第2話 パパじゃない

 いつものように酒場で喧騒を聞きながら程よく酔っていた俺は、気がつけばなぜだか個室へ案内されていた。個室の中では少女と俺の二人きりだ。少女は椅子の縁に腰掛け、楽しそうに足をぶらぶらさせながら甘えた声で話しかけてくる。


「ねぇ、パパ。ドラゴン倒しにいこー? 駄目だったらワイバーンでもいいよ?」

「俺はパパじゃないし、ドラゴンも倒しに行かない。ワイバーンもだ」


 少女の無邪気な提案に、俺は眉をひそめる。なぜわざわざ危険な目に遭いに行こうと言うのか理解できない。女の子なら幻獣ユニコーンを探しに行きたいと夢のある話ぐらいあるだろう。実際にいるのかは知らないが。

 しかし、少女は諦めず、頬を膨らませて拗ねた様子を見せる。


「えー、でもパパの短剣ってドラゴンの牙なんでしょう? わたしも同じのが欲しい!」


 そんなに現実的な話が聞きたいならしてやろう。


「同じのって言うが、ドラゴンは牙が大きいから短剣になるが、ワイバーンは小さいから作れてもナイフだ。魔法金属より脆いから投げナイフにするのが精一杯だろうな」


 他にも素材を持ち帰れば金貨が山程貰えること間違いなしだ。あまりの重さで持ち帰れるかどうかは別の話だがな。大人数で戦えば被害が大きい、少人数だと持ち帰れる素材が少ない。メリットよりデメリットのほうが遥かに大きい。正気で戦う相手なんかじゃない。

 少女は一瞬考え込み、そして再び目を輝かせた。


「そっか。牙が欲しいなら、ドラゴンを倒すしかない。うん、頑張ろうね、パパ!」


 俺は頭を掻きながらもう一度言うしかなかった。


「そんな理由で倒しにいかないし、パパになった覚えもない」


 どんなに邪険に扱おうが、少女はニコニコと笑みを浮かべたままだ。その無邪気な笑顔に、俺はどうしてもため息をつかざるを得なかった。嫌がらせに酒臭い息を吹きかけると、少女は「酔っちゃった」と言って腕を絡ませてくる。

 このマセ……おしゃまな少女の名はロゼッタ。自称、俺の娘だという。


「なんでこんなことになったんだろうな……」


 少女は小首をかしげて答える。


「んー、自業自得?」

「なんでだよ……」


 俺は天井を見上げながら独り言のように呟いた。



「パパ!」


 酒場で管を巻いていた俺の元に、輝かんばかりの笑顔で少女が飛び込んできた。賑やかな酒場の中で、少女の高い声がひときわ響き渡る。何処かの迷子が見間違えてしまったのだろうと、軽く笑みを返してやったんだが、思いのほか懐かれてしまった。そんなことで気を良くして、ジュースを一杯奢ってやった。少女は喜んで受け取り、喉を潤したあと、どうしてここに来たのかを喋りだした。


「それでね、ママと会えなくなったからパパのところに来たんだよ」

「そうか。それは大変だったな。それでママとパパの名前は? 知ってる奴に案内させるよ」

「ママはフラウエッタ、パパはリヴェルだよ」


 フラウエッタと言う名前には憶えがなかったが、リヴェルと言うのは良く知っている。俺だ。この町で同名の奴には会ったことがない。きっと酒を飲み過ぎたのだろう。


「パパの名前をもう一度言ってくれる? たぶん聞き間違えたと思うんだ」

「いいよ。パパの名前はリヴェル。冒険者をしてるんだよね、パパ?」


 少女は疑いを持たない澄んだ目を俺に向ける。間違いなく俺をリヴェルと認識して、職業も把握したうえでパパと呼ぶ。つまり、この少女は――


「俺の娘だとっ!?」


 立ち上がりざまに椅子を倒してしまい、周りから注目を集めているのがわかる。しかし、そんなことは酔った頭では無視された。この愛らしい……じゃなく、迷子が俺の娘だと言うのか。確かに若い頃はナンパしたり、娼館へ行くこともあった。だが子供を――


「あ、そっか。ごめんなさい、自己紹介がまだでした。初めまして、わたしロゼッタと言います。これからよろしくね、パパ」


 気がついたときには椅子に座らされ、頭から水をかぶっていた。どうやら酒場の親父が親切にしてくれたらしい。振り返ると個室に行けと親指で指す。それはまるで死刑宣告のようだった。


「それで、ロゼッタさん」

「子供にさんを付けるのって、疚しいことを隠してるってママが言ってたよ」

「……いいかい、ロゼッタちゃん」

「ロゼッタでいいよ、パパ」


 身体の中に残っていた酒気を吐き出すようにゆっくりと深呼吸をする。


「ロゼッタ。俺は確かにリヴェルだ。間違っていない。だがフラウエッタという女性に心当たりはない。君のママが何か事情があってロゼッタを遣わしたんじゃないか? 困っていることがあるなら相談に乗ってもいい。だから――」

「ありがとう! ママの言う通りの人だった! パパはきっと助けてくれるって信じてた!」

「やっぱりそうか、そういうことなら――」

「お願い! わたしを冒険者にして、パパ! 冒険者になったら、きっとママも喜ぶから!」


 再び気を失わなかったのは褒めてもいいと思う。

 ロゼッタは話を聞き流していた俺に、「仕方がないパパだなぁ」と嬉しそうにもう一度最初から話をしてくれた。旅団に便乗して街から街へと移動している最中、旅団は魔獣に襲われてしまった。その混乱の中で、ロゼッタはママとは別の馬車に乗り込んでしまった。同乗していた人たちを他の町に下ろし、いざ自分の番になると、先行したママの乗った馬車に追いつくことは難しく、一人きりになってしまった。ロゼッタはママから万が一のことを聞いていた。ママと離れることになったら、パパを探すこと。冒険者ギルドで訪ねればきっと見つかると言われていたのを思い出した。目印は竜牙の短剣を持っている白銀の男性。その人物のことは寝物語に英雄の冒険譚として聞かされていた。その英雄譚とやらを聞くと、内容は間違いなく俺が体験したものだった。


「さすがに泥だらけの格好だと恥ずかしかったから、お風呂に入って身嗜みを整えてきたの。褒めていいよ、パパ」

「第一印象は大事だ。良く気がついたな」


 確かに身嗜みも大事だが、それよりも衝撃的なことがあったけどな。

 頭を撫でると、ロゼッタは嬉しそうに椅子を持ってきて隣に座り、「もっともっと」とねだる。こんなに懐かれてしまった子を追い出すわけにもいかず、俺はどうしたものかと頭を悩ませながら手を動かした。


 状況を整理しよう。

 一つはフラウエッタという女性。ロゼッタの母親で生存しているらしい。ロゼッタ似の美人だと言われ、会いたくなったが、酒精の残る頭ではどうやっても思い出せない。一旦保留。


 もう一つはロゼッタの正体。ロゼッタの身長は俺の腹ほどしかなく、百二十センチメートルといったところか。年齢は十二歳。赤みがかった金髪を背中まで伸ばし、くるりとした大きな瞳は黒に近い藍色。覗き込んできた酒場の親父によると、瞳の色は俺と良く似ているらしい。俺の髪は銀色だから髪は母親譲りか? 形の整った眉にくっきりとした鼻、顔の造りは町娘には見えないぐらい整っている。若い頃の俺は何処かの令嬢と駆け落ちでもしたのか? 十二、三年前だと派手に遊んだ時期と一致するのが恐ろしい。だが、こんな容姿の女と遊んだのなら記憶にあるはずだが……


 そして最後に、冒険者になりたいという本人の希望。ロゼッタは冒険者に憧れていて、俺の手解きが欲しいらしい。護身用のナイフしか持っていなかったが、試しに短剣を持たせると、驚くほどしっかりと振れている。数日で身につけたという誤魔化しがない。だが、その程度で一人旅は無理だ。この町に来られたのも、女性兵士の同行があったと説明した。本来なら母親のもとに届けるのが筋だが、女性兵士はロゼッタの希望に従い、役目を果たせる相手に任せた。その女性兵士は酒場の外で待っているらしい。


「ロゼッタ、俺を頼ってここまで来たのなら、ママのところまで同行してやってもいい」

「本当ですか!?」

「最後まで聞け。俺が同行しても、魔獣に襲われたら護りきれないかもしれない。だから自分の身を護れるようになりたいと言うのは理解できる。それに、路銀がなければ飯に困るし、馬車にも乗れない。冒険者になれば一時的に大きく稼げるが、逆に大怪我をして死ぬこともある。生きて冒険者を辞められるのは半分以下だ。無事に終える者はもっと少ない。それでも冒険者になりたいか? 俺としては、町で待っていて、金が貯まり次第出発するというのを提案したいが……」


 俺が強く言ったからだろう。ロゼッタは両手を合わせて口を覆い、話を聞きながらコクコクと頷いている。話を飲み込めたのか、今度は膝の上で両手を重ね、身体ごと真っ直ぐに俺を見た。


「もちろん、全部理解していま……る。ママには悪いけど、今とってもワクワクしてるの。それにパパが一緒なら、絶対安全だもん」

「安全じゃないって、今説明しただろうが……」

「んー、だったらパパ? たとえば宿に可愛い女の子が一人で待っていて、ちょっと買い物しようって外に出たら、人攫いに遭ったりしない?」


 自分で可愛いとか言うかよ。自信があるのはいいことだけどな。それはともかく、ロゼッタを町に残して依頼を受ける……言葉では大したことがないように感じるが、想像すると不安になる。ロゼッタの言う通りだ。町の中は治安がいいが、目の届かないところもある。盗賊が根城にする孤児院があったぐらいだ。そんなところに可愛……ロゼッタを一人で行動させることを黙認できるか? 心配で依頼どころじゃなくなるぞ?

 だが、なるほど、孤児院か。


「なんなら、依頼を受けてる間は孤児院で待ってるか?」

「手引する大人が子供になるぐらいで、変わらないんじゃない?」


 冒険者になりたがるなんて衝動的かと思ったら、結構考えているな。一般的な孤児院に金はない。町の有力者から寄付があればいいぐらいだ。そんな孤児院に大金ロゼッタを放り込むようなもの。まぁ、今なら間違いなく清廉潔白だぞ。

 当面はできるだけ一緒に受けられる依頼を優先し、連れて行くのが難しそうなら預け先を考えるということで納得させた。


「やったーっ! これで冒険者になれる!」

「一人で依頼とか受けるなよ。そもそもママのところに連れて行くまでだからな」

「わかってまーす。パパは心配性だなぁ」


 分かってんのか本当に。そうだ、確認するべきことがまだある。


「ロゼッタ」

「なあに、パパ?」

「それだ、それ。パパと呼ぶのはやめろ」


 可愛らしく首を傾げてもダメだぞ。


「リヴェルって呼んだほうがいいのかしら?」


 なんで艶っぽく言った? 誰の真似だ? 唇に指を当てて流し目で見るな。そういう色仕掛けは大人になってからにしろ。


「何度も言うが、頼られたからには責任を持つつもりだ。だが、俺はロゼッタのパパになった覚えはない。俺のことはリヴェルさんと呼べ」


 突き放すように言うと泣き出すかと思ったが、困ったような顔をする。そして少しの間黙り込んだかと思うと、クスリと笑って居住まいを正した。


「リヴェルさん、わたしからも一つ良いですか?」


 歳に似合わない落ち着きを見せるロゼッタに、酷く嫌な予感がする。しかし立場を確認させようとしたのは俺の方だ。今更話を拒むことなど出来ようはずもない。覚悟を決めて言葉を促した。


「人に聞かれたら、恋人って答えるのと、パパって答えるの、どっちがいいかしら?」


————

 ここまで読んでいただき、ありがとうございます。


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 次は0時に更新します。

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