第3話 日常1

セクハラの件があってから、毎日「大丈夫?」と心配されて、入れ代わり立ち代わり看護師の誰かが、増井さんとわたしがいるところに顔を出すようになったから、それが逆に仕事を増やしてしまって申し訳なかった。


そんなふうに、残り1週間の実習は過ぎていった。




実習の最終日を終えて、更衣室に入ると、小春と中村さんが既に着替えているところだった。

同じ実習先でも、休憩時間はバラバラだったし、終わる時間もバラバラだったから、最後に初めて3人でゆっくり顔を合わせた。

明日から大学は春休みに入るから、しばらく会うこともない。


「ねぇ、何か食べて帰ろうよ! 打ち上げ的な感じ」


言い出しっぺは小春だった。


「いいね! 中村さん行こう! 同じ呼吸器内科グループだったのに、あまり話せなかったから」

「いいの?」

「当然!」




駅前まで行って、一番最初に目についた居酒屋に入ると飲み物を頼んで、ようやく一息ついた。


「お疲れ様でした!」

「お疲れ様です」

「ホント、疲れた」

「中村さんはウーロン茶で良かったの?」

「お酒は苦手だから」

「サラリーマンが会社帰りにお酒飲みたい気持ちわかったわぁ」

「やめてよ、小春ってばオヤジ」

「でもさ、呼吸器内科、優しい先輩ばっかりで良かったよねー」


小春が早速、枝豆をぱくつく。


「看護師長もいい人だったね」

「空ってば、看護師長と結構仲良く話してたよね」

「倉田さんって、空って名前なの?」

「中村さん、後半グループだから大学でもあまり話したことなかったよね。空に夏って書いて、『そらか』。空って呼ばれることが多いけど。好きな方で呼んで」


大学での演習は、出席番号で前半グループと後半グループに別れて、違う教室で行われていた。だから後半グループの中村さんと一緒になるのは、今回が初めてだった。


「私も、良かったら凛って呼んでもらえたら」

「わたしは小春で。よろしくね、凛!」


凛が恥ずかしそうな笑みを浮かべた。


「2人とも、どうして看護師になろうと思ったのか聞いていい?」


「看護科に行ってる」と言うと、必ず聞かれる定番の質問を凛がふってきた。


「私は、子供の頃病気をした時に担当してくれた看護師さんに支えてもらったのがきっかけで、将来の夢になったの。そばで『大丈夫だからね』って、言ってもらえるだけで勇気をもらえたから。いつか自分もそんなふうに誰かの役に立つ仕事がしたい、って」



言葉の力は、わたしもよく知っている。


『なくてもいい知識なんてないの。それを得られる環境にあるなら、それを自分の糧にしなさい』と、当時中学生だったわたしに言ってくれた人がいた。


それは、わたしが看護学校ではなく、大学の看護学科に進むことを選んだ理由になった。

一般教養に加え、実際に手術を行っている先生の講義は勉強になった。度々手術室から呼び出しがあって、講義が中断してしまうこともあったけれど、それだけ重要な仕事なんだということを実感させられた。



「わたしは、母親と姉が看護師で、ずっとその姿見てきたから自然とね」


小春の母親は別の病院の看護師長だと、以前教えてもらったことがある。その同じ病院の別の科で、お姉さんも看護師として働いている。


「そ、空は?」

「わたしは――」



『Change your irrational anger to kindness.』


わたしの胸に、深く刻まれている言葉。



「わたしは、テレビドラマの影響。かっこいいなぁ、って思って」

「そう……なんだ……」


凛のトーンが明らかに低くなる。


「でもさ、空は前半グループの中でも、稲村先生が認める演習のトップだから」

「小春、それ初めて聞くよ? そんなの誰も言ってないし、演習のトップって何?」

「だって、滅菌手袋の着脱が一発OKだったのは空だけだったし、注射の練習だってブービー音鳴らさなかったの空しかいなかったじゃん。訪問看護の実習の時だって――」

「小春、もういいってば!」


わざとムッとした表情をすると、小春が話を変えた。


「ねえ、凛は彼氏いるの?」

「え? いない! 男子と話すのも苦手なのに」

「じゃあ、3人の中で彼氏持ちは小春だけだね。高校から付き合ってるんだったよね。何年になるの?」

「もうすぐ3年になるかなぁ」

「どんな人?」


小春の彼氏の話に、意外にも凛が食いついたので、その後はずっと小春の話になった。

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