第2話
「失礼します、1年の重信正樹です。三木先生に用事があって来ました。」
俺達は暑くても窓を開け放つだけしか許されていないのに、職員室は冷房の心地よい冷気に満たされていた。響くタイピング音とコピー機の稼働音に若干の居心地悪さを感じながら目的の机まで進む。
「こんにちは、三木先生。先日は顧問を引き受けてくださってありがとうございました。」
ジェルで固めているオールバックにリムレス眼鏡。それに加えて喪服のようなジャケットと重苦しい雰囲気を羽織っている。生徒ウケはあまり良くないだろう。
「誰かと思えば重信か。形だけの顧問なんて誰でもなれるんだから構わんよ。今日はどうしたんだ?恋愛相談なら俺は向いていないぞ。」
面白くないジョークだが、それに愛想笑いもしていられない。
「恋愛相談ではありませんが...今日は色々とお聞きしたいことがあってお伺いしました。」
何かを察したのかピタリとタイピングを止め、椅子ごとゆっくりとこちらを向く。クマがまるで瞳のように黒く、メガネのレンズ越しに見ると複眼のようだ。獲物は俺だろうか。
「まあ、とりあえずそこにでも座りたまえよ。大丈夫、白川先生は今頃受け持ってる部活でビシバシ指導してるからさ。」
俺が座ったのを確認して、ゆっくりと口を開く。
「で、話ってなんだ?」
「はい、自由部の事について色々お聞きしたく...」
「あのな、特に部活に関わることなく何もしなくていいって言うから引き受けたのだよ?もう少しで仕事終わるからさ、部活の話はまたの機会にしてくれないか?」
俺が口を開くなり、それを遮るようにしてそんな事を言ってきた。被せられて少しカチンと来た俺は、
「まあまあ、そんなつれないこと言わないで下さいよ。聞くところによると、先生って10年くらい前にもこの学校に居たんですよね?その頃に自由部ってありましたか?」
「う〜ん、俺も忙しいんだけどなぁ。それに10年前のことなんて覚えちゃいない。何となく荒れてた覚えはあるが、その程度だよ。...残業はなるべくしたくない。早く作業に戻らせてくれないか?」
「まあまあ、いいじゃないですか先生。意欲的な生徒に付き合うのが教師ってものでしょうに。色々あって、僕もこの学校と部活の歴史について学びたいんですよ。」
確実に「早く帰りたい」以上の意味を持つ拒否に、今更引き下がることなどできるはずもなかった。彼の瞳の奥に宿るイラつきからは目を逸らして、その後も質問をしつこく続けたが、最終的には『他の先生に呼ばれた』と言って強引に話を切り上げられてしまった。
ちょっと怒らせてしまったかもなと反省しながら、しかし長篠を待たせるわけにはいかないのですぐに全速力で部室へ向かう。
「すまない、待たせたな。」
本教棟から少し離れた特別教棟の4階まで全速力で駆けつけ、まだ5月の下旬だというのに汗だくになっている俺とは対照的に、麗しき長篠は優雅なクラシックを流しながらジャスミンティーを嗜んでいるところだった。
「いいえ、私も今来たところですのでお気になさらず。」
長篠と部活を始めてからはや2週間になるが、そこでいくつか分かったことがある。そのうちのひとつが、彼女はお茶の淹れ方にかなり厳しいということだ。無造作にポットから急須に注いで適当に煮出す俺とは違い、蒸らす時間やお湯の温度にさえ気を配り、いつも最高の1杯を飲むことにこだわっている。
「そうか、それは良かった。あのCD聴いてから俺も色々調べて回ってんだけど、あまり有用な手がかりは無いな。」
「私も同じです。そもそも彼らが何回生で、いつ自由部が休部したのかも分かりませんでした。どうやら、当時の先生方はもうこの学校には残っていないようですね。頼れる先輩のツテも無ければ、この鍵の使い方も分からないままですし。ああやって意気込んだものの、どうしますかねぇ。」
ダウナーな雰囲気を纏いながらそう言う割には優雅にティーカップを傾けている。先程は有用な手がかりがないとは言ったが、実は1人だけ情報を得られそうな先生がいた。
「なぁ長篠、休部している状態の部活を復旧させるには、部員を4人以上集める事とあと1つ条件があるんだが...わかるか?」
「条件...?そういえば特に詳しく聞いていませんでしたね。何が条件なのですか?」
「聞いてみればありきたりな答えではあるんだが、顧問を務めてくれる先生が必要なんだよ。古文の三木先生ってわかるか?お前のクラスの担当じゃないと思うんだけど...」
授業終わりは小腹が空くものである。食料庫と化したロッカーのひとつから匂いの少ないカップラーメンを取り出し、既に沸かされていた給湯器からこぽぽぽぽとお湯を汲みいれる。
「三木先生ですか。聞き馴染みがないですね。何年生の担当なんですか?」
「3年生らしい。俺たち1年生とは接点がないにもかかわらず顧問を引き受けてくれたんだ。ほかの先生は面倒事は嫌だとでも言いたげに断って来たんだけどな。とはいえ、見た目はやつれたおっさんだよ」
今のところ顧問らしいことは特にしてくれていないが、形だけでも面倒事を引き受けてくれたというのはありがたい。そうこうしているうちにあっという間に3分が経ち、カップラーメンは食べ頃になっていた。2人分の割り箸を用意していたので、先に長篠に食べるように促す。
「その三木先生はいつからここにいる人なんですか?古株なら自由部の事についても何か知ってるといいのですが」
ズルズルと麺をすすりながら長篠が問いかけてくる。全く冷まさずに食い進めているが、熱くないのだろうか。いつも飲んでいるお茶で熱さには耐性があるのかもしれない。
「10年程前に転勤したものの、最近になって戻って来たらしい。しか〜し、どうもきな臭いんだよな。自由部の事を聞けばはぐらかされるし、どうして顧問になってくれたのか聞いても教えてくれない。この前もしつこく聞いてたら挙句の果てには『私は顧問ではあるが、一切君たちに関わるつもりは無い』とまで言われちゃってさ...自由部の話題になると人が変わったように冷たくなるんだよ。」
ふとカップ麺を覗き込むともうスープしか残っていなかった。長篠は何食わぬ顔で口元を桃色のハンカチで拭っている。なんと面の皮が厚いヤツだ。
「おかしな話ですね。そんなの何か知ってるに違いありませんよ。もっと追求して根を上げさせてやりましょう」
長篠が珍しくニヤリといたずらっぽく微笑んで、そんなことを嘯いたその時だった。俺たち以外は滅多に開けないはずの教室の扉が勢いよく開き、1人の男がずけずけと入ってきた。
スラリとした長身、オールバックにリムレス眼鏡。その下にはクマが色濃く浮かんでいる。
「み、三木先生!?こんにちは。どうしたんですかこんなところに来て...」
「ふん、相変わらず悪趣味な教室だな...」
俺の声はシカトして教室をぐるりと見回し、そうつぶやく。...相変わらずだって?
「名簿には
手に持ったプリントをヒラヒラと振りながら、疲れたような声色で問いかける。当の長篠はというと、そんな三木先生にも動じず正面からまっすぐ
「はい、仰る通り私が長篠翠です。顧問の先生ですのに挨拶が遅れてしまいすみませんでした。これから何卒よろしくお願いします。」
一瞬、ほんの一瞬だったが三木先生の視線が侮蔑を交えたような鋭いものになったのを、俺は見逃すことが出来なかった。
「そう、か。君が長篠か...。こちらこそよろしく。これから仲良くやっていこうじゃないか。もっとも、君たちにその気があれば、だがね。ところで他の2人は今日は休みかな?」
「え、ええ。今日は休んでます。2人とも運動部との兼部なんで、こっちは優先度が低いんだと思います。」
「フン、そうか。別にそいつらはどうでもいい。早速本題に入ろう。君たち、ローダンの顔があしらわれた鍵の対応する場所は見つけたか?」
なんだって?
「ろ、ローダンって誰ですか?それに鍵?なんですか鍵って...急にそんなの言われても、なんのことだかさっぱりですよ」
さっきの視線や言動より、この男が一気に信用ならなくなった。他の2人は名前を貸してくれているだけとはいえ、長篠だけに興味を示し、俺を含め他は居ても居なくても変わらないというような態度はやはり気分のいいものでは無い。鍵についてはとっさにとぼけたものの、ハンと鼻を鳴らされすぐに一蹴された。
「とぼけなくても良い。両手のひらで覆えるくらいの鍵だ。しかめっ面をした男性の横顔が持ち手に刻まれている鍵を、君たちは持っているだろう。なんせ、そこに『入れ物』の残骸が無造作に放置されてているではないか」
偉大なる生物学者のローダンすら知らんとは全く期待はずれだなとぽつりと漏らし、鉛筆のような細長い指で半壊したダビデ像を指す。時間を取らせるなとでも言いたげなため息は、聞いているこっちまで疲れてくる。
ふと視線をやると、長篠が(話した?)とアイコンタクトを送ってきていた。それに小さく首を振って返すと、間髪入れず
「ちょっと待ってください先生。どうしてそんなことを...いや、あなたは―あなたは一体何を知っているんですか?」
鋭い視線で睨めつけたまま、語気を強めて長篠が問いかけた。それに対して、
「お前たちの知らないことならなんでも知ってるさ。」
と三木先生は動じずニヒルに笑い、話は終わりだとばかりにポケットから取り出した何かを机の上に叩きつける。
「これをお前たちの『先輩』から託されてたんだ。もしこの部活が再開されるようなことがあれば渡せってな。お前らの事だ、どうせなんの手がかりも得られてねんだろ?あいつらからの慈悲だと思えよ。...もう俺が関わるのはこれっきりだ。渡すもんは渡した。じゃあな」
そう一方的に言い残し、プリントをはためかせながら教室を出ていく三木先生に、俺たちは何も言えなかった。
「...重信くん。前言撤回、どころか前言徹底、ですね。あの人は確実に情報源になります。何がなんでも引き出しましょう」
「あ、あぁ。本当に言葉も出ないとはこのことなんだな。あの人は自由部の先輩と何か大きな繋がりがある。それは確かだが...あいつ、お前のことをすごい形相で睨んでなかったか?」
横顔だけでも鋭い視線が感じられるほど、普通じゃない目をしていた。長篠がそれに気づかなかったはずが無いのだが。
「私もずっと睨んでいたのでおあいこでしょう。そんなこと気にするだけ疲れるだけですよ。―それよりも、あの人が去り際に置いていったそれ、なんですか?」
俺が確認するよりも先に、長篠が手に取ったそれは、俺達の心を乱すには十分な代物だった。
見覚えのあるCDケースには、マッキーで
『自由部記録2』
とだけ記されていた。
春めく僕ら @Legat
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