転生者クズル・ミスラ
『――で、そこの通路を右に曲がって中央のエレベーターに乗れば地下施設よ。IDカードはパクってあるわね?』
「問題ない、入手した」
銃撃、銃撃、銃撃。
自身に向けて放たれる銃弾の雨を避け、手にした剣杖を振るって人の形をしたデーモンを斬り捨てていく。この基地を壊滅させ、勤務していた兵士たちを一人残さずゾンビに作りかえた邪竜プルートヴェインの死後も、彼らが解放されることはない。
ヨミナガ駐屯地の基地司令部のあった施設内部は、今やゾンビ兵が徘徊する地獄のような有様だ。事象変換術によって簡単なプログラムを入力され、生前の肉体に備わっていた筋肉を駆使して駆動する最下級のデーモン、連中の世界の奴隷階級に施される処置である。
以前、レンが言葉の話せるデーモンを尋問して得た情報によれば、彼らの出身世界は長命種であふれかえり、生来の資質によって身分階級が決定され恒久的に保たれるのだという。
それはきっと、人には耐えがたい永遠不変の光の世界だ。
寿命によって死が訪れ上位者の座る席が空くことがない社会では、後発の個体ほど低い身分に押し込められ、社会維持のための歯車として消費されていく。事象変換術という武力すら知識を独占する先行者の方が強いから、長命の
そして権力闘争に敗れた個体がやり直す機会も訪れないから、デーモンたちは新天地を求めて地球に押し寄せてきたのだ。彼らの故郷でまかり通っている非人道的な手法が、容赦なく弱者である人間に適応された結果が、この屍肉機械だらけの悪夢だった。
レンは無感動な瞳でその惨状を見やり、通路を走り抜け、地下へ通ずるエレベーターのスイッチを押す。IDカードは無事に承認された。
エレベーターのドアが開く。
中にみっちりと詰まっていたゾンビ兵が、わっと雪崩打って押し寄せてくる。そのすべてを斬り捨てた。銀色の液化エーテルの血だまりができあがった。
エレベーターに乗り込んでしばらくの間、レンは無言だった。今回の事件の首魁と思しき高位デーモン・プルートヴェインはすでに斬り捨てた。あとは彼の弟子ミスラさえ無事ならば、それで一件落着のはずだった。
だというのにどういうわけか、アサバ・レンは胸がざわついていた。
この期に及んで自分のカワイイ――黒のゴシック・アンド・ロリータを着込んで戦場に殴りこんできた男は、しかしながら状況を俯瞰する冷静さを保っていた。
そう、おかしな点はいくつかあるのだ。
たとえばミスラが使ってみせた攻撃術式〈光の雨〉――アレは間違いなく、生前のキサラギ・ミオが開発し、実戦運用していた事象変換術だ。
もちろん偶然という可能性はある。レンがミスラに教え込んでいた術式は、元々ミオが開発したものだから、その延長線上で名前が似通うこともあるだろう。
だが、この荒廃した
事象変換術・世界卵の影響で、事象変換術そのものに対しての適性を高めて生まれてきた少女。そのようにレンはミスラのことを理解していたが、果たして本当にそれだけなのか。
エレベーターが停止し、そのドアがゆっくりと左右に開いていく。
一歩、前に踏み出した。
予想していたような銃撃や爆弾、地雷による歓待はなかった。ただ無味乾燥なコンクリート張りの地下施設は、排気用のファンの回転音だけが響いている。
灰色の部屋を、天井に取り付けられた防爆仕様の照明が色気なく照らしている。
そこは広々とした空間だった。おそらく地下司令部として建造されたはずのその場所には今、如何なる機材も置かれておらず――大きな十字架だけが、異物めいて部屋の中央に据え付けられていた。
そこには、一人の少女が固定されている。
普段着のジャケットは剥ぎ取られて、インナー姿で、その全身は血まみれで。
ぐちゃり、と床が濡れていた。
真っ赤な血が垂れ流され、床に染みついて、乾きかけたもの。
十字架に
明らかに致死量の血液が、磔にされた黒髪の少女から失われていた。ただでさえ白い肌から血の気が失せて、まるで蝋人形のような肌色になってしまっている。
「――ミスラ」
呼び掛けに答えはない。
ぐったりとして動いていないミスラに近づいて、アサバ・レンはようやく気づいた。
少女のうなだれた頭からは何の呼吸音もしておらず、半開きになった青い瞳には力がないことに。
動揺はなかった。
これはクズル・ミスラという少女ではない。かつてそう呼ばれていたはずの死骸に過ぎない。あまりにも冷たい納得が女装の麗人の胸にやって来て、そのままじわじわと魂に染みこんでいった。
見慣れた景色だった。
人間は死ぬ。理不尽に死ぬ。物言わぬ骸になる。この百八十年間、ずっとずっと見てきた風景。
自分でもどうかと思うぐらいに、優しく落ち着いた声が喉からこぼれた。
「――すまない、来るのが遅れた。師匠失格だな、俺は」
独り言のつもりだった。
しかしどうやら通信は繋がっていたらしく、ヘッドセット越しにもクレハが息を呑むのが伝わってきた。
『……レン、連れて帰るわけ?』
「ああ」
死者を弔い、涙を流す行為は生き残ったもののためにこそ必要だ。レンは磔にされた少女の亡骸に、罠が仕掛けられていないことを確認しようとして。
ぽたり、ぽたりとしたたる雫を見た。
ミスラの血だ。
プルートヴェインによってつけられた傷口から、とっくの昔に冷えて固まったはずの血が、生ぬるい体温と共に流れ出ていく。
湧き水のように、傷口から血があふれ出す。
どぱどぱと流れる血液は、瞬く間に床に溜まっていた生乾きの血だまりを洗い流していった。
それは最初、生身の人間から流れ落ちる赤い血液だったが――体重六十キロにすら満たない少女の骸が、こんなにも大量の血を秘めているはずがなかった。
レンは異常に気づいた瞬間、磔にされたミスラから飛び退いた。
何らかの
異常の発生源は、ミスラの死骸そのものだ。
その死体からあふれ出した血液は、今や川の流れのようになって床を這い回り、壁をぴちゃぴちゃと塗らし始めた。血が帯びた熱量によって、むせかえるような血臭が閉鎖空間の内部を満たしていく。
レンは一瞬、ミスラがその得がたい才覚によって蘇生した可能性を夢想して、即座にこれを捨てた。
これは奇跡ではない。
異変だ。
『レ――電波が、通じ――逃げ――』
クレハからの通信。だが、すでに遅い。エレベーターは血液の波に飲み込まれ、その動作を停止した。血の湧き水は、今や濁流となって地下室を満たそうとしていた。レンのブーツを濡らす血は生ぬるく、人肌のぬくもりを秘めていたけれど――その血なまぐささに混じる異物感に、女装の麗人は覚えがあった。
十字架に磔にされたミスラの頭部が、ゆっくりと起き上がる。
それはまるで、まどろみから目覚めたように緩慢な動きだった。
その心臓を撃ち抜くため、レンは射撃術式〈光の杭〉を起動させた。大気中のエーテルを凝縮させ質量体に変換、斥力場で投射する単純な攻撃術式だ。
早撃ちだった。
超常現象を引き起こしているのが、ミスラの骸だというのならば――ここでもう一度眠らせてやるのが、彼にできる最後の情けだった。
撃ち込まれた〈光の杭〉は質量換算で十五キログラム、投射速度は秒速三百五十メートル。拳銃ほどの速度と気安さで撃ち込まれる大質量は必殺の一撃のはずだった。
のろのろと顔を上げたミスラの両目は閉じられていた。先ほどまで確かに半開きになっていたはずの眼が、再び開かれたとき。
そこにあったのはミスラの青い瞳ではなかった。
「――まだ、わたしを殺せると思ってるんだね、レンくん」
黄金の
いつか聞いた言葉が、異口同音に告げられて――その絶望的な響きに、レンの両目が見開かれる。
投射された〈光の杭〉が消失した。
派手なバリアが張られたわけではない。まるで何でもないことのように、呼吸するように周囲の空間に存在するエーテルを通じて術式をキャンセルしたのだ。
最早、何が起きたのかもわからぬ超常の技だ。
いつの間にか、部屋中にあふれかえっていた血液は
それは事象変換術だった。
知っている。
その術式の名を、アサバ・レンは知っている。
――〈ヘヴンズ・ベル〉。
ミスラの姿をしたものが、ゆっくりと十字架から解き放たれていく。手足に打ち込まれていた大きな釘が、周囲の肉と骨ごと消え失せる。失われた血肉は瞬時に補填されていき、足先が地面につくよりも早く再生が終わった。
ぴちゃぴちゃ、ぴちゃぴちゃと銀色の血に足の指を遊ばせて、黒髪の少女の肌に色艶が戻っていく。
どくん、どくんと流出する液化エーテル。体中の傷跡から、絶えず銀色の血が流れ出て――やがて、七色の光があふれ出していく。
超高密度化したエーテルの光、事象変換術の根源、デーモンたちの驚異的生命力の源となる虚空のエネルギー。
――びちゃびちゃ、ぐちゃぐちゃ、ばきばき。
――血があふれていく。肉が裂けていく。骨が砕けていく。
何かが弾け飛び、千切れて、膨らんでいく音。
ミスラのしなやかな肢体がひび割れて、膨らみかけの乳房が、筋肉質だがまろやかな曲線の尻が、内側から光に引き裂かれていく。
それは乾いた粘土細工が、ぱらぱらと剥がれ落ちていくような光景。
血と肉と骨で編まれた人体ではありえぬほどに、美しく――極彩色の光が、まるで刃のごとくミスラの全身を内側から刺し貫いて。
――爆ぜる、壊れる、剥がれる。
ミスラだったものすべてが砕け散った。
それは羽化。サナギから蝶が脱皮して現れるように――ミスラという
蝶の羽のようにその背を切り開いたのは、二対四本の長大で優美な腕。
少女の元々の四肢と合わせて、三対六本となった腕――古代の仏像を思わせる左右対称の異形。
銀色の血の飛沫が押し寄せる中、アサバ・レンはそれを見た。
一糸まとわぬ清らかな身体、幾度となく体温を重ねたなめらかな肌、どんな化粧をしても敵わない美貌――最愛の人の姿を、そこに見つけてしまう。
「――ミオ」
亜麻色の髪をした少女は、百七十年ぶりに巡り会った最愛の人に微笑んだ。
恋するように、愛するように、慈しむように。
「――その格好、とってもカワイイね」
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