君と眺めた星の光/クリカラの剣
――アサバ・レンを殺して止める。
それが〈ヘヴンズ・ベル〉の主であり、アサバ・レンの恋人である自分の務めだとミオは考えた。
亜麻色の髪の少女は、白い法衣を身にまとい、三対六本の腕で印を結ぶ。その周囲を漂っていた自動防御機構、〈光の剣〉のうち半数の六本がレン目がけて殺到した。
ミオの首を刎ねようと跳躍したレンに、六本の空中飛翔自在剣が襲いかかる。
上下左右前後すべてから斬撃が襲い来る。
円運動を描いて斬撃は斥力場の見えざる触手によって制御され、精密制御されている。その剣戟は同士討ちを恐れぬ異形の剣だ。剣を振るう腕という実体が存在しないために、如何なる剣術よりも自由に振るわれる六つの刃。
――そのすべてを斬り伏せた。
光芒一閃。
空中で打ち砕かれた直刀六本が、エーテルの残光と共に消えていく。
黒のゴシック・アンド・ロリータもガーターストッキングもショーツも炎に包まれ、燃えていた。今や裸身に火焔をまとった男は、本来、燃え落ちているはずの物理的構造体を維持している。
その頭髪も皮膚も燃え尽きているのに、筋肉は高温の焔で炭化せず、収縮せず、損傷を負った様子はない。
異常だった。
ミオの出力する
度重なる
次から次へと〈光の剣〉を差し向けて足止めするが、片っ端から切り落とされてしまう。
「レンくん、キミは一体――何になったの?」
それは心からの疑問だった。純粋な戸惑いの感情をにじませつつも、ミオ/マイトレーヤが新たな術式を構築する。最早、常人には理解不能な速度で構築される事象変換術は、極大の破壊をもたらすものだった。
言葉にすればそれだけの凡庸な術式だ。
強大な電磁場の輪へと荷電粒子を捕らえて、加速させ続ける。
見えざる粒子加速器を形成したキサラギ・ミオ/マイトレーヤは、その膨大なエネルギーの循環が光り輝き、
ミオの頭上で輝く輪は、直径五百メートルの円環を形成している。自身の肉体を高位デーモンと同等の構造体に置換し、物質化エーテルによって完全に防護しているミオだからできる芸当だ。凄まじい輻射熱を完全に封じ込めながら、ミオはそれを解放した。
荷電粒子の嵐が、〈ヘヴンズ・ベル〉の内部構造体に吹き荒れた。
――破壊術式〈光の洪水〉。
その嵐は、容赦なくアサバ・レンを飲み込んでいた。熱量に耐えきれずに、その剣杖が砕け散るのがわずかに見えた。
解放されたのは膨大なエネルギーであり、摂氏二千万度を超える灼熱地獄だった。超高速で加速した荷電粒子は、触れた物質の分子構造を破壊し、プラズマ化させて融解・蒸発させる。
原子の塵にまで分解しなければ、今のレンを殺しきることはできない。ミオ/マイトレーヤはそう判断していた。外界と完全に遮断されている〈ヘヴンズ・ベル〉の内部だから使用に踏み切れた攻撃術式だ。
純粋な熱量だけならば太陽の中心核の温度すら超える破壊の渦。
如何なる高位デーモンの体組織と言えど、防御術式なしで耐えきるのは不可能なはずである。
そのようにキサラギ・ミオが確信した刹那。
『――
声がした。
聞こえるはずのないそれは、音波ではなくエーテルを介した意思言語だ。
荷電粒子の嵐が晴れていく。半径五百メートル圏内の物質を昇華させ、さらに半径三千メートル圏内を熱線と爆風で薙ぎ払った〈光の洪水〉の爆心地。
そこに立っていたのは少女と見まごうような美貌の青年ではない、炭化した焼死体でもない、構成物質を蒸発させられた虚無があるのでもない。
それは、光沢のある黒い結晶体――ブラックオパールのような物質で構成された人型だ。全身を隅々まで覆うそれは、装甲や筋組織の一部ではなく、結晶体そのものがそれの本質であることを表している。
光を透かす黒くなめらかな体表、鮮烈な色彩煌めく宝石の体躯。
眼窩に光の灯った髑髏というべき頭部に、しなやかで長い手足は優美で
亜麻色の髪の少女が、目を見開いてうめいた。
「ありえない……〈光の洪水〉に耐える物質なんて……」
『言ったろう、おまえの論文なら読んだ。今の俺の身体を構成するのは
アサバ・レンの存在は
その才能と呼べるものは、つまるところ存在の否定――構造を破壊することにだけ傾けられている。それは得がたい才覚であり、たった百八十年間で一人の男を根源的事象に到達させることに成功していた。
多くの高位デーモンを殲滅し、多くの不死者を斬伐してきた。そして彼らの吐き出してきた膨大なエーテル崩壊光――物質化エーテルが虚空へと還る現象を浴びたアサバ・レンの体内では、ある異変が起きていた。
すなわちエーテルの高密度環境下での物質化。
何故、世界卵〈ヘヴンズ・ベル〉を用いなければ実現できないはずのアカシャ縮退が起きたのか、レンにはわからない。それが再現性のある事象なのかもわからない。ただ一つ言えるのは、自身の存在そのものが
「世界卵を用いずとも、縮退物質アカシャ・セルは構築できた……それはアカシャ縮退の圧力に耐えうるほど、強靱な体組織に進んだデーモンハンターの体内で起きて――その肉体構造すべてを置換するに至った」
ミオであったもの/マイトレーヤが、その桜色の唇を震わせた。
その黄金色の
ただ永遠の少女が案じるのは、人間から乖離しきった彼の正気だった。
「レンくん、キミは――平気なの?」
答えはない。
たぶん自分は狂っているから、正気だと返事をするほど図々しくなれなかった。
ゆえに、歌うように彼は口ずさむ。
遠い昔に聞いたおとぎ話を。
『――俺たちは星の屑から生まれ、星の光で生きている。おまえの言葉が、俺に戦う意思をくれた。たぶんこれが、永遠なんだ』
「あ――」
そう、たとえどんなに世界が変わり果てようとも――その原理原則がある限り、アサバ・レンだったものは人間を愛していられる。
自分が生まれた時代や環境とかけ離れていようと、彼は星の屑から生まれ、星の光を浴びて生きる命を愛する。それが隣人愛としての愛なのか、狂える神々の寵愛なのか、最早、彼に識別する術はないけれど。
〈斬伐者〉はその右手を天にかざした。
異なる次元の時空連続体そのものを物質化させたアカシャ・セルの肉体が、常識外のエネルギーをその右手に収束させていく。キサラギ・ミオは何もできない――否、エーテルを介した術式すべてが、〈斬伐者〉の身体に接近するたびに砕け散っているのだ。
七色の煌めき、極彩色の刃が〈斬伐者〉の右手に現れる。
それは剣であり、〈斬伐者〉の肉体そのものを削って生み出された破壊の杖だ。
『魔剣執行――〈クリカラの剣〉解放』
――最初に光があった。
――爆ぜる、爆ぜる、爆ぜる。
――分子構造が砕け散り、原子構造が解けていく。
巨大な火球が生まれ、エーテル制御によって転化された
内部構造が無限に等しい空間を秘めている〈ヘヴンズ・ベル〉の中にあってなお、その光はすべてを焼き尽くすほどに激しい。
それはキサラギ・ミオの展開した破壊術式〈光の洪水〉をはるかに凌駕するエネルギーを秘めている。
摂氏百億度――巨大な恒星が最期に迎える、宇宙最大の爆発現象――その中心温度に等しい破壊的熱量。
この夜空を満たす星の光そのもの。
――超新星爆発。
それは破壊だった。
あらゆる事象が爆発的に連鎖した。
地球上では絶対に起こりえない天文学的スケールの核融合反応により、物質の移動速度は極超音速を超えて、衝撃波がすべてを薙ぎ払った。
摂氏百億度の白熱する核融合プラズマから発せられる電磁波は、荒れ狂う高エネルギー放射の嵐となってあらゆる物理的構造体をズタズタに引き裂き、粉みじんにしていった。
大量のX線とガンマ線が四方八方にばらまかれ、大気組成を破壊したあとに物質を破壊していった。続いて質量を持った荷電粒子が亜光速で到達し、〈ヘヴンズ・ベル〉を構築していた論理構造体を隅々まで破砕した。
――破砕/融解/蒸発。
既存の構造体が爆発的な事象によって破壊され続ける一方、爆発的元素合成が核融合プラズマの内部で起きていた。
それは人類が考えた原初の神話、破壊と創造を対のものと考えた思想そのもののようだったが――この地上に生まれた極小の超新星爆発の範囲内においては、あらゆる生命が絶滅する。
もしここが外界から隔絶した世界卵〈ヘヴンズ・ベル〉の内部ではなく、地上であったなら――地中に住まう
地上に住まう人類など考えるべくもない。
たかだか数億度の火球を短時間、生成するだけの水素爆弾ですら人口密集地を壊滅させうるのだ。
百億度の熱量塊を剣とする〈クリカラの剣〉は、炭素生物であれエーテル生物であれ、平等に滅尽へと導く死の刃だ。
この星の上で生まれた生命にとって耐えきれぬ超高温・超高圧の破壊領域。レンの才能としての構造の破壊を突き詰めたものであり、不死や概念防御を成立させている事象変換術をその基盤ごと破壊する魔剣。
その極大の破壊を、真っ直ぐに振り下ろす。
人間を越えたデーモンハンターがたどり着くのは、デーモンと同種のエーテル生命体である。
そしてそれすらも凌駕した〈斬伐者〉は、アカシャ・セルによって生物では耐えられない超高熱と超高圧の地獄に耐えていた。
おそらく彼は、そうして地球で最初に生まれた神に等しい超越者であり――奇しくもそれは、キサラギ・ミオがその生涯をかけて目指した到達者そのものだ。
『――――――――あぁ』
キサラギ・ミオ/マイトレーヤは跡形もなく消滅していた。〈クリカラの剣〉が発生した刹那の放射線と荷電粒子と衝撃波だけで、蒸発していてもおかしくないのに――何故か〈斬伐者〉はそうしなればいけない気がして、燃え盛る炎の剣を振るった。
遠い昔に切り捨てたはずの感傷が、言葉になってあふれ出た。
『――どうして俺やクレハを選んでくれなかった』
果たして、聞こえた返事は幻聴だったのかどうか。
〈斬伐者〉は狂っているから、もう自分ではわからない。
「――それでも、キミを、愛してる」
――この日、世界卵〈ヘヴンズ・ベル〉は消滅した。
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