明らかだ。
画面の私はさっきと全然違う。
いやらしく色に狂ったメスだった。
するとふいに画面の隆章と視線が合い、雫は意識をはっと取り戻した。
そして画面の隆章は今まで見た事もないほどにいやらしい笑顔をした後、ダブルピースを雫の左右の腰にピタリと添わせて違う方向に振るわせた。
『和馬くん、見てるかな?』
『かじゅま…? ああっ、かじゅくん、かじゅくん、ごめんらはいっ、ごめんらはいっ』
これは、果たして謝っているのだろうか。
拙いながらも速さを増した尻の、当時の自分の気持ちが、気持ちいいのだろうけどわからない。謝るなら立ち上がるはずだ。帰るはずだ。引き止めるならビンタすらお見舞いするだろう。私はそんな女だったはずだ。
それに私はそこまでお酒に弱くない。なのに呂律も回っていないし、下品な事など叫ばない。
尤も、ノコノコとこんな温泉まで、嘘をついてまでやってきたのだ。開放感もあるだろうけど、それにしても酷く浅ましい。
「ビッチじゃない…」
それに隆章さんのこんな醜悪な顔など、見たことがない。
だけど、匂いすらも鮮明に伝えてくるかのようなこの事実を見ても記憶は未だ朧げだ。
この映像が本当ならどう見ても何か別のものを飲まされたとしか思えない。
『もう終わるかい?』
『おわる…? やっ、やらっ、らめえっ! やらあっ! やらっやらやらやらあ!!』
『はは、だってさ、和馬くん』
『か、かじゅくん…? かじゅくん、えへっ、いやなのっ、これで終わりに──んむっ、ん…、ん…』
『ぷは、するってさ。じゃあな』
そこで唐突に映像が断ち切られた。
真っ暗な画面には、表情を無くした女が映っていた。
誠太が言っていたこと。
隆章が言っていたこと。
雫が言おうとした事と、これを見た人が感じること。
どこからどこまでがライブで、どこからどこまでを見せたかったのか、あるいは見られたのか。
誰に?
あはは、そんなの決まってるじゃない。
「…誤解どころじゃないわね……ふふ、はは、あはは…」
そしてこれは、和馬への悪質な一手だったのだと数年越しに気づいて、雫はようやく涙を溢した。
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