第16話

 僕は、消えなければならない。きっとそうに違いない。だって。

 僕として『起きた』とき、空気が心もち湿っぽくて。顔洗おうと洗面台に向かって。鏡に映っていたのは、涙を流した姉さんだった。僕の筈なのに。

 遂に、やってしまった。悲しいような、ちょっぴりだけ嬉しいような。

 僕は…。自室に入って、精神科のホームページの印刷を、ファイルから引っ張り出した。一年ごとに、検索し直しているこれらのうち一部、一番上に重なっていたものを持ち上げる。これは確か、先週調べたときのものだ。

 それを左手に携えたまま、右手で机の引き出しの鍵を開けて、中身を引っかき回す。

 丸っこい角が手に触れた。ことあるごとに読んだからだろう、目当ての品は、存外簡単に見つかった。取り出してデスクに載せ、世界でただひとつの小さく薄い冊子に目を落とす。

 探していたのは母子手帳。

 これから姉さんが通うべき病院の情報と共に、ダイニングへと運ぶ。簡素なテーブルに、コピーした紙を置き、更に手帳を重ねた。

 この作業を進める間、僕はずっと泣きそうだった。そんな権利あると考えることさえ、蛆よりも卑しく傲慢でしかないのに。

 報せなかったから何年も延命出来たに過ぎないのに。小説で現実から逃げ続け、ひたすら彼女の時間と人間関係に寄生していただけだった。

 ようやく、覚悟が決まった。これ以上、僕には出来ない。

 最初から結論は同じだった。僕は、死ななければならない。

 

『さよなら』

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