ツンデレ魔女の報酬






 夜が明けようとしていた。

 〈ヘヴンズ・ベル〉の内部でレンが繰り広げた戦いはそう長いものではなかったが、現実世界では十二時間以上もの時間が経過していたのである。時間の流れすら違う異空間に取り込まれたにしては、ずいぶんとマシな結果と言えるだろう。


 全高五百メートルにも及ぶ超巨大構造体、銀色の卵〈ヘヴンズ・ベル〉は音を立てて砕け散った。巨大な世界卵はひび割れ、極彩色のエーテル崩壊光を周囲にまき散らしながら、その断片を雨のように大地に降らせている。

 かつて聖塔連邦陸軍ヨミナガ駐屯地と呼ばれた基地施設は、銀色の卵に覆い尽くされ、その崩壊と同時に跡形もなく消え失せていた。


 世界卵〈ヘヴンズ・ベル〉の展開に伴う時空間連続体からの切除と、物質化した世界卵そのものを破壊し尽くした絶滅術式〈クリカラの剣〉を受けて、原子レベルで分解された結果である。

 砕け散った世界卵の残骸は、その大半が光になって虚空へと還っていった。なので存外、世界卵〈ヘヴンズ・ベル〉の崩落の被害は少なかった。


 そんなこんなで様子見して戻ってきたクレハが目にしたのは、何故か全裸になっているレンの姿だった。魔女は無言で自動車に乗せてあったコートを放り投げ、恥じらいの欠片もなく裸体を曝す男は頷いてこれを羽織った。

 そのような無言のやりとりがあった、と思っていただきたい。

 素足でぺたぺたと世界卵の残骸――銀色の物質化エーテルの断片の上を歩き、その質量体を手に取ったアサバ・レンは、何事もなかったかのようにこんなことをのたまった。




「――




 モスグリーンの色気のないコートすら様になる美男子は、淡々と夢想を口にした。状況がさっぱりわからず困惑しているクレハに対して、レンが行ったのは次のような説明だ。

 まずクズル・ミスラはデーモンの手で殺害された。そしてその死骸を利用して、キサラギ・ミオが百七十年前から仕込んでいたブービートラップが作動した。


「〈ヘヴンズ・ベル戦争〉のとき、ミオは最初から時限爆弾を仕掛けていたんだ。人間を構成する情報的構造体――つまりエーテルに、世界卵と自分自身の情報を書き込んで、自己再生に最適な環境が整った瞬間に起動するよう仕込んでいた。断片化した情報からでも自己復元できる高度なAIだな」


「情報量がクッソ多いわね? まぁミオが用意周到ってことね」


 クレハはざっくりと要点だけ理解した。レンは微笑みを浮かべて首肯した。


「そして〈ヘヴンズ・ベル〉を構成する物質化エーテルは元々、ミスラの身体から放出されたものだ。そこにはクズル・ミスラという人間を構成する情報のすべてがあると、


 灰髪の魔女は、その鬼火色グリーンの瞳に疑問符を浮かべた。


「あんたの願望でしょ、それ――第一、死人を蘇らせるとかありなわけ?」


「今さら俺たちが摂理など口にする意味があるのか?」


「……ないわね。うん、今のなし」


 あまりにレンの物言いがぶっ飛んでいるので、つい常識人めいた発言をしてしまったが――人間としての正常な生と死だの、そもそもミドウ・クレハのガラではないのだ。

 そういう宗教観念に潔癖な人間は、そもそも東京時代の三人組には誰もいなかったように思う。


 だから問題となるのは、レンの言う死者蘇生が、事象変換術フェノメノン・コンバータの範疇で可能なのかという一点である。

 それにしても、とクレハは思う。こういう常識的なツッコミは本来、アサバ・レンの持ち味だったのだけれど――あるいはこの男はもうとっくの昔に、人の域を超えてしまったのかもしれない。

 感傷に浸るクレハを見て、レンはにっこりと微笑んだ。


「そこで


「はぁ!? ちょっと待った、あたしは傭兵よ? 死者復活とかオカルトは専門外なんですけどぉ!?」


「なぁに簡単な事象変換術の応用だ。エネルギーの物質化も任意の状態への誘導も、俺たちが普段やってる事象変換術と大差ないぞ?」


「いや……火焔放射するのとはわけが違うでしょ? 人体は神秘って医者もよく言うでしょ?」


「――いいから。俺とおまえならできるぞ、自信を持て」


 怖じ気づいたクレハに対して、どこまでもレンは強気だった。

 笑顔で迫ってくる黒髪の美少女(身長百七十八センチ、性別は男性。現在は全裸にコートを羽織っている)に対して、灰髪の魔女は為す術がなかった。


「ミスっても責任は取らないからね!?」


 かくしてクズル・ミスラ十四歳の生命は、えらく情けない台詞で担保され――無事に確保された。

 このとき行使された事象変換術の詳細について、特筆すべきことは何もない。すべては世界卵〈ヘヴンズ・ベル〉の残滓と、その構造体を誰よりも理解している男の存在あってのものだった。

 奇跡は起きるべくして起きたのである。







――そう、死ぬほど神経を使う作業だったのは間違いない。



 あれから丸二日が経った。

 語るべきことはそう多くない――ともあれ、びっくりするぐらい何事もなくは元気いっぱいだったし、さして長い付き合いでもないクレハにもわかるほど、レンを見る目に邪念が宿っていた。

 可愛げのあるなしで言えばあるのだが、それはそうとそのうち師のことを襲いそうな弟子である。

 世も末だった。


 アサバ・レンの探偵事務所でコーヒー(連邦によって生産された代替コーヒーは、旧文明の時代のコーヒー派が飲んだら憤死する味わいだ)をすするクレハは、探偵社のデスクと椅子に座っているアサバ・レンを見た。

 ここ一ヶ月ですっかり見慣れたゴシック・アンド・ロリータ姿の美少女(身長百七十八センチ、性別は男性)である。ことあるごとに美少女をゴリ押しされた結果、クレハはもう無思考でそういうことにしていた。

 行儀悪くソファーにどっかりと身を沈み込ませながら、灰髪の魔女――その胸の膨らみは豊かである――は当然のように疑問を投げかけた。


「ミオが残した術式の影響はまだ残ってるんでしょ? またあのでっかい卵が湧いて出てきたらどうするわけ?」


「世界卵が形成できるほどの断片は俺があらかた処分した、と思う。影響を受けたのは百七十年前の東京にいた人間だけだからな、流石に地球の裏側に渡航する手段はない」


 さらっとおぞましい話がこぼれてきた。この男、今まで何人の不死者を殺してきたのだろう。傭兵として戦場を渡り歩いたクレハにも言えたことではないのだが、それにしても当たり前に言うものだ。

 とはいえ彼女が気にかかったのは、レンの背負っている罪業などではない。そんなもの、いくらでも一緒に背負ってやれるのだから。

 クレハはため息をついた。


「あんたさあ……そういうのもうちょっと報告・連絡・相談できなかったわけ?」


 レンは目を伏せた。本当に申し訳なさそうな空気で、男はどうしようもないことを口にした。


「……すまなかった。つまり俺は、おまえに対して後ろめたいから、ろくに説明もできなかったんだ」


「バーカ」


 心からの呟きである。

 そんなしんどそうなこと、一人で抱え込むからおかしくなって女装癖に目覚めるのだ。きっとそうに違いない。

 アサバ・レンという男の概要に混じる激しいノイズ(クレハにとってのレンは女装ゴスロリ剣士ではないので当然だ)に、魔女はなんとも言えない表情になった。


 ここ百七十年ほど抱えていた遺恨が解消されてみれば、凄まじいバカをやらかした親友と、それに負けず劣らずのコミュ障の惚れた男がいるだけなのである。

 肩の力が抜けもする。


「ミオがクソバカならあんたはクソボケね。自分で言うのもなんだけど、あたしが一番常識人ってヤバいわよ?」


「言い返す余地がない……」


 レンは申し訳なさそうな顔をしている。そういうところも可愛いと思ってしまうのは、明らかに惚れた弱みであって、断じて彼の人間的美徳ではなかった。

 この男、これで自分の面のよさに自覚的なので最低である。

 コーヒーカップをソーサーにおいて、クレハは立ち上がった。深紅の耐環境コートを羽織りながら、素っ気なく別れを切り出す。


「それじゃ、そろそろ行くから」


「ああ、よろしく頼む」


 ヨミナガ駐屯地の消滅は、すでに衆目に曝されていた。

 何せ街の東端からたったの十四キロ地点である。一晩で謎のエーテル崩壊光と共に基地が消滅した怪事件で、街は混乱しきっている。あまりにも事態の進行が早かったせいでレンとクレハの関与は察知されていないが、そろそろ聖塔連邦への根回しが必要になる頃合いだった。


 果たして自分のコネがどこまで有効かわからないが、ミドウ・クレハはひとまず、目の前の男のためにと決めていた。

 それがクレハとレンの間にある友情だった。


「……また会えるか?」


 クレハを見送るためか、立ち上がったレンがそう尋ねてきた。

 まったく湿っぽい台詞である。灰髪の魔女は一笑に付した。


「生きてりゃまた会うこともあるでしょ――もしかしたらこの世の終わりまで、死ぬこともできずに地球をさまよう羽目になるかもね?」


 何せレンもクレハも、すでに地球人の寿命の二倍ぐらいは軽く生きているのだ。寿命がいつ訪れるのかは定かではないし、人間離れした超人ならそういう心配だって必要になる。

 冗談めかした軽口に対しても、アサバ・レンは生真面目だった。

 彼は神妙な顔つきで頷いて、こんなことを抜かした。


「じゃあお互い長生きしないとだな」


「はいはい」


 すたすたとこちらに歩み寄ってくるレンが、ふと長手袋越しに小さな金属を差し出した。クレハの鬼火色の瞳がそれを視界に収める。

 それは銀色の鍵だった。

 意味がわからずにレンの顔を見やると、微笑みながら彼はこう言った。




「――合鍵だ。今度、事務所に来るときはドアを壊すな」




 その言葉の意味を理解して、ふにゃっとクレハの表情が崩れた。

 笑ってしまいそうな歓喜とこの男はつくづく度しがたいという憤怒がない交ぜになって、結局、すべてが憎まれ口に変わってしまう。

 クレハは薄笑いを浮かべた。


「…………あんたってさあ」


「クレハ?」


「いやー、やっぱ殴りたくなるわね。根っこが変わってないんだもの」


「殴るな殴るな」


 何もかも変わってしまった世界で、何もかも変わってしまった親友同士が二人――そうして別れを告げた。






 これは、それだけの話である。







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