幕間1 侯爵家の人々
「ローザリアの行方はまだわからないのか!」
執務室に集められた使用人達を侯爵家当主、シャルル・ブランディノワールが叱りつける。シャルルは三年前に当主についたばかりで、ようやく執務にもこの部屋にも馴染んだ頃だ。先代と比べるとまだまだ迫力に欠ける。それは私が彼の妻の従妹であるからそう見えるのかもしれない。
ただ、激昂する理由はわからなくもない。
ローザリアお嬢様が家出をされてから既に十日。
腕ほどの長さがある赤みがかった真っ直ぐな金髪を、まるで赤子を抱くように両手に抱える。それはあの家出があった日、ベッドにばら撒かれていた大量の髪の毛。何度も見せられたそれに目を落とした後、私を睨むような目をして声を張り上げた。
「レナータはどうして気づかなかった!」
「申し訳ありません」
ローザリアお嬢様の部屋付きの侍女である私は、他のお子様達のお世話もする。それを良いことに、何かあるとすぐに私が呼び出される。そしてこう言っては何だけど、叱られるのにも慣れてしまった。当主様は子供を可愛がり過ぎなのだ。怪我をさせたら叱られ、病気になったら叱られ、子供が喧嘩したら何とかしろと言われる。その代わりに当主様よりも懐かれているのですが、微妙にわかっておられない。それなのに愛情をぶつけようとしてすれ違う。そして妻であるエリザベートに慰められる。
「あなた、レナータを咎めてもローザリアは帰ってきませんよ。私も伯爵家を頼って情報を集めるように言っております。きっと手がかりを見つけて来ますから、今は落ち着いてください。それに怒鳴ってばかりですと、喉を痛めますし、バートランドも怖がってしまいますよ」
そのバートランド坊っちゃんは私の後ろに隠れています。八歳になったばかりですが、ローザリアお嬢様に大変可愛がられて両親以上に懐かれていたんじゃないでしょうか。ローザリアお嬢様が出て行かれてからは、私にべったりです。顔の作りこそ従姉には負けますが、赤みがかった真っ直ぐな金髪はお嬢様と瓜二つ。従姉の髪は緩やかに波打って風にたなびく様は……どうでもいいですね。坊っちゃんが私の後ろ姿を見かけて駆け寄ってくる姿はとても可愛いんですよ。
当主様が手を差し伸べると恐る恐る近寄って行きます。代わりに私が髪の束を受け取ることになりました。
もう一人の坊ちゃん、長男のマーシャル様はその様子を困ったような目で見ています。坊っちゃんは当主様に良く似て、焦げ茶の髪に藍色の瞳、使用人達からもブランディノワール侯爵家の血を濃く引き継いでいると喜ばれています。来年には成人の十四歳になられ、そのタイミングで社交デビューして婚約者の選定が始まる。侯爵家という立場であれば、希望すればほとんど受け入れられるでしょう。そして同時に翌年十三歳になられるローザリアお嬢様にも婚約者を見つけると言い始めたから大変。お嬢様は多少……問題はありましたが、当主様の言うことは聞いていたのです。令嬢教育をしっかりと身に付け、その上で空いた時間なら好きにして良いと。それなのに婚約者を見つける理由が、大好きな剣術の練習を辞めさせるためだと知ればどうなるか、当主様以外は全員が理解していたことでしょう。だから私が口にできる言葉は「申し訳ありません」しかないです。
それからもう一人いらっしゃる、下のお嬢様のカロリーネ様は呆れたご様子ですね。明るい青い瞳と波打つような金髪が従姉にそっくりで、ヴィンターフェルト伯爵家の血筋であるのがすぐに分かります。ローザリアお嬢様の二つ年下ですが、姉をライバル視して頑張ってきたのに、不在になってしまっては感情をぶつける先がありません。近頃ではバートランド坊ちゃんの次によく会いに来てくださいます。嬉しいですね。
私も、もう二六歳。本当なら従姉のように何人か子供がいてもおかしくない年齢です。その従姉、エリザベートは十六歳で結婚、十七歳で第一子、十八歳で第二子と続き、二〇歳で第三子の妊娠がわかると、子育てが大変だから侍女の一人として来て欲しいと呼ばれました。そして考えさせられました。十六歳なのに婚約すら決まっていない、どうせ子爵家から望んで嫁げる先なんて同じかそれ以下しかないんだったら、侯爵家の侍女の方が良さそうだ、と。環境の変化に戸惑うことはありましたが、従姉の子供達はとても可愛らしく、私に懐いてくれました。えぇ、それはもう従姉以上に。結婚が決まらぬままではありますが、このお屋敷で十年勤めています。もうここで骨を埋める覚悟です。
おっと、バートランド坊っちゃんを抱きかかえてデレデレしていた当主様が元に戻りましたね。
では、当主様、お預かりしていた私の髪をお返ししますね。
◇
「レナータ」
「はい、奥様。お呼びと伺いました。何かございましたか」
従姉と直接話をするのも久しぶりな気がします。近頃はお嬢様や坊っちゃんの相手ばかり。本当なら空いた時間に従姉の面倒……相手をするのですが、従姉の方が空いていないのです。不思議ですね。
「どうして私には教えてくれなかったのかしら?」
おそらくはローザリアお嬢様が家出したことでしょう。言えるわけがありません。まだ当主様に告げ口して、お嬢様に怒られた方がマシです。きっとお嬢様も怒りを鎮められた後は私を労ってくれるでしょう。それぐらい駄目に決まってます。
「申し訳ありません」
本当に便利な言葉です。ちゃんと謝ってますから。それなのに頭を下げている私の上から少し弾んだ声がする。
「レナ」
「……もう少し私の立場を考えてください。私はただの侍女です」
「気にしなくていいのよ。だってレナは私の妹みたいなものでしょう?」
「……エッタが気にしなくても、私が気にするの。当主様を慰めて来たんでしょ? 疲れてるでしょうから、当主様の寝室にお戻り下さい。あとその格好は独身の私には猛毒です。早々に退出を命じてください」
四人も子供を生んだエッタの体調を気にしてしばらくは寝室を分けていましたが、ローザリアお嬢様が姿を消してからは夫婦の時間が増えたようです。おまけに薄着で上気させた肌を見せられれば、さっきまで夫婦の営みがあったのは聞くまでもありません。どっちが主導権をもっているのかなんて、想像に難くありませんね。
それはともかく、私にとって猛毒だと言ってるんですよ? 日を改めるとか、ちょっとは遠慮してもらえませんかね。
「だめよ。これからが楽しい時間じゃない。ロゼッタとカトラがどこにいるのか、レナも知っているんでしょう? 仲間外れなんてずるいわ。教えてくれたらあなたの髪を使わなくても、私が手伝ってあげたのに」
ぷぅと頬をふくらませている四人の子持ち奥様三〇歳。なのにまだ令嬢って言えそうなぐらい若く見えるのが腹が立つ。まぁ私も似た容姿なので、きっと大丈夫。おまけに若い。
それにしてもいつあの髪が私のものだって気がついたんですかね。当主様が持っていたのは子爵令嬢でいることを諦め、侍女になると決めた日に切り落としたもの。手入れはしっかりしていたはずですが、匂いでも違ったんでしょうか。
……ちょっと待って。なんで私が知ったばかりのお嬢様とカトリーナの名前が出てくるの?
「エッタが手伝ったらローザリアお嬢様が絶対に怒るから。お嬢様からは当主様、エッタの二人だけには絶対に教えないでって言ってたのよ。それなのになんでもうそこまで知ってるのよ?」
「ふふふ、だってローザリアったら、あの方のところに来るんだもの。それも娘になって身を寄せてるの。ローザリアがあの方と私の子供ですって。素敵だと思わない? あの方のことをパパって呼んでるのよ。帰ってきたらママって呼んでもらおうかしら。お帰りなさい、フラウエッタママですよ〜」
そこに居ないはずのお嬢様を抱きしめるように、大きな自分の胸を抱いて身体をくねらせる。同性の私でも羨ましい物を見せびらかさないで欲しい。私にもあれほどのものがあれば……まぁ、無い物ねだりをしても仕方がありません。
申し訳ありません、お嬢様。行き先を秘密にすることはやはり無理だったようです。エッタの伝手は伯爵家のもの。何故か結婚前ぐらいから情報を集めるのが得意になっているんですよね。子爵家の内情なんて全て筒抜けでしたよ。侯爵家で世話になっている私では到底隠しようがありません。
でも、お嬢様も家出するなら他のところにしてくれれば……まぁ、お嬢様もエッタの娘ですしね。いつかバレると思ってましたよ。早すぎですけど。それにしても、なんで英雄様の娘になったんですか? エッタが知ったら喜ぶに決まってるじゃないですか。母親を
未だ機嫌の良いエッタを見ると、よほど当主様を悦ばせてきたのでしょうね。明日の朝は起きて来られるかしら?
エッタの胸を焦がし続けている英雄様には会ったことはないけど、当主様にも似た面影があるらしい。生活が破綻しなきゃいいですね。
「……それで呼び出した理由は確認だけ? 惚気なら今度にして欲しいんだけど?」
「もう、子供達の相手ばかりじゃなくて、私の相手もしてくれてもいいでしょ。少しぐらいは付き合ってよ」
「私の生きてきた時間の半分はエッタと一緒にいるのよ。これから先のことを考えると、ほとんどずっと一緒。少しぐらい解放してよ」
「あら、拗ねちゃった。それならこんな話題はどうかしら? レナに結婚相手を見つけるの」
それは……それは聞き捨てなりません。いくら私が侍女を勤めているからと言って、女を諦めたわけではありません。懐いてくれる子供達が、自分で生んだ子だったらと思うことは一度や二度じゃありませんし、ローザリアお嬢様が私に似ていることを神に感謝した事があるぐらいです。中身はエッタ以上に振り回してくれるお姫様ですが。
今更
「奥様、詳しくお聞きしてもよろしいでしょうか? 侯爵家に連なるお方ですか? それとも伯爵家? あ、できれば使用人の方は遠慮したいのですが」
「ふふふ、じゃあ今晩はゆっくりお話しましょうか。子供の時みたいにね」
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