春めく僕ら

@Legat

第1話

「青春って言葉、なんだか押し付けがましいよな。」


 窓を閉め切った部室であるにも関わらず、花粉はしつこく飛んでいるようだ。俺は花粉症では無いのでその辛さはよくわからないのだが。


「どういうことですか」


 箱ティッシュを渡すようにジェスチャーで促しながら、目の前の女が聞き返してくる。ロッカーの上にあるそれを投げ渡すと、彼女はすぐに盛大に鼻をかんだ。どうやら手持ちのポケットティッシュを使い切ってしまったらしい。


「ほら、青い春って書いて青春だろ?だけど青と聞いてパッと思い浮かぶ季節って夏じゃないかな。清々しい程の青空が広がっていて、そこに大きな入道雲がかかっているとか。春なら赤とか薄紅色を連想すると思うんだけど。」


「言われてみれば確かにそうですが、そんなに気にすることですかね。しかし、うーん。強いて言えば私は青に『若い』ってニュアンスが入ってる事の方が気に食わないですよ。」


 そう言いながらティッシュをゴミ箱に投げ捨て、窓際の後ろから2番目にある席に着く。『松浦』と『岡本』が相合傘で掘られているその机は彼女の指定席なのだ。俺もそれにならって隣の席に腰掛ける。


「よく甘酸っぱい青春、なんて言ったりしますけど、そこにはやはりどことなく『若気の至り』みたいなニュアンスがあるんですよね。昔のヤンチャを自慢してくるおじさんみたいで、むず痒いです。」


 無理して変な点をあげるとすればこのくらいですかね。でも私は好きですよ、青春。


 そう言って机から文庫本を取りだし、黙々と読み始める。赤也成行あかやなりゆきの『透過』。なかなか渋いチョイスだ。


 体が固まっていたのでうんと伸びをして、改めて我らが部室を見直してみる。


 しかしなんと不思議な教室だろうか。特別教棟の4階奥という位置関係も相まって、秘密基地のようだ。廊下に面している窓ガラスはヒビが入り、教室の中もお世辞にも綺麗とは言えない。年季の入った床には絵の具や油汚れのような何か分からないシミが点々としている。どうやら歴代の先輩方がここを倉庫として使っていたらしく、日に焼けた優勝旗や背の高いダビデ像(発泡スチロール製だ。やたらクオリティーが高い)、持ち手が黒く汚れた竹刀まで無造作に置かれてある。極めつけは教卓に置かれた大きなラジカセだ。不思議なことに、このラジカセだけキズひとつなく、まるで学校設立当初からそこにあったかのように馴染んでいる。


「ギーンコーンガーンゴーン...」


 錆びきったスピーカーから、ひび割れた音のチャイムが鳴る。5時、部活動開始のチャイムだ。


「まぁ。私達には程遠い言葉ですよ、青春なんて。恋の駆け引きや恋愛のあれこれもなければ、ライバルと共に熱中して切磋琢磨することもない。」


 彼女―長篠翠ながしのあきらはチャイムが合図だったかのように本から顔を上げ、しっとりとした瞳でこちらを見ながら、自嘲するようにそう言った。


「長篠...」


「なーんて言っても、私は重信くんとだらだら過ごすこの時間が好きですけれどね。」


 そう言って女神、もとい長篠はかすかに微笑む。カラスの濡羽のようなロングヘアが夕日に照らされる。聞こえないでくれと念じながら、ゴクリと生唾を飲み込む。その瞳に吸い込まれそうになる。夕日に照らされたホコリがキラキラと宝石のように舞っていて、俺の鼓動をさらに早くする。


 長篠、俺も―


 そう言いかけた時にはもう長篠は席を立っていた。文庫本には栞が挟まっており、ぴょこんと小さなリボンを覗かせている。やや早足で教卓まで歩み寄り、ラジカセの電源プラグをコンセントに差し込んでいた。


「さてと。何を流します?昨日は私が流したので、今日は重信君のお気に入りでいいですよ。クラシックにしますか?それともJ-POP?たまにはレゲエなんかもアリですね。」


「あ、あぁ。」


 吐き出しかけた言葉をグッと飲み込み、後ろのロッカーに無造作に置かれてある大量のCDを漁る。この時間に特別教棟を使う部活は俺たちの他にないらしく、締め切った窓越しに遠く運動部の掛け声が響くだけだ。


「しかし『自由部』なんておかしな部活ですよねぇ。なんでも、休部状態になっていたのを重信くんが再開したんでしたっけ?」


「あぁ、と言っても俺たち以外の奴らは名前を貸してくれただけだから、活動に一度も参加すること無く幽霊部員だけどな。」


 部活。中学校の頃は当然サッカーを続けるものだと思っていたが、熱意が無くだらだらとボールを蹴るだけのこの学校のサッカー部は、いかんせん俺に合わなかった。そして何となく皆から浮いていた俺は、小さなストレスのはけ口として使われた。いじめにも満たない、ほんの小さな嫌がらせの積み重ね。


 まぁ、結果的に1ヶ月ほどで辞めて正解だったと今は思う。小さなことが積もり積もって、大きなトラブルになることも少なくないから。サッカー部は辞めたものの帰宅部は嫌だった俺は、風の噂で今はメンバーが居らず休部している「自由部」があることを聞き、いたく興味を惹かれたため有り合わせのメンバーで復活させたのだ。なぜか先生方には相当に嫌な顔をされたが。


「そういえば、どうして長篠は俺の誘いに乗ってくれたんだ?大した接点もなかったのに。」


「...まぁまぁ、そんなことは今は良いじゃないですか。とにかく早くCD持ってきてくださいよ〜待ちくたびれちゃいますよ。それとも重信くんは女子を待たせる趣味でもあるんですか?悪趣味ですね。」


「な、なんでそんなに早口なんだ?びっくりするから急にまくし立てるなよ。...ん?なんだこれ」


 ガサゴソと漁っているロッカーの奥に、小さな穴が空いているのが見えた。穴を塞いでいた薄い板が劣化で割れてしまったのだろうか、ポケットに入れたクッキーのようにバキバキになっていた。奥は見覚えのないCDケースが入っており、割れた木に引っ掛けないように取り出してみると


『自由部記録1』


 とマッキーで書かれている。


「おい、長篠!見ろよこれ!なんかロッカーの奥に穴が空いてたんだけど、塞がれてたのが劣化してたみたいで、その奥から出てきたんだ。自由部記録って書いてあるぞ!自由部の先輩が隠してたんじゃないのか?凄くないか!?つ、繋がりを感じる〜!」


 過去一でテンションが上がった。下手な説明にドン引きしつつも、多少長篠も興味を持ってくれたようだ。


「うわ、なんですかそれ?意味がわかりませんが...結構面白そうじゃないですか。もし本当に自由部の人達が残したものなら、さながらダイイングメッセージですね。試しに再生してみましょうよ」


 ああ、と頷き早速CDを受け口にはめ込む。カチリと少し重たい蓋を閉める時の感覚が、俺はたまらなく好きだ。程なくして再生が開始される。どうやら3人が喋っているようだ。


『あ、あぁ〜、ちゃんと録れているのか?』

『もちろん録れてるわよ。波長が書き込まれてるでしょ。』

『この後CDに焼くの僕よ?パソコン室使えんなるからさっさと録音して欲しいんやけど...』

『では手短に話そう。―これを聞いているということは、俺等はこの世にはいないだろう』

『アホ!そんな大層な話じゃないでしょ!学校は卒業しとるけど。』

『まぁ、お前たちがいつどんな状況で聞いているかなんてどうでもいいんだ。―ところで、俺たちのコレクションは気に入ってくれたかな?これを聞いてるってことは俺たちのイカしたセンスを堪能してた所だろう。あのCDは俺たち自由部の活動の一環で集め』

『そんなんいいけんはよ本題入ってくれんかね。このスマホ冬になったら充電の減りが凄いんやから。』

『んん、そうだな。まずはこのメッセージを残した理由を言おうか。このメッセージを残した理由、それは―我々自由部が廃部になる本当の理由を伝えたいからだ。新入生が入部してこなかったからでは断じて無い。なんだ、しかし、そんな大事なことをただ喋ってもつまらない。君たち―新設自由部とでも呼ぼうか。そのメンバーが何人かは知らないが、せっかくなら交友を深めて欲しいものだな。つまりこれは我々からの挑戦状、と言ったところだ。レクリエーションに挑むような気持ちで頑張ってくれ。』

『もしこの教室が整理されてなかったら、その辺に発泡スチロールで作られたダビデ像があると思うの。その胸の辺りに鍵が埋め込まれてるから、それを使って頑張って謎を解き明かしてね〜!』

『無論、その像も俺等の作品だ。...それがどこで使える鍵かも教えない。この学校のどこかに対応した扉があるはずだ。俺等の後継者たるもの、自分たちの力で探し出さんとな。』

『ま、もし分からんかった用にNo.2の音声も録っとくけん、安心してな。』

『...まぁ、メッセージ1で言うことはそんなところね。大丈夫、君たちなら絶対できるから!』

『はん、せいぜい頑張る事だな。―なお、このテープは再生後すぐに爆発するようになっている。』

『するわけないやん。アホなこと言ってないではよ切れや。しょーもない影響受けんでええわほんまに。』

『それじゃ、ばいっばーい!』


 キュルルとCDの回転がおさまる音がして、長篠と俺は顔を見合わせる。


「......。どう思うよ、これ。」


「どう思うも何も、卒業した先輩方からのメッセージでしょう。はは、ダイイングメッセージってのは言い得て妙でしたね。」


「しかしなぁ。自由部が休部になった本当の理由?そんなもん知ってどうなるってんだ。」


「いいじゃないですか、私は気になりますよ?私達が聞いていた曲をチョイスした先輩方がどんな人間だったのか興味もありますしね。どうせ今のままではだらだらするだけでしたし、長い3年間、楽しみましょうよ。」


「長篠がいいならいいんだが...なんというか、現実味がないな。高校生活でこんなことがあるなんて想像も及ばなかったよ。」


 正直、長篠と一緒に過ごす無意味な時間が好きだったのだが、趣向を変えて先輩方の挑戦状を受けて立つのもまた一興だろう。


「そうと決まったら、早速鍵を取り出してみるか。俺は机を退かすから、そこのダビデ像を空いたスペースに寝かすように置いてくれないか?」


「わかりました。」


 床に寝かされたダビデ像を改めてよく見てみると、側面に焼いてくっつけたかのような跡があった。都合よく近くにあった錆びたカッターを差し込み、ざくざくと開けていく。


「考えてみれば当然ですけど、中は空洞になってるんですね。あの先輩方はよくこんな凝ったものを作りましたよね。しかも撤去されずに放置なんて、変ですねぇ。」


 胸の部分をバリッとこじ開け、中に入っていた鍵を取り出す。


「長篠、もう鍵は取り出せたからあんまりジロジロ見るなよ。」


 完成度が高い凝った仕上がりということは、つまり男性の裸体が緻密に再現されているということだ。それを長篠が眺めることは、俺にとっては気分のいいものでは無い。


「はいはい、重信くんも繊細だねぇ。それじゃあ代わりに鍵をよく見せてくれない?」


「繊細で悪いな...。ほら、これだよ。」


 長篠が興味深く眺めているそれは、昔の学者のような横顔がデザインされた金属製の鍵だった。ずしりとくる重さがあり、しっかりとした造りになっているのだろうその鍵は、沈みかけの太陽の光を浴びて鈍く輝いていおり、俺の心を踊らせる。


「うーん、特に変わったところもない普通の鍵だね。この顔は誰の顔なんだろう?」


「さあな。それもこれからわかるんじゃないか?」


 真実を知り、これから背負うものの重さは、こんなものでは無いことなんてつゆほども知らずに俺たちはそんなことをのたまっていた。

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