第4話

「プログレス…」



 プログレスとは雫と隆章が所属していたテニスサークルである。


 昨日、誠太が荒らした机を整理しようとしたら見つけたUSBに、それが細マジックで小さく書かれていた。


 中身を見ていいのかわからなかったが、雫は昨日の事を思い出してすぐにパソコンに向かいデータを見てみた。


 何個かあるフォルダは日付事に仕分けされていた。



「日付は…大学一年の時…?」



 大学一年と言えば、雫は上京したばかりで、まだ右も左も何も知らない頃だった。初めて目にする人の多さや都会の街並み、地元とは何もかも違うことに少しだけ不安に思ったことは覚えている。


 いや正直なところあまり覚えてはいない。


 いや、正確にはあまり思い出したくない、だった。


 入ったサークルの新入生歓迎会。そこで雫は隆章と浮気をしてしまった。その日のことはあまり覚えてはいないのだ。強いお酒を呑んでしまい、気づけばホテルにいた。


 それからは徐々に性に翻弄されていき、次第に朝帰りを繰り返し、当時の彼氏との時間が合わなくなっていった。


「…」


 思い出してしまうのはかつて最愛だった彼氏。幼馴染でもあった中嶋和馬がいつの間にか離れて行った時の苦い記憶である。


「和くん…」


 あの時、どうして何も言わずに去ったのだろう。


 おそらく何かあったのだろうと心配してくれていたことは雫もわかってはいた。


『──最近暗いけど大丈夫か?』

『──う、うん。大丈夫。思ったより忙しくて…』


 当時の雫には葛藤があった。


 それまでの価値観を一日で壊され、罪悪感から和馬とも会いたくなくて、その間、友人となった女の子達からもそれくらい今時普通だからと寧ろ手を出して来ない和馬を非難されたりした。


 あまり高価なアクセサリーなど貰ったこともつけた事もなかったがピンキーリングならいいだろうと隆章に強引にプレゼントされたりもしたが、気づかれなかった。


 いつもどうしようもない快楽と罪悪感に苛まれていて、夢を追いかけている和馬には言えなかった。


 でも心までは許してない、身体だけ、身体だけだからと自分に言い訳を繰り返し、ズルズルと隆章にはまっていった。


 悪いとは思っていた。駄目だとは思っていた。だが別れを切り出す勇気も隆章との凄まじい快楽から逃れる決断も待てなかった。


 そして気づいた時には、隣に住む和馬はいなくなっていた。サークルの合宿と称して出掛けた隆章との二泊三日の温泉旅行。それから帰ると隣のアパートはもぬけの殻だったのだ。


 雫が正気を取り戻したのはその時だった。


 和馬がいない事がわかると雫は和馬の通う大学に行き探し回った。慣れてきたヒールが折れても駆けずり回った。


 電話もメッセもチャットも全て解約、閉鎖されていて、庶務課で聞けばプライベートは教えられないと言われた。


 幼い頃からともに育ち、いつも優しい笑顔で包んでくれていた和馬。昔から好きで両片思いだとわかった時には嬉しくて飛び跳ねて母に怒られた。中学卒業時に付き合って、高校時代には甘い青春を送った。受験勉強では励まし合い、ともに上京してきた。


 隣同士でアパートを借りた。大学卒業後にすぐにプロポーズしてもらうためにお料理や洗濯、甲斐甲斐しくお世話をして、付き合った時の約束を果たすつもり──のはずだった。



『──和くん…なんでぇ…なんでいないのぉ…』


「…」



 結局、和馬は見つからなかった。


 その時、他で探してくれていた隆章に一枚の写真を見せられた。


 和馬と知らない女が仲良く歩いている写真だった。



『夏頃の写真。ショックだろうから黙ってた』



 ああ、わたしは捨てられたのだ。呆然自失となった雫をこれでもかと慰めてくれたのは隆章だった。


 そしてそのまま今に至る。



「…バカね…」



 今更そんなこと思い出しても仕方ないじゃない。雫は目を閉じた。


 その頃はもう言葉上だけの恋人で、隣に住むだけのただの幼馴染となっていた。和馬が雫を捨てても当然だったのだ。


(せめてお別れの言葉くらいは欲しかったけど…)


 そう思ってファイルを開けた。


 それは雫の。旧姓山井雫の。完全に隆章に堕ちるまでの記録だとも知らずに、雫は動画を再生した。

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