竜葬に参る

尾八原ジュージ

竜葬に参る

 突然轟々という音が僕たちを襲った。体が粉々になって吹き飛んでしまうような強烈な音だった。その音が止まるまでにおそらく一分もなかっただろうが、世界の終わりまで鳴り続けて止まないのではないのかと思った。

「牧さん、運がいいですね。『竜の声』ってのがこれですよ」

 僕の少し手前を歩いていた竜川さんが言った。この地方では名字に「竜」とか「龍」の字が入っていることが多く、彼もまた御多分にもれない。

 僕たちは■■県の森の中にいた。航空写真で見ると、ブロッコリーのようなこんもりとした緑が、海を見下ろすように崖の上を覆っている。

 向かっているのは「風穴」と呼ばれる場所である。

「風穴といやぁ富士の樹海なんか有名な観光地ですが、うちの方はとてもとても」

 竜川さんはそう嘆いた。町役場の観光課に勤めている彼は、役場で情報収集していた僕に声をかけてくれ、そのうえ案内まで買って出てくれたのだ。

「何しろ不便なとこですからねぇ。たまぁに学者さんなんかがいらして、調査したいと仰るんですが、観光にはねぇ」

 なるほど、彼の言う通り本当に不便なところだ。足場も悪いし、交通の便も悪い。加えてこの辺りは天候も崩れやすい。本格的な登山靴をはき、ナップザックに装備品を詰めた上、こうして地元の人の案内がなければたどりつけない場所だ。仮にこの風穴を観光地にするとして、まずここまでの通り道を確保せねばならない。大がかりな工事が必要だろう。

「風穴自体の中にこう、海の方に抜ける縦穴がありましてね。海風が通るとき、稀にさっきみたいなでかい音で鳴るんです。昔の人はあれを竜の声と呼び、風穴を竜神が住まう場所であるとして祀っていたそうです。そういや風穴の前に鳥居があるんですが、そろそろ見えてくるんじゃないかな」

 その前に一旦休みましょうか、という竜川さんの意見に、僕も賛成だった。学生時代はワンダーフォーゲル部で多少訓練をし、今でも体力には自信があるつもりだったが、いつの間にやらすっかり鈍ってしまって、もう息があがる寸前だった。一方仕事で訪れることがあるというだけあって、竜川さんは元気そうだ。

 僕たちはそのあたりの倒木に腰かけて水を飲み、チョコレートを齧った。竜川さんはケロッとした様子で説明を続ける。

「――ま、そういうわけでこの辺には、竜神伝説があるわけですね。もう大昔ですが、ここを管理している神主が死ぬと、数人がかりでわざわざこの風穴に遺体を持ってきて、洞窟の中の縦穴に放り込んで葬ったそうです。この縦穴からドボンとやると潮の流れの関係で滅多に浮かび上がらないんですが、それをいいことに『神主さまは竜神様の国に召された』なんて言ってね。俗に『竜葬』と呼んだそうですが、まぁ、水葬のことですね」

「風穴の中の縦穴ってのは、見られるんですか?」

 尋ねると、竜川さんはおおげさに肩をすくめてみせた。

「見られないこともないですが、危険ですよ。柵も何もないですし、うっかり足を滑らせたら、ダストシュートみたいに下の海まで真っ逆さまです。そのへんを踏まえて、この辺りには不穏な伝承がありましてね。食糧不足のおりに、働けなくなった人間を縦穴に追いやってそのまま……なんて。いわゆる口減らしをやってたって話がね」

「今でもありますよ」

 ふいに女の声が聞こえた。聞き覚えのない声だった。

 とっさに辺りを見渡したが、人の姿はない。樹木の間に隠れているのだろうか? でも、登山の装備を整えていないと入れないような場所だ。

 それにさっきの声は遠くから呼びかけるようなものではない。もっと近くから聞こえた。僕と竜川さんの間あたりから。

「どうしました?」

 竜川さんは不思議そうに僕を見つめる。

「ああ、いや……」

 きっと気のせいだろう。女の声なんか聞こえるものか。

「いやその、何でもないんです。昔にはありがちですが、怖い話ですね。口減らしなんて」

「本当ですよ。現代は働くことができなくなっても、最低限の生活は保障されますから、ありがたいもんです。殺人なんてとんでもない」

「うそつき」

 また女の声が聞こえた。

「口減らしなんてのは、過去の遺物と言いますか、失われた文化と言いますか」

「うそつき」

「そうそう、口減らしのために森の中へ分け入るところを見咎められたときは、『竜葬に参ります』と言うと、皆察してそれ以上何も言わなかった――なんて話もあります。本当かどうか知りませんが、年寄りなんか竜葬と聞くだけで嫌な顔をしますよ。さて、行きましょうか。もう少しだから」

 竜川さんが立ち上がる。僕も慌てて従った。歩きながらも、彼は竜葬の話を止めない。

「まぁ、竜葬イコール口減らしなんてのは、正直眉唾な話だと思います。大体、こんなところへ人間を連れてくるところからして大変でしょう? 遺体ならともかく、嫌がる人間を担いで――なんて、とてもとても」

「騙して歩かせてきたのよ」

 女の声。僕は黙ったまま、足元だけを見て歩いた。

「はは、昔の人はよっぽど足腰が強かったんでしょうかね。竜葬なんて、簡単なようで手間がかかるもんだ」

「行方不明になった妹は、風穴の縦穴の中にいるって」

「ああ、ほらあの赤いのが鳥居です。風穴の方はその奥」

「遺体が途中で引っ掛かってるって」

「別に立ち入り禁止ってわけじゃないんですが、できれば入らない方がいいですよ」

「嘘ついて私に穴を覗かせておいて、後ろから押したの」

 僕の耳に、生暖かい息がふっとかかった。

 思わず顔を上げたが、誰もいない。先を行く竜川さんが足を止め、「どうしました?」と尋ねる。

「ああ、いや……」

「ところで牧さんは、どうして風穴を見たいんでしたっけ?」

「あの〜、僕は写真を……」

「ああ、趣味でお写真をやられてるんでしたっけ。それにしちゃ道中一枚もお撮りにならないから」

 竜川さんはそう言い、歯を剥き出して笑った。

 そのとき、僕の耳のすぐ傍で、女の絶叫が弾けた。


 気がついたら地元の病院だった。

 僕は風穴の手前で気絶したらしい。竜川さんには謝られたが、別に彼が何かしたわけじゃない。助けを呼んでくれたのも彼だ。

「いや、あのとき縦穴が物凄い音で鳴りましたからね。ぼくもしばらく頭がクラクラしました。大事にならなくてよかった。仕事とはいえ危ないところにはもう行くなって、家内に叱られちゃいました」

「はは、奥さまにですか……」

 女の声が聞こえたことは、竜川さんには言えなかった。これからも、誰にも言わずにおこうと決めた。

 念のため一日入院し、翌日バスに乗ってようやく帰路についた。

 僕は車窓から外を眺めた。竜葬の地がどんどん遠ざかっていく。

 あそこで本当は何が起こったのか、話しかけてきた女は何者だったのか。気にならないと言ったら嘘だが、しかしわざわざ調べたりするつもりはない。

 それより、本当に不便な場所だった。たどり着くまでが一仕事だ。なにしろ自動車どころか、荷車だって押していけない。

(相手を騙して歩かせて、あそこまで連れていけばよかったのか。ともかく、僕が運んで行くのは無理だ)

 僕はこれから帰る家を想った。防臭剤と一緒に衣装ケースに入れっぱなしにしている、腐り始めた女の顔も思い浮かべた。

 風穴か。すでに死体になってしまったものを、捨てるには向かない場所らしい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

竜葬に参る 尾八原ジュージ @zi-yon

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説