邪竜プルートヴェインVS女装ゴスロリ剣士
邪竜プルートヴェイン。
多くの場合、出身世界における敗残者であるデーモンと異なり、この高位デーモンは元の世界でも相応の地位を築いていた個体であろう――そうレンは思考する。
これだけ深く人間社会に潜伏していたデーモン、それも破壊工作に特化した夢魔種ならざるドラゴンなど、レンの長い人生でも遭遇したことはそう多くない。
第三十二農作物生産プラントに対する夢魔の派遣と乗っ取りの企て、その後のオークの戦闘集団の召喚など、きな臭い事件にはだいたい関わっていたと考えた方がいい。
考えることは山ほどあったが、レンが気になることは一つだけだ。
「――で、どこからミスラのことを知った?」
問いに答えはない。
代わりに叩きつけられたのは、黒鉄色の邪竜の息吹だ。
ドラゴンブレス。
長い首を使って収束し加速された物質化エーテルの粒子ビーム砲だ――極超音速に到達した凶悪な水鉄砲である。凪ぐように口腔から噴射されたそれは、瞬時に大気をプラズマ化させ、着弾地点を粉砕して破壊し尽くした。
その射線上にあった兵舎は真っ二つに切断され、転がっていたゾンビ兵は粉みじんになって宙を舞った。
レンはそれを危うげなく回避して、刀を手にその巨体へ走り寄った。
ひるがえるゴスロリのスカート。
『貴様は隠れ潜んでいたつもりだったのか? 青い瞳の悪魔の噂はすぐに耳に入ったぞ、年頃も背格好もぴったり一致する。わからぬはずがあるまい?』
嘲弄と共に、竜魔種の攻撃術式が発動する。対人用と思しきパチンコ玉ほどの散弾が竜の体表で形成され、雨のようにレン目がけて降り注ぐ――そのすべてを防御術式〈光の盾〉で弾きながら、剣杖を振るった。
エーテルを励起させ、刃に充填して霊体密度を高めて斬撃を放つ。
ただそれだけの単純な攻撃動作。
また反応装甲が起動する。瞬時に七色の光を放って爆ぜる竜の鱗――膨大なエネルギー放射による運動エネルギーの相殺を突き抜け、刀身が竜の肉を刻んだ。
されど浅い。
プルートヴェインの全体からすれば、まだ薄皮一枚が切れたに過ぎない。
反撃とばかりにその長い前脚が振り下ろされる――堪らずに飛び退いた次の瞬間、砕け散ったコンクリートの残骸が飛び散った。
「化け物どもが、人間を悪魔呼ばわりか」
『……思い出したぞ、悪魔どもが〈斬伐者〉と恐れている悪魔がいたな。自ら魔王を殺し、数多の戦士を殺し、決して銃弾で倒れぬ不死の怪物と聞いたぞ。南北のアメリカ大陸、ユーラシア大陸、オーストラリア大陸、アフリカ大陸……悪魔どもの住まう大地すべてで同胞を殺し、死と恐怖の神話となったらしいな?』
「よく喋る」
あまり思い出したくない過去の話である。不愉快なものばかり見てきた百八十年間だった。
空間中のエーテルを摂取すれば生きていける超越種デーモンにとって、地球に住まう人々はおぞましい虫けらだった。常時、他を喰らう食物連鎖の業を背負わねば満足に生きていくこともできない人類は、彼らにとって生まれながらに呪いを背負った地獄の化身だ。
そしてとうとう人類がデーモンの死骸を加工して兵器を作り始めた時点で、デーモンにとっての地球人は悪魔の別名になった。勝手に余所の世界に押しかけてきておいて、勝手に嫌悪と憎悪の対象にしてくるのだから身勝手極まりない。
最悪のディスコミュニケーションを連鎖させ、地球人とデーモンは殺し合いの歴史だけを積み重ねてきた。
弟子を救出するために大国の駐屯地に殴り込みをかけるレンは、どう考えても無謀で狂っていた――そんな彼の感情を逆なでするように、邪竜は高らかにその目的を告げる。
『悪魔どもの王がこしらえた究極の秘術、呪いの凝縮した極点――世界卵を喰らい、私はより尊い存在へ昇華されるのだ』
「出世魚みたいな生態だな?」
レンが茶々を入れると、プルートヴェインはキレた。よほど格下の下等生物に舐められるのが嫌らしい。
『虫けら風情がッ! この私を侮辱するか!』
「もちろん」
レンは肩をすくめた。
少なくとも尊敬する理由だけは皆無と言えよう。
第一、余所の世界に押しかけて殺戮と陰謀にふける輩に好意的な感情を抱く方が無茶であろう。
ウィンクして自身の
『我ら竜の極点は星すら砕く! 私の踏み台となって死ね、〈斬伐者〉よ!』
黒鉄色の邪竜が羽ばたき、その巨体がふわりと空を舞う。空中飛行。瞬時に急加速、急制動が可能な竜魔種が誇る絶対的なアドバンテージである。
上空三十メートルほどに滞空しながら、プルートヴェインが術式を起動する。
周囲のエーテル操作の痕跡からして、おそらくは雷撃を操る事象変換術。
雷速での攻撃とは、ずいぶんと本気になったらしい。
さて、どう殺したものか。
通常質量に換算して一万トンクラスの霊的エネルギーが、三十メートル足らずの巨体に詰まっているのだ。人類がかつて運用していた全幅五十六メートルの爆撃機の重量が八十三トンほど、第三世代主力戦車が六十トンほどであることを考えればその異常な密度がわかるだろう。
真っ当な攻撃手段では、そもそもこの巨体にダメージを通すことは難しい。その全身を巡るエーテルの循環は、肉体が傷つきそうになった瞬間、強烈なエネルギーとなって解き放たれ外部からの干渉を遮断する。
しかも万が一これを貫通されても、すぐに再生してしまうと来ている。確実に殺しきるのであれば、熱核兵器の爆心地に巻き込んでこれを連打するぐらいの覚悟がいるだろう。
そう考えながら、レンは剣杖を構えながら生体コンクリートの建物の壁を駆け上がった。
「忠告しよう――」
機動術式〈光の翼〉を起動する。空間中のエーテルを取り入れて推進力とする術式と、空気抵抗をゼロに近づける術式を並行運用。
宙を舞う
両手で剣杖の柄を握ったレンは、自身に向かって発射される無数の雷撃の光をその目で捉えた。
「――星が砕ける程度でホラを吹くな」
何故ならば。
破壊規模の大小を問題とする時点で低劣な愚物に過ぎないのだ。
目を焼くような雷光、絶縁破壊が起きてイオン化した大気の異臭、耳をつんざくような雷鳴の轟音。
プルートヴェインから全方位に放たれた雷――空気中を突き進むマイナスの電荷――そのすべてを一刀の下に斬り伏せた。
あり得ぬことであった。人間が、人の身に留まる尋常の生物が、雷速で迫る電気的エネルギーそのものを無効化するなど。
邪竜は思考する。
思考して、推測して、予測して。
アサバ・レンを名乗る存在の正体に気がつき、そのエーテル結晶の脳組織に、絶望的な真実が去来する。
その感情は、おそらく恐怖であった。
邪竜の巨影とゴスロリ剣士の影が、空中で重なる。青ざめたエーテルの燐光を伴って、日本刀型の剣杖が振るわれた。
――光芒一閃。
超高密度に圧縮されたエーテルを帯びたその刀身は、触れたものすべてを引き裂き、無慈悲にその構造を破壊する死の一撃だ。
竜の鱗に充填された防御術式、反応装甲のごときエーテルのジェット噴射すら封じて――その剣閃は
邪竜の全身を駆け巡るエーテルの流れが乱れる。重力に逆らって体組織を維持していた事象変換術が、本来の働きを離れ、過剰な出力でその肉を、骨を、魂を歪曲させていく。
べきべき、ごきごきと異音が鳴る。
それまで自然界にはあり得ぬ刀剣のような造形美を誇示してきた巨体が、音を立てて壊れていく。
体組織の自壊と生理機能の暴走は、凄まじい速度で進んでいき――三十秒と経たずに、黒鉄色の竜はぐちゃぐちゃに溶け崩れていた。
凄まじい苦痛と絶望だけが、プルートヴェインの精神を満たして。
その知性は崩壊した。
『ごえ、ごぎゃあああああぁぁああああぁああ!?』
空中で膨れてねじれていく。その内骨格が自身の身体を駆け巡る事象変換術の暴走に巻き込まれ、関節で折りたたまれ、ボキボキにへし折れていく。
肉が裂けて、銀色の液化エーテルを雨のように振りまいていく。強靱な体組織が水分を絞り出されたボロ雑巾のように縮んでいき、竜魔種の大型デーモンだった肉塊が、ぐちゃりと地面に墜落する。
ぐちゃぐちゃになった骨と肉と血のミックスジュースが、地面のあちこちで燃え残っていた炎を消していく。
その銀色のスコールを斥力場の盾で弾きながら、ぽつりとレンは呟いた。
「〈竜殺剣〉――
通信が入ってくる。
基地司令部に押し入ったクレハからのものだ。
『レン、あんたのお姫様の居場所がわかったわよ!』
「すぐ向かう」
ストレートヘアの黒髪が夕闇の空を背景に揺れた。
レンは振り返ることなく、戦友からの指示に従って基地内を駆け出した。
◆
――夢を見ていた。
夢の中でミスラは誰かと対峙していた。
裾のすり切れた外套を身にまとい、腰のベルトに剣を差して現れたその青年は、少女の知る人物と顔立ちがよく似ていた。
黒い髪、黒い瞳、少女と見まごうほどに端整な顔立ち――おそらく遠いいつかのアサバ・レンであろう人影。
そのまなざしは険しかった。
二人が立っているのは物理的な距離感の掴めない不思議な世界だった。少なくとも太陽や月が見えないことから屋内なのは確かだが、垂直方向にも水平方向にも果てがないのだ。
例えるならばそう、3Dを扱うコンピュータ・グラフィックスのソフトウェアで、何もオブジェクトを配置していない空間がこのように見えるだろう。
生まれてこの方、一度もコンピュータなど扱ったことがないミスラは今、自然と大崩壊前ありふれていた概念を理解していた。
まるで生まれる前から知っていたかのように。
白亜の床は傷一つないなめらかさだ。
自分が声を発する。
「――キミが、わたしを殺しに来るんだね。レンくん」
返答はない。
数秒間の沈黙のあと、やっとレンは言葉を発した。
「今すぐ〈ヘヴンズ・ベル〉を止めろ、ミオ」
「断るって言ったら?」
静かに青年の腰から刀が抜かれる。
自身が設計したその刃の輝きを見て、本当に悲しそうに女は呟いた。
「これだけは断言できるよ、レンくん。人間は何度でも同じことを繰り返す。今、わたしたちが東京で遭遇してきた人たち――殺し合って、奪い合って、騙し合うことを正当化している人々は、特別な邪悪でもなんでもない。真っ暗で底のない人類という暗黒のほんの一部なんだよ」
人間の愚劣さを語る台詞には、ただひたすらに深い愛情があった。そこには拒絶も憎悪もなくて、静かに凪いだ湖面のように落ち着いた結論だけがあった。
剣を抜いた男に対して女は丸腰だった。が、そこには油断もなければ恐怖もない。多少の武器の有無では埋められないほどに、レンと呼ばれた青年と彼女の間には絶対的な差があった。
すなわち修練を積み上げて超人に域に達した人間と、それを易々と超越する神に愛されたものの格差だ。
「弱くて愚かで醜くて、一番救いたくならない人々こそ平和な日常の中ではどこにもでもいる平凡な人々だったはずだよ。虫けらのように殺されていくのが、人間の死であっていいはずがない」
「おまえ自身の絶望を、人間全体に押しつけるのはやめろ。この
「そうだね、でもねレンくん」
女はすでに、男がどうして自分の答えを拒んでいるのか理解していた。自分は論理を突き詰めて、一番多くの人々が救われる道を選んだつもりだ。
しかしそれは、現状維持で満足しているものにとっては劇薬の答えだ。
今の東京はある意味では地獄だが、ある意味では安定していた。異界生物デーモンの侵略が続く中でも、人と人が手を取り合い、力を合わせれば一定の秩序を築ける。
だが、それだけだ。
崩壊していく文明を復興させる原動力などそこにはない。凍え死に、疫病で倒れ、飢えて野良犬のように死んでいく大勢の人々から目を背けて――自分たちの手が救える範囲の人々だけを守る。
そういう素朴な善良さの限界が、アサバ・レンという青年の正義感なのだ。女が世を救うため切り捨てたのは、愛する人のそういう善のありようだった。
「それでも人は、ありもしない希望にすがって、獣のように尊厳なく死んでいく人々を仕方がなかったの一言で済ませるんだよ」
それが、決裂の合図だった。
レンは信じられないものを見るような目で、彼女を見つめてくる。女にとって男の善良さは血まみれの怠惰であり、男にとって女の苛烈さは受け入れがたいものだった。
ゆえに、お互いの取るべき決断は一つだけだった。
「俺が、おまえを止める。キサラギ・ミオを、大量殺人者になんてさせない」
――最愛を殺す。
百七十年前の東京上空、極大の事象変換術――世界卵〈ヘヴンズ・ベル〉の中で、互いを愛する男女の殺し合いが始まって。
死闘の果てに、息絶えたのは女の方だった。
ミスラがそういう結末を噛みしめた瞬間、追憶に過ぎないはずの幻覚の中で異音がした。
それは耳元でささやくような、優しい声音だった。
『――こんにちは、ミスラちゃん』
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