斬伐者アサバ・レン






「――おまえは斬る、世界卵も破壊する」




 刹那、撃ち込まれたのは〈光の杭〉の多重展開――同時に七発生成された高質量の運動エネルギー弾だ。いずれも中型デーモン程度であれば、その防御術式ごと装甲を貫徹できる高質量である。

 それが一度に七発投射される。即座に起動した防御術式〈光の盾〉がまるで、七色の爆発のように爆ぜてその運動エネルギーを受け止めきる。


 キサラギ・ミオの似姿――マイトレーヤは人外の感覚器を備えた存在だ。人間であれば反応しきれないそれをあっさりと受け止めてくる。

 そして多重防御が展開された瞬間、レンは動いていた。黒のゴシック・アンド・ロリータの麗人は青眼に構えた切っ先をすっと持ち上げ、頭上に振りかぶった位置で刃を留めおく。


 いわゆる上段の構え――踏み込む。

 瞬時に十五メートル以上はあった彼我の距離が詰められ、多重展開された光の障壁そのものを目くらましにして、レンはミオに急接近する。

 高密度のエーテルを充填し超高密度の疑似質量体となった刀身は、その比類なき物理的強度であらゆる物質を切り裂く。


 真横から、無防備な首に刃振り下ろした。

 少女の首を刈り取る斬撃――だが、次の瞬間、真一文字の振り降ろしは受け止められていた。

 刃と刃がかち合い、鍔迫り合いとなる感触。エーテルとエーテルが火花を散らす。それまで何も存在していなかった空間から、瞬時に物質化エーテルの剣が生成されていた。虹色の極光と共に、そりのない真っ直ぐな刀身――古代日本の直刀を思わせるブレードが空間に生まれる。


 キサラギ・ミオ/マイトレーヤは剣を握ってすらいなかった。

 電磁力の制御か、あるいは斥力場によるものか――虚空をひとりでに剣が泳ぎ、レンの斬撃を受け止めていた。瞬時に手首をひねって刺突に切り替える。速度が乗っていなくとも、高密度のエーテルを充填された刀身は十分な凶器だ。


 衝撃。

 勝手に剣が跳ね上げられる。新たに生成されたもう一本の直刀が、刺突を試みたレンの刀を下方から叩いたのだ。

 剣杖を手放しそうになる。レンの刀が跳ね上げられたことで、自由になったもう一本の直刀が襲い来る。その鋭い刺突を、身をひねって辛うじて避けた。胴体を掠る刃――ゴスロリ服を彩る布地の一部が切り裂かれた。


 飛び退きながら射撃術式〈光の礫〉を浴びせた。防御術式の多重展開、斥力場の嵐によって散弾は逆に吹き飛ばされた。

 虹色の極光。

 二本しかなかった直刀が、瞬く間にその数を増して四本、六本、八本、十本、十二本と宙に浮かんでいく。


 まるで最初からそうあることが正しいかのように、十二本の直刀がキサラギ・ミオ/マイトレーヤの周囲を泳ぎ、自動防御を展開していた。

 見ればレンの全力の振り降ろしを受け止めたことで、直刀の一本は砕け散る寸前だったが――空間中のエーテルを無尽蔵に収奪し、物質化するミオの前では些細なことだった。

 ひび割れ欠損した刃が再生していく。


「近接術式〈光の剣〉――キミに斬り殺されないための備えだよ。前回はすごく痛かったからね」


 白兵戦ならばレンの才能の方が勝る、という強みを潰されていた。剣術の本質は、刃という殺傷のための部位を、関節の自由度の範囲内で加速させ、対象に接触させることで殺傷行為に繋げることにある。

 それが刺突であれ斬撃であれ打撃であれ、重たく硬質な部位を用いて人体構造を破壊すること。それが剣術の本懐であり、術理である。


 そして究極的にこれを突き詰めるのであれば、関節の自由度に制限の残る人体は不要なのだ。微細で精密な斥力場の制御によって、円運動を描くように剣を浮動させ、高速で使役するミオ/マイトレーヤの術式は理にかなっている。

 剣を構えて、じりじりと様子をうかがうレンに対して、ミオは追撃するでもなく語りかけてきた。


「レンくん――異世界からの侵略者である彼らはその実、散発的な侵攻を繰り返す軍閥の寄せ集めに過ぎなくて、その本国が無傷であるとしたら? 明日、彼らがその総力で攻め込んでこない保障はないんだよ。なんとなく撃退して、ゆっくり復興できる時間的猶予なんて人類にはないかもしれない。わたしたちの世界が、そういう異民族による征服と収奪の歴史を何度も経ているようにね」


「……何が言いたい?」


「今の人類に、デーモンと呼ばれている異世界人と戦争して勝つ余力はあるのかな?」


 ミオの言わんとすることを理解して、レンは口の端を歪めた。

 皮肉な笑みだった。


「そのために世界卵を……〈ヘヴンズ・ベル〉を作り出したのか。デーモンとの戦争に備えられる超越者かみさまを生み出すために? 守るべき人間を犠牲にしかねない最終兵器なんて本末転倒だろう。第一、高次元物質アカシャ・セルだけあっても兵器にはならない」



 アサバ・レンは頬を殴りつけられたように黙り込んだ。

 彼は目の前のミオの姿をしたもの――虚空子演算器マイトレーヤを彼女の紛い物として処断しようとしていた。往生際の悪い恋人の残骸など、さっさと墓の下に戻してやるべきなのだ、と。


 その認識が過ちであったことを、レンは突きつけられていた。キサラギ・ミオは生前から、彼の想像を超えるスケールで動いていたのだ。自分自身の死すら計画に織り込んで、絶対に人間を守り通すための救世機械として自己を定義づけた。

 それはひどく人間的な感情に基づく、人には耐えがたい人でなしの発想だった。


、みんなを放り捨てて、一人だけで人類の守護神になるつもりか?」


「君の主観だよ、わたしは人類全体への奉仕者として自分自身を作りかえたに過ぎない」


 何がそんなにも彼女を絶望させたのか、レンには理解できる。人類がこの星の上に作りあげた文明が音を立てて壊れていき、八十億の人口が理不尽に踏みにじられ、人間がその一番醜悪な部分を露呈させて殺し合ったあの時代。


 それはきっと、裕福な家庭でのびのびと育てられ、人の叡智と善良さを信じて学問の世界に飛び込んだ少女にとって、真実、許しがたいものだったのだろう。

 あるいはレンこそがおかしいのかもしれない。


 彼も多くを失った。大学進学を控えて勉強に打ち込んでいた床屋の息子とて――家族も友達も日常も何もかもぐちゃぐちゃに踏み潰されて失っているのに。

 男はそれでも怒りや憎しみで動くことができなかった。自らの手でキサラギ・ミオを下したあとでさえ、世の不条理を嘆いたことはあれど何者かを憎悪することはなかった。


 諦観しているのではない。達観しているのではない。

 ただすべてが、平凡な少年を研ぎ澄まされた破壊の化身へと導いていった――アサバ・レンにあるのは破壊だけだった。


「わたしを殺したあとの世界は、少しでもキミにとっていいものになったかな。異世界からの侵略は止まず、人間は殺し合って審判戦争ジャッジメント・ウォーを引き起こし、衰退した文明の中で人々は死んでいった」


 キサラギ・ミオは哀れむようにレンを見ている。この百八十年間ですり切れて、変質して、ただ敵を排除するものとして研ぎ澄まされていった男の姿は、彼女にとって悲しいものだった。


 三対六本の腕が印を結び、エーテルの流れが操作される。果てない白銀の空へと六つの球体が打ち上げられ、上空百メートルほどでそれが爆ぜる。

 殲滅術式〈光の雨〉――ミスラが編み出したものと同系統の術式が、同時に六つ並行使用されていた。


 物質化エーテルの指向性運動エネルギー弾が、文字通り、雨のように降り注ぐ――それは超高速の銃弾の雨であり、戦車であろうと上面装甲を貫通して蜂の巣にできる代物だ。

 レンが回避運動を取りながら防御術式〈光の盾〉を使った瞬間、重たい衝撃が斥力場に突き刺さった。

 五発、十発、二十発、四十発――数え切れないほどの〈光の杭〉が、超音速にまで加速されていた。レンやミスラが用いるそれと同じ術式でありながら、桁外れの出力で投射される質量杭。


 防御術式だけでは受けきれない。

 剣杖ソードロッドを閃かせ、〈光の盾〉を貫通してきた杭すべてを叩き落とす。レンの回避運動後の未来位置を予測して撃ち込まれたのだ、と理解する。

 切り裂かれ、打ち砕かれた質量杭のエーテル光を眺めながら、ミオであったもの/マイトレーヤは歌うように言葉を紡ぐ。


「わたしの予想では、もっと地上は不死者になった超人たちであふれかえって、地獄絵図になってると思ってたよ…………ああ、そっか」


 口にした疑問に対して、ミスラの記憶に由来する答えを得て――その美しい顔を悲嘆に歪ませた。

 自分の愛する男が、どんな罪を犯してきたのかを悟ったのだ。

 ミオは黄金色の瞳で罪人を見つめた。




「〈斬伐者〉……わたしを殺してからの百七十年間、キミは不死の同胞を殺し尽くして……んだね」




 そんな大層なものではない、とレンは思う。砕け散った質量杭の破片を浴びて、黒のゴスロリ衣装はあちこちが破れていた。スカートが破けてガーターストッキングに包まれた脚が覗く。

 高速の運動エネルギー兵器の破片を浴びたのだ。如何にエーテルを導通させた戦装束たるゴシック・アンド・ロリータとて破損は免れない。


 だが、不自然なほどに男は血を流していなかった。人間の証であるヘモグロビンの赤色も、デーモンの証である銀色の液化エーテルも流さずに――美少女(身長百七十八センチ、性別は男性)は剣杖を手にして、ゆっくりとミオ/マイトレーヤに歩み寄る。


「この世界は最も弱い立場の人々に対して残酷だ。いくらでもそういう人たちを殺していい理屈と仕組みを考え出す。俺はそういうものが許せなかっただけだ」


 嘘偽らざるレンの本音は、ミオに切って捨てられた。


「傲慢だよ、。もうこの星のどこにもない旧文明の残滓を追い求めて、人間もデーモンも区別せずに斬り殺すなんて。そんなのは間違っている。ひょっとしたら彼らこそ、この新世界に適応した次なる霊長ポストヒューマンかもしれないのに」


「だから、どうしたというんだ」


 見たこともない攻撃術式が飛んできた。強烈な電磁波の収束照射――おそらくはレーザー光線。目で見て言葉を交わせる距離にあっては回避不可能な光速でのそれに目を潰される。


 常人であれば眼球を焼き切られ失明に追い込まれたであろう一撃。だが、アサバ・レンから五感を奪えるのは精々、数秒間。

 人間を超越したものの殺し合いでは、致命的な時間である。

 音よりも速く投射された何かを、エーテルの波動から感知する。真っ黒に焼き付いた視界は当てにならない。防御術式の展開は間に合わない。


 しゃおん、と剣杖を振るった。

 飛翔体が何であれ、切り払う。

 刹那、超高熱が爆ぜた。剣杖の刀身が飛翔体を断ち割った瞬間、超高温の流動体となっていたそれがプラズマを吐き出したのである。


 それは鍋いっぱいの熱湯を浴びせかけられるのに似ていた。

 実際の温度は熱湯の数百倍だったが、起きた事象の説明としてはそう呼ぶほかない。数万度のプラズマが運動エネルギーを帯びたままぶちまけられ、アサバ・レンの全身を覆い尽くした。


「――――――ッ」


 悲鳴は出ない。超高熱の流体であるプラズマが人体構造を模した声帯を焼き尽くしたのだ。

 白熱するプラズマによってレンのゴスロリ衣装が燃える。最も燃えやすい頭髪が燃え尽き、皮膚が炭化していく高熱。


――超高温のプラズマ砲弾を物質化エーテルで構築した開放型バレルを用いて電磁力で加速、直撃させる。


 まるで拳銃の早撃ちのように実行された事象を文字にすれば、そういうことになる。

 だが、アサバ・レンは倒れない。上半身が炎に包まれているにもかかわらず、不死者は剣杖を手放さない。

 白熱するプラズマの火の中でなお、黒い影が揺らめき、殺意のままに疾駆する。ミオ/マイトレーヤが心からの哀切を込めて呟いた。





「――わたしがキミを殺してあげる、レンくん。キミはもうとっくの昔に壊れてるんだよ」








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