二人で襲撃するから絆が深まるんだ






「ミスラはおそらく……何らかの形でキサラギ・ミオの影響を受けて生まれてきた存在だ」




 自動車の運転席に座ってハンドルを握るアサバ・レンがこぼした言葉に、ミドウ・クレハは目を丸くした。

 オフロードタイヤが、綺麗にならされた道路と接触する走行音。この道路をよく使うヨミナガ駐屯地の軍隊が、道路を改めて整備したおかげか最高に走り心地がいい。道路脇の雑草すら刈られているから視界も良好だった。


 あの和解――といっていいのかはわからない、かなり一方的なイベント――からすぐ、二人はアサバ探偵事務所の傍に止められていた自動車に乗り込み、出発した。

 本音を言えばレンは、竜魔種ドラゴンの襲撃で被害を受けた住人の救助を行いたかったが、拉致されたミスラのことを考えるとそちらに時間を割いている暇はなかった。


 テルヒサとかがまあ上手くやるだろう、たぶん。周辺住人には「ミスラがさらわれた、逃げたデーモンを始末する」とだけ伝えての強行軍であった。

 薄情な振る舞いである。

 そうレン自身は認識していたのだが――そんなお人好し極まる男の横顔を見ながら、クレハは疑問を投げかける。


「いや、なんか特別なガキだとは聞いてたけど……何それ、ありえるの? ミオが死んでからざっと百五十年以上は経ってるわよ?」


「俺たちが事象変換術やデーモンについて知っていることはあまりに少ない。元々、俺がミスラを見つけたのは、ミオの残した術式の痕跡を追っていたからだ」


「魔法って言っても、これは要するにエーテルを通したエネルギーの変換でしょ? 何あいつ、死後も意思が強まるわけ? 意味わかんないですけど?」


「俺やおまえが二百年近く生きているんだ、何が起きても不思議じゃないだろう」


 納得しかねる様子のクレハにどう説明したものか、レンは頭を悩ませた。元々、レンとて世界卵について多くを知っているわけではない。彼の持っている知識の多くは、ミオと殺し合いになるまでの間に重ねた対話で得たものであり、残りは彼女の死後にその研究資料を漁って辛うじて理解できた断片からの推測だ。


 残念ながら本職の天才物理学者の見いだした世界の真理を理解するには、アサバ・レンには高等数学と物理学の素養が足りない。一応、大学受験を控えていた高校生としてのうろ覚えの知識はあるが、逆を言えばその程度である。


 人間は自分がふんわりとしか理解できていないものを、わかりやすく他人に解説できたりはしない。そしてレンは口先だけのもっともらしい詐術をクレハ相手に使いたくはなかった。

 だから彼に言えるのは、たった一つの真実だけだ。


「……世界卵は、ミオがしでかそうとしていた計画の残骸だ」


「こんなに時間が経っても大人気ね、ミオは」


 かつてキサラギ・ミオが開発した事象変換術・世界卵にはそれだけの危険性と可能性がある。

 そのときだった。

 レンの目が視界の彼方に異物を捉えた。

 同時にクレハが呟いた。


「止めて」


 ブレーキを踏む。

 停車すると同時にミドウ・クレハはシートベルトを外し、ドアを開けて外に踏み出した。


「ちょっと狩ってくる」


「気をつけろよ」


 そして瞬時に女の姿がかき消える。剣杖を抜いた超人の動きは、レンの動体視力を持ってしても追いかけるのがやっとというほどに速い。

 三十秒後、乾いた銃声がしてすぐ静かになった。


 それが聖塔連邦陸軍の使用している自動小銃のそれだと気づき、レンはなんとも言えない表情になった。電磁加速式のライフル弾を超音速モードで投射したとき特有の空気の破裂音だ。


 クレハはするっと戻ってきた。

 赤いコートの女傭兵は返り血一つ浴びていなかった。その両手に握られたダガーナイフ型の剣杖についている体液は、液化エーテルの銀色だった。


「検問の兵隊、全員ゾンビ化してたわよ。ありゃデーモンの傀儡ね」


「わかった。このまま突破する」


 クレハが車に乗り込むなりアクセルを踏む。

 大崩壊前には自動運転車両の技術もあったが、今の世界にそんな便利なものはない。運用の前提になる人工衛星を使った測位システムや高度な電子機器の供給が途絶えてしまったからだ。


 そして既存の電子機器の多くも、コンデンサなどの電子部品の劣化や、核兵器の使用に伴う電磁パルスの影響を免れることはできなかった。

 ちなみにアサバ・レンは十八歳になる前に大崩壊を迎えたので、旧文明の基準で言うなら無免許運転だった。


「ゾンビか……基地司令のニイジマが怪しいな。以前から人前に出てこない変人と評判だった」


「好き勝手に食い荒らされてるわねー、天下の聖塔連邦軍が情けない」


 もっともこれからその駐屯地に殴り込みをかけようという二人にとっては好都合だ。人間ではなく高位デーモンとその傀儡を相手にすればいいのなら、最初から全力で殲滅戦を仕掛ければいいからだ。

 たった二人だけの戦力とは思えないほど、レンとクレハは強気だった。


「確認しておくけど……あのガキをさらった竜魔種はヨミナガ駐屯地の方に向かったってことでいいのよね」


「あぁ。兵士がゾンビ化しているなら決まりだろう」


 今までは周囲の目を欺く必要があったから、基地司令に化けて――あるいはその身体を傀儡にして――いたデーモンが、世界卵の残滓であるミスラを確保したことで用済みとばかりに本性を露わにした。

 大方、そんなところだろう。


 レンが交戦した竜魔種ドラゴンほどの強大な個体になると、通常、人間の携行火器で傷つけるのは不可能に近い。唯一、重火器の飽和攻撃でその鉄壁の防御を破る可能性があるヨミナガ駐屯地の軍隊を初手で潰しておくのは理にかなっている。


 そして竜魔種のデーモンともなればその強大な魔法の力で、殺害した人間の死骸を自動機械めいた存在に作りかえることもできる。条件分岐プログラムを組み込まれてエーテルで駆動する屍肉機械――それをデーモンハンターの界隈ではゾンビと呼んでいる。


 ゾンビはそういう条件反射で動くBOTに近い存在のため、人間のふりをさせるのは無理がある。だから聖塔連邦本国をギリギリまで欺いて、このタイミングで兵士をゾンビ化させたのだろう。

 犠牲者を悼む気持ちはあった。だが、そんなことを口にしても状況は変わらないから、レンもクレハもその点には触れなかった。


「で、作戦は?」


「おまえが殲滅術式で焼き払ったあと俺が突撃して暴れる。その隙に基地内部に侵入してミスラの居場所を特定してくれ、簡単だろう?」


「……作戦って呼ぶには雑過ぎない?」


「俺の負担の方がデカいぞ。短距離通信用のヘッドセットも用意してある、使ってくれ」


「いや、根本的に無茶でしょこれ……まだあたし単独で潜入の方がマシじゃない?」


「悪いが確実性のためだ。俺が暴れた方がいい目くらましになる」


 この二百年近い歳月で男は無茶苦茶なことを平然とやるようになっていた。

 アサバ・レンはにやりと笑って、クレハに無茶振りをした。


んだ、安いものだろ?」


「レン、性格悪くなってない!?」


 勝手に人の家に押し入ってドアと窓を破壊して去っていく女ほどではないはずだ。修理には伝手を使ったが、かなりの金額がかかったのでレンはちょっと根に持っていた。

 このぐらいのただ働きはしてもらわないと困る。

 レンはクレハに甘いが、それはそうとしっかり貸しを数えておくタイプだった。







 聖塔連邦陸軍ヨミナガ駐屯地は、ヨミナガ市の東端から十四キロメートルの地点にある巨大な陸軍基地である。

 ヨミナガ市議会が聖塔連邦からの圧力に屈して許可され、連邦陸軍の手で建設されたこの基地施設は、高度な土木建築技術を持つかの列強の国力を象徴するように広大な敷地に作られた。


 陸軍基地ではあるが回転翼機ヘリコプターや航空ドローンなどの航空機の運用まで行っており、飛行型デーモンを除けばヨミナガ地方で唯一、制空権の概念を持った武装勢力なのである。


 駐屯地の周囲には地雷原が敷かれており、備え付けられた対空砲によって空からの侵入も難しい。まさに鉄壁の防御を誇るのがこの基地なのだが――内側から腐り果てた要塞ほど脆いものはない。


 凶悪なる魔法を使う高位デーモンの手に落ちた基地に、最早、生きた人間の姿はいなかった。

 ヨミナガ駐屯地に夕日のオレンジ色の光が差し込む。生体コンクリートの建屋から出てくるのは、死人のような肌色で濁った目をしたゾンビ兵たちだ。


 生前、厳しい訓練によって身についた動作そのままに小銃を構え、火砲の備え付けられた装輪戦闘車を乗り回して警戒を敷くゾンビたち――彼らはあらゆる動くものを抹殺するよう命じられた屍肉機械だった。


 たとえ何人であれ、この基地に近づくことはできない。

 そう思わせる厳重な警備――だが、基地へ出入りするための正面ゲートに真っ正面から突っ込む影が一つ。


 そいつは黒のゴシック・アンド・ロリータを着込んでいて、帯刀していて、場違いなほどに見事なストレートの黒髪ロングヘアを風圧に揺らしていた。

 美少女(身長百七十八センチ、性別は男性)が前傾姿勢で全力疾走していたと思っていただきたい。


 黒のゴスロリで女装したデーモンハンター、すなわちアサバ・レンである。

 当然、そのような襲撃者は想定されていたものだった。即座に正面ゲートにずらりと並べられた装甲車の機関砲が火を噴き、二十五ミリ電磁機関砲が空気を切り裂く。

 重機関銃の直撃に耐える中型デーモンであろうと屠れる弾幕だ。


 しかしアサバ・レンは超人である。

 その銃火の嵐を回避して――あるいは防御術式で弾いて、いささかも速度をゆるめることなく正面ゲートに突進していく。

 見る見るうちにレンと装甲車の距離が詰まり、とうとうゴスロリ男が車両群の真上を飛び越えた。


 すれ違い様に叩き込まれた斬撃で、あっさりと両断される装甲車。

 基地内に警報が鳴り響き、ぞろぞろと正面ゲートを防衛するためゾンビ兵たちが湧いて出てくる。その数は軽く五十名を超えており、基地内部のそれを含めればその十倍は軽くいるだろう。

 レンは頷いた。


「もういいぞ、クレハ」


『了解ッ!』


 次の瞬間、基地上空で膨大な量のエーテルが荒れ狂い、純粋な熱量へと転化されて――紅蓮の炎が顕現した。

 火焔、火焔、火焔。

 重力に従って眼下の地上に、紅蓮が流れ込む。たった数秒でヨミナガ駐屯地は炎に包まれていた。


 降り注いだ炎の滝が、上空からの攻撃に無防備だったゾンビたちを包み込み、装甲車両を焼損させて行動不能にしていく。生前の体組織を引き継いで動いているゾンビたちも、身体を構成する筋肉が炭化してはもう動くことができない。タイヤや電装部品が焼き付いた車両も使い物にならない。


 それは有機的組織はおろか無機物も容赦なく焼き切る火焔の雨だ。

 摂氏一千七百度にも達する超高温の火焔を出現させ、燃焼反応を長時間にわたって持続させ効果範囲内の生命体を焼き尽くす焼却術式〈溶鉄陣〉。


 傭兵ミドウ・クレハが得意とする殲滅用の攻撃術式である。

 火だるまになったゾンビが次々と倒れ伏していく中、アサバ・レンは汗一つ掻いていなかった。


 そのゴシック・アンド・ロリータのドレスにも焦げ付き一つない。見渡す限り、基地の正面ゲート前は焼死体だらけだった。聖塔連邦軍の銃器は電磁加速式のものが大半だから、弾薬に引火することはない。

 ただ人肉と体毛と衣服が燃える悪臭が漂う中、レンはクレハに礼を言った。


「助かった、あとは潜入の方を頼む」


『はいはい、あんたのお姫様の居場所ね!』


 やけくそ気味のクレハからの応答を聞きつつ、レンはすたすた歩いていく。炎をものともせず、レンは正面ゲートを乗り越えて基地内に乗り込んだ。

 まさに業火である。


 天から降り注ぐ火焔によってゾンビたちは焼き尽くされ、基地内に展開していた装甲車両もほとんどが使い物にならなくなっている。

 攻撃術式の展開は終わつつある。火災に強い生体コンクリートの建屋は頑丈だったし、化石燃料を使っている車両もないから意外と燃えるものが少なかったらしい。


 軽量化のために耐火性が犠牲にされた航空機や人間の成れの果て、また樹脂類が燃えて、もうもうと黒煙を上げている。高熱で熱せられた空気は呼吸器を焼くほどの熱を帯びていたが、どのみち肺呼吸をしていない人外の域のデーモンハンターには関係なかった。


 正直なところ、この状態はあまりよろしくない。事後にこの基地がデーモンに占拠されていたと証明する証拠ごと殲滅しているに等しい。

 だが、そんなことを気にしてはミスラを助けられない。

 地上にミスラの気配――漏れ出すエーテルの痕跡を追跡してレンはここまで来た――がないことは確認済みだった。


 そうなると地下施設があると考えるべきだが、その入り方がレンにはわからない。そしてこの手の潜入・破壊工作やハッキングはクレハの得意分野だった。あのろくでもない刹那的暴力性さえなければ、ミスラの手本にしたいぐらいにクレハは多芸だ。

 さて、相手はどう出るか。

 そう考えたときだった。


 コツコツコツ、とわざとらしい足音がした。

 杖をついている男が一人、生体コンクリートの建物からレンの前に歩み出てきた。

 聖塔連邦陸軍将校の制服を着た男は、顔色が悪く痩せぎすで、ついでにとても不機嫌そうだ。


「これはこれは……ニイジマ司令官とお見受けする。この通り、少々派手な贈り物になってしまったが気に入っていただけたかな?」


 レンの挨拶に対して男は無言だった。

 しばらくぼーっとたたずんでいた男は、やがて糸が切れた人形のようにその場に崩れ落ちた。

 そして声。

 空気を震わせる術式による発声――あの黒鉄色の邪竜だった。


『……あの数のワイバーンの襲撃を受けて無傷。貴様、本当に人間か?』


「基地司令の正体がドラゴンとはな。どこで入れ替わった?」


『答える必要があるのか、デーモンハンター』


 空間が引き裂かれたように、真っ黒な影が何もなかったはずの虚空を侵していく。どす黒い質量体、全身に事象変換術の術式が絶えず循環している物質化エーテルの怪物がその質量を露わにする。


 頭部から尾っぽの先まで三十メートル以上はあるであろう巨躯、刃のように尖ったトカゲとも刃物ともつかない頭部、刀剣のような牙が生えそろった口腔、蛇のように長い首、古代に繁栄した竜脚類を思わせる太い四つの脚部、重厚で分厚い鱗に覆われた胴体は小山のよう。


 翼竜のそれを思わせる翼は一対二枚、それ自体が巨大な揚力を生む飛行術式の発動媒体。

 レンの見立てでは、その巨体に通常物質換算で一万トンクラスの霊体密度を秘めた本物の化け物だ。



――高位デーモン、竜魔種ドラゴン



 舗装された地面が軋み、ひび割れていく。

 重量軽減の魔法が使われていてなお、巨大過ぎる邪竜の質量は人類の建造物に耐えがたいらしい。ぶおん、その尻尾が振るわれ、背後にあった航空機の格納庫が一撃で倒壊した。


 怪獣と呼んだ方がいいスケール感と質量だ。

 あるいはそれ単体で都市を滅ぼせるほどの悪意を秘めた高位デーモンが、ぎろりと眼光鋭くその目をレンに向けた。

 その右目はすでに再生していたが、まぶたに刻まれた切り傷は再生しきれていないようだ。


「一応、名乗っておこう。俺はアサバ・レン、俺のカワイイ弟子をどこにやった?」


 名乗りに対して、黒鉄色の邪竜が牙を剥きだしにする。

 どうやレンの挑発と受け取ったらしい。




『私は尊き血の騎士、〈原初の太母〉の子プルートヴェイン――神聖な儀式の邪魔をした報いを受けてもらうぞ、虫けらがッ!』




 咆哮。

 ごああああああああああ、と空気を震わせる威嚇音だ。

 それを聞いて呆れたようにため息一つ、レンは右手に握った日本刀型の剣杖を構えた。



「俺の友好的挨拶が気にくわなかったか……」



『いきなり基地を焼いておいてなんだ貴様ァ!!!』



 レンはプルートヴェインの怒りを聞き流した。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る