第3話(1)

 一方ケンは暇で仕方がない。後ろに気配を感じてケンが振り返った。しー、静かにねぇ。男性の声がケンを制する。やめてあげてくださいよぉ。気弱そうな女性の声がする。女性の声に、全員が男女の方を見た。

「あ、ミコトお兄ちゃんバレちゃったな!」

 ケンにミコトお兄ちゃん、と呼ばれた男性が頭を掻く。

「あはは、バレちゃったぁ。仕事前にちょっとちょっかいかけようとしたのになぁ」

「あの、ミコトさん、遊ぶのやめてください……!」

 女性がぎゅっと拳を握る。ミコトが女性の腰に手を回す。女性の顔はもてあそばれることに対する怒りと恥ずかしさで赤くなる。ユウが無慈悲にもあっちいけ、と言い放ち、アズが女性に同情する。ユカリがジャケットのポケットに手を突っ込んだ。硬い感触を確認した。

「みんなひどいなぁ。ね、マイちゃんもそう思うでしょ?」

「マイちゃんで遊ぶのやめてあげてほしいゆ!流石のアズも怒るゆ!」

 お怒りのアズを無視してミコトがマイの頭を撫でる。甘ったるい雰囲気にユウが戦線離脱した。マイのふわふわした上品なスカートは人形の服のようだ。髪が綺麗に整えられているのは二人とも一緒だ。そうやってミコトはマイを鑑賞した。爪先から頭まで。それに気がついてマイは下を向いた。

 頭も服も、全部ミコトがセットしたもの。綺麗な黒髪をくしでといて、可愛らしい洋服を着せる。それが毎日のルーティーン。マイの小さな体はまるで生き人形。ミコトはマイを愛している。形の整ったいわゆるダイナマイトボディも、いつも涙目なアーモンド型の瞳も、ふっくらした足も。その全てが美しいと信じきっている。

 一方のマイは、なぜ自分が好かれているのかわかっていない。気弱な性格のせいでいつも聞きそびれている。ミコトはそのことに気がついているのだろうか。

「ねえマイちゃん、お仕事なんてやめて僕とデートしようよぉ」

「いえ、仕事ですのでそれは……」

「マイちゃんの好きな店なんて腐るほど知ってるのにぃ」

 ふるふるとマイが小刻みに震えている。ミコトがマイの手の甲に口づけをした時だった。どこからか細長い物体が出てきた。日本刀。ケンがかっけー、と叫ぶ。マイは出鱈目な持ち方で刀を持つ。

「み、ミコトさんの馬鹿!」

 思いっきりマイがミコトに刀を突き立てた。えいっ。彼女には素早さが無いので、余興としてはやや迫力に欠ける。そのまま蹴り倒す。血は出ない。ユカリがクリティカルヒット、とヤジを飛ばした。アズは慌てている。いつものことであるのに、アズはいつまで経っても慣れていない。躊躇なくミコトを踏んで抑え、景色を反射する刃を引き抜く。綺麗な動作だ。まるで殺人現場。

「わぁあ、マイちゃんのおパンツ見ちゃったじゃん!やめてよぉ、恥ずかしいよぉ」

 刺されたというのに、ミコトは生気に溢れている。元気が売ってもいいほど有り余っている。

「恥ずかしいのはどっちですか!ミコトさんの馬鹿!馬鹿!」

「ねえマイちゃん、僕、そんな元気なマイちゃんも好きだよ。今すぐ籍入れたいくらい」

 ミコトが気取る。穴の空いたシャツのせいで格好がつかない。

「おら、そこのアベック、どけ。仕事だ」

 丸めた新聞紙。社長がミコトの頭をついでとばかりに軽く足でつつく。痛いなぁ、なんてミコトは笑顔を見せた。大道芸人みたいに笑ってみせる。ミコトはマイの手首を掴んで手を振らせた。「はい、終わりぃ。見せ物じゃないよぉ」「ちょっと、やめてください……」そんな社内ではもう化石と化した会話をする二人は道化者である。

「お前らの永遠の幸せを祈って仕事をプレゼントしてやろう」

 紙を渡されたミコトはつまらない、と言いたげな顔で目を通した。わざと背伸びをする。ミコトは特別背が高いというわけでもなく、成長期が長かったらしい平均より背の高い社内の男性たちと比べると一番小さい。それでも背伸びをするとマイとかなり差がつく。一生懸命に仕事内容を覗こうとするマイが愛おしくて仕方がない。

「へぇ、轢かないの。なんか嫌だよねぇ。風物詩がなくなった感じ」

「……えっと、確認ですが今回は溺死なんですか?たまにありますよね、変化球」

「僕、マイちゃんが溺死だったら嫌だなぁ。警察とかにマイちゃんの体見られちゃうじゃん」

 マイが首を傾げる。ミコトが抱き寄せた。ちゃっかり胸を触っている。ミコトを悪く思っていないらしく拒否できない、それがいつものマイ。今日も通常運転。

「マイ、そのクソ彼氏と別れたら私とアズのところに来るといいですわ。愚痴くらい聞きますから」

「べ、別にそんな仲じゃありませんから……」

 ユカリに睨まれたミコトは顔を赤くする柔らかい体に体重をかけ、眉を下げてみせた。そこで社長が解散を命じた。社長命令。

 女神が調合した不思議な睡眠薬はよく効いた。今回殺害する女性は入浴の前に食事をするタイプだったので楽だった。睡眠薬を料理に混ぜ込めばいい。ミコトは幽霊なのだから簡単だ。マイと一緒のルーティーンだなぁ、なんて考えながら女性が入浴するのを待った。

 スマートフォンとともに湯に沈んでいく女性を見守った。こんなつまらないものを見るくらいならマイと温泉にでも行った方がはるかに幸せだなぁ、なんてミコトは思った。マイと行ったことのある旅館は潰れていたので、別のところを探さなければならない。業務に関係の無いことを考えながらぼーっとしているミコトとは対照的に、マイは黙祷を捧げていた。

「え、あたしが異世界転生とか、ありえないっていうか、そもそもあなたどちら様ですか」

「わぁ、早口だねぇ」

 ピンク色の可愛らしい部屋で女性は混乱していた。

「大丈夫ですよ、この人これでもちゃんと仕事はいたしますから……。まずはゆっくり落ち着いてください」

「マイちゃん!なんて可愛いんだろう、愛してるよぉ!」

「本当です、仕事はするんですぅ……」

 すり寄られて困っているマイを見て、女性は緊張が解けたようだった。マイが女性に説明をする。会社の概要。女性を指名した女神について。サービスについて。

「……ご質問はありますか?」

「はーい、いつになったら僕と結婚してくれるんですかぁ?」

「……ご質問はありますか?」

「あ、あたしは特に無いです、えへへ」

 変に口角を上げながら女性は答える。振られちゃった、とミコトはマイの頭にあごを乗せた。やる気というものが彼の中にあるかどうか疑わしい限りである。

「では……突然でごめんなさい。お願いは何にいたしましょうか?」

「え、お願い、結構雑ですね、なんでもいいんですよね」

 女性はうつむきながら願いを言った。

「世界一の美女になって、いや世界一とか言い過ぎですけど、それでモテモテになりたいな、とかいいですか」

「えぇ、それで本当にいいのぉ?」

 信じられない、みたいなため息。そうですよ、とマイが言う。そうだそうだ、とミコトが口を開けた時だった。

「せっかくなら宇宙一可愛くなりませんか?」

 静かにマイと女性の心が通じ合う。

「え、いいんですか、そんなのおこがましいって感じ、いや世界一もおこがましいんですが」

「やっぱり可愛くなりたいですよね……!わかります!」

 すっかり蚊帳の外なミコトは壁に目をやろうとしてやめた。ピンクが目に刺さる。仕方なく資料を見た。白は落ち着く。

「いや、よく見たら君は聖女になってモテる予定なんだけどぉ。しかもたっくさんの王子様付き」

 ミコトの声は届かなかった。無慈悲。

「まじか。いいよ。改変しとく。まじで。この瞬間からまじの美女」

 女神に交渉しに行くと、快諾してくれた。女神は中央に穴の空いた五角形のプレートとしか言いようのない形をしていた。表面はパンの断面みたいだ。人間の形をとる女神も多いのだが、この女神は違うらしい。転生した人間の様子を見て楽しみたいので人間の形になる意味が無いと言う。女神がマイに目であろう空洞を向けた。マイはにこにこしている。

「てか。ミコト。そろそろキャンディ切れてきたでしょ。まじで。あげる」

「ああうん、ありがとうねぇ」

「あ、おいしいやつだ……」

 お仕事終わったらあげるからねぇ、頑張ろうねぇ。ミコトはだらしのない顔をしながらマイを撫でる。この女神がくれる赤黒いキャンディがマイの好物だった。味は不明である。側から見ると気味が悪いので社内では嫌煙されている代物だ。

「また来て。来ると嬉しい」

 女神はよくわからない軌道で動きながら別れを惜しんだ。マイはミコトが止めるまで手を振っていた。

「え、これ、あたし?」

 ピンク色の部屋に戻ると、女性は一変していた。鏡を渡すと女性は唖然とした。お世辞にも美しいとは言えなかった顔と体。それが人類の理想みたいな見た目になっていた。

「か、可愛い……!可愛いです、眩しいくらい!」

「確かにまあ可愛いねぇ。いや浮気じゃなくてさぁ?」

「ミコトさんもわかりますか。国宝ですこれは……」

 女性は早口で謙遜する。二人はほとんど聞き取れなかった。だが、その早口すら魅力的に思えた。どうやら、変わったのは見た目だけでは無いらしい。

「外、出ませんか……?」

「え、いいんですか、街中歩きたいです」

「えぇ、面倒だよぉ」

「……ミコトさん」

 上目遣いで見つめてくるマイ相手にミコトが勝てるわけがなかった。

「あの、実はお願いあるんですけど」

 街に出ると、女性に視線が集まった。ミコトがプロデュースしたマイも可愛らしいが、それが霞んで見えなくなるくらい女性は美しかった。

「おふたりをお姉ちゃんとお兄ちゃんって設定にしてもいいですか、いや、変ですかね、えへへ、兄妹とかほしかったなって思って」

 下を向く女性。二人は顔を見合わせて意思疎通を図る。同時にうなずいた。返事はイエスだった。

「ミコトさんはどうせ……と言ったらあれですけど」

「あれってなあにぃ?」

「お兄ちゃんとお姉ちゃんって、なんだか僕らが結婚したみたい!……とか思っているんだろうなって」

 マイによるミコトの真似は上手かった。呑気で牧歌的。そんな彼女の予想は的中しなかった。

「僕らが結婚するのは当たり前だもんねぇ」

 気まずそうに視線を外されてミコトは一瞬落ち込む。女性が仲がいいんですね、と声をかけると嬉しそうな鼻歌が始まった。耳馴染みのいい声。愛する人がまた視線を戻したのを感じるとさらに歌の機嫌はよくなった。

「あの、歌うまいですね、いいな、音痴だから憧れます」

 くるり、と回ってミコトは言う。「そうでしょ?僕、上手なのぉ」マイは物言いたげである。

「ごめん、ごめんってばぁ。怒んないで。のどかに行こうよ」

「そうではなくって……」

 女性を見つめるマイ。それを見つめるミコト。

「あなたも歌えばいいのに、って……思いました」

「たしかにぃ。どうせ歌って回復、だっけ?それをする聖女様なんだし。さすがマイちゃん、可愛いサイズしてても頭脳は立派だね」

 女性が息を吸う。静かに歌い出す。数年前に流行った片思いの歌。ありきたりな歌詞を連ねた歌。だんだんと声が大きくなる。周囲の人間の視線は女性が独り占めしている。

「きゃー、すごいわ!」

「アンコール!」

 一気に場がライブ会場になった。女性が不器用に笑うと、かわいい、という声が飛んだ。マイが嬉しそうにしているのでミコトも幸せだった。その時だった。

「世界一かわいいね、あのお姉さん」

 その言葉を聞いて女性が振り向いた。雑踏の中から聞こえた言葉だった。声の主はわからない。

「どうしたんですか……?」

 声をかけられた女性は、なんでもないです、と言ってアンコールに応えた。マイの胸になにかが住み着く。もやり。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

有限会社転生トラック おくやゆずこ @Okuyayuzuko

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ