世界卵の乙女







 そのときだった。

 からんからん、とドアに取り付けられたベルが鳴る音。

 美少女(身長百七十八センチ、性別は男性)が、入店してきたと思っていただきたい。。


 艶やかな黒髪を腰まで伸ばし、これまた黒のゴシック・アンド・ロリータを着込み、スカートからにゅっとガーターストッキングに包まれた脚を曝した女装の麗人である。

 その左腰にはベルトで日本刀型の剣杖ソードロッドが吊されており、彼がデーモンハンターであることを周囲に報せている。


 その顔は美形であった。

 リップクリームを塗った唇は艶々としている。

 もちろんこんな酔狂な恰好をしたデーモンハンターは、ヨミナガには一人しかいない。

 デーモンハンター見習いミスラの師匠ことアサバ・レンである。


「あ、師匠」


 対して緊迫した空気でもなく、仲良く席に座ってプリンを食べている弟子と女傭兵。レンは困惑した。


「弟子よ、何か……仲よさそうだな?」


「レン、このクソガキ今すぐ引き取りなさい」


 ひらひらと手を振ってレンを呼び寄せるクレハは、とても刃物を振り回して殺し合ったとは思えない気安い距離感だった。先日の襲撃時とは打って変わってフランクな態度である。もちろんレンは困惑した。


「ミスラの身柄はどうなった」


「正直、あんたがまだ生きててそこまで強情だと思ってなかったってわけ。殺し合いするほどカネもらってるわけじゃないし」


 つまりミスラを殺そうとしたのは単に虫の居所が悪かったかららしい。

 この女、こういうところが本当によくない。


「逃げるのか?」


「逃げなきゃいけないのはあんたの方でしょ、アサバ・レン――このガキから話聞いてみれば、あんた相当ヤバい話に首突っ込んでない?」


 二個目のプリンをスプーンで突っつきながら、灰髪・緑瞳・千葉県出身の元フリーターの女傭兵(その胸元は豊かであった)はじっとりと据わった目つきでレンを見つめた。何を今さら、という態度である。


 いろいろと言いたいことがあるものの、下手に乱闘騒ぎになって喫茶店の主に迷惑をかけるのも忍びないので、レンはため息をついた。

 確かについさっきまで、夜逃げも検討していたタイミングだった。ゴシック・アンド・ロリータを着込んだ不死の青年は、どうやら本気で今のクレハには敵対の意思がないことを認識する。


「忠告か」


「お礼なら要らないわよ」


「事務所のドアと窓を吹っ飛ばしたやつが何を言っているんだ……?」


 ミドウ・クレハは皮肉でこういうことを言うタイプではあるが、同時に涼しい顔をして本気でのたまうときもある。どっちみち被害を受けた側としては「おまえは何を言っているんだ?」と言いたくなりもするのだが。


 ミスラと何の話をしていたのかは気にかかるが、どうやら彼の弟子は上手いことこの狂犬と対話に持ち込んだらしい。我が身を危険に曝していなければ褒めてやりたいぐらいの快挙だった。

 ふとノースリーブ姿のミスラ――タクティカルジャケットの下のインナーだ――が、立ち上がりながら喫茶店の主に声をかけた。


「ごちそうさまでした、お代はこちらに置いておきますね」


 そしてジャケットを着込んだ黒髪ボブカットの少女は、師匠の顔を見上げた。ミスラの身長はレンよりも十五センチ以上も低い――というのはレンの保護者心が為せる表現で、この時代の十四歳女子の平均身長を考えると背は高い方だ――ので、自然と彼女の視線はレンを見上げる形になる。


「それで師匠、勝手に事務所を抜け出した件なのですが」


「弟子よ、俺は勝手に出歩かないよう言いつけたはずだな?」


「ちょっと何? あんたクッソ過保護なパパになっちゃったわけ? ありえないぐらいキモいわね?」


「おまえが事務所のドアを破壊し、剣を抜いて暴れた挙げ句に、窓をぶち破って逃亡したせいで警戒を強いられたわけだが……」


 ちょっと弟子を叱るつもりだったレンに対して、冷やかすように声をかけてくるクレハだったが――もとはと言えばこいつが襲撃してきたからこんなことになっているのである。

 引き受けた仕事をあっさりと放棄して第三者みたいな顔してるのが信じられないが、まあ、思えば百八十年前からこういうやつだった。


 つまるところクレハは面の皮が厚い女であった。

 この大崩壊からこっちの暗黒時代を生き抜くなら、これぐらいの精神性の方が向いているのは間違いない。

 妙なところでミドウ・クレハを高評価しているレンは、そう思いながら弟子の方に向き直った。


「ともかく、だ。クレハがこの通りだから今回はよかったが、展開が違えばおまえ自身の命が危うかったのだ。そのことを踏まえて――」


「師匠、とりあえずお店を出てからにしません?」


 ミスラが気まずそうに声をかけてくる。

 そうだった。

 この店は喫茶店――ある種の中立地帯であり、その背後にはデーモンハンター協会がついている店だ。つまるところプライベートな説教をして、店主の不興を買っていいことは何もない。


 いまいち締まらない空気になったレンが、困ったように曖昧に微笑む。師の面子を潰してしまったと慌てて、ミスラがフォローするようにこう付け足した。


「いえ、もちろんウェルカムですよ師匠……!」


「弟子よ、めちゃくちゃ誤解を招く表現だぞ」


 急にかなりバカっぽいことを言い始めたミスラと、それに対して何かを諦めたように肩をすくめるレン。二人のコントみたいなやりとりに口元を歪め、ミドウ・クレハはツッコミを入れた。

 あらゆる意味で自分がもめ事の発端であることをけろっと忘れている言動だった。




「あんたってでもあるわけ?」




 その言葉を聞いた瞬間、レンとミスラの師弟はすごい顔になった。突っ込みたいがそれを言ったら間違いなく物理的な暴力が飛んでくるので言い出せない、そんな感じの微妙な空気だった。

 怪訝そうにクレハが首を傾げた。


「何よ?」


「気にするな」


 自覚がないミドウ・クレハに背を向けて、アサバ・レンは弟子を連れて歩き出す。

 もう自分たちは、あの魑魅魍魎がうごめく東京で冒険をしてきた頃の若者ではないのだ。

 あとたぶん、こいつはドアと窓の修理代を払わない。

 確信があった。







「帰るぞ」


 からんからん、とドアベルが鳴る。

 店を出てすぐレンとミスラは並んで歩き始めた。今はちょうど午後の昼下がり、ヨミナガ市の低い屋根の建物が並ぶ街並みを背景にして、人々が忙しそうに道を行き会っている。


 大崩壊ダウンフォールによる致命的な破綻を経て、人類の文明は規模を縮小して都市への集約が進んでいる。デーモンという脅威の出現やかつての熱核兵器、化学兵器の濫用の後遺症――土壌汚染された土地では自然回帰などできるはずもない――によって、人間が生きていける土地は極限られている。


 キサラギ・ミオが基礎理論を生み出した事象変換術フェノメノン・コンバータは、そんな世界に一定の秩序と文明を再開発した。

 たとえ近代的列強・聖塔連邦ジグラトほどの復興をしていないとしても、浄化された水資源や電力供給のめどが立っているのは事象変換術ありきだった。


 テクノロジー化された魔法の存在が、ひとまず生き残った人々から飢餓と疫病の恐怖を遠ざけてくれている。

 公衆衛生の維持、人間がとりあえず暮らしていける程度のインフラの構築。ヨミナガ市の行政や徴税機能は貧弱だが、それでも最低限の仕事は果たしていると言えるだろう。


 都市のキャパシティを超えて集まった人口が、都市周辺部にスラムを構築しているというよくある問題が発生してはいても――ここはひとまず、人間が生きていける世界だ。

 感慨深げにそんな人々の姿を眺める師に対して、ミスラがもの言いたげな視線を投げかけてきた。


「……聞かないんですか、クレハさんと何を話していたのか」


「想像はつく。大方、俺とあいつが昔、どんな関係だったのかとか、まあそんなところだろう?」


「むう……間違いではないのですが。師匠、今回は本当にすいませんでした。わたしの好奇心で無用な危険を呼び込んでしまいました」


「わかってるならいい。次からはせめて俺に相談ぐらいはしろ、いいな?」


「はい、師匠」


 そこで会話が途切れた。

 歩いて、歩いて、歩いて――たまに顔見知りに挨拶しながら、デーモンハンター・レンとデーモンハンター見習いミスラはアサバ探偵事務所へ帰路を急ぐ。

 おそらくミスラが何者かに狙われているのは事実だ。


 傭兵ミドウ・クレハがあっさりと身柄を狙っていた件を放棄したのは、少女の周りのきな臭さが想定外だったからだろう。

 問題はクレハには依頼人がいたということだ。


 彼女は決して安い金で動く類の傭兵ではない。おそらく前金だけでかなりの額が動いていたはずだ。

 そして今まで収集したヨミナガ駐屯軍の不穏な動き――これらの情報を総合すると、かなり不愉快な想像ができる。



――敵は聖塔連邦ジグラトに根を張っているのか?



 いずれにせよ、早急にこの街を去る必要があるかもしれない。

 そう思いながら歩みを早めたレンだったが、不意にミスラの足が止まった。何事かと思って弟子の姿を見やる。


 艶々とした白い肌、ボブカットの黒髪、切れ長の目にはめ込まれた青い瞳。タクティカルジャケットを着込んでショートパンツを履いた少女は、その容姿の美しさと格好がどこか不釣り合いだった。


 本当ならばヤトガミ地方の領主の娘として、もっといい服を着ていたかもしれない娘だ。

 そんな少女が今、アサバ・レンの顔を覗き込んでいた。

 可愛い弟子だった。幸せになって欲しいと思う。





「――





 不意打ちだった。

 いきなり核心を突く言葉を引き合いに出されたとき、レンが顔色一つ変えなかったのは単純に演技の問題だった。自分自身の肉体を理想的に振る舞わせるという点で、レンにとって表情筋の操作は呼吸と変わらない演技の一つだ。

 人間のふりばかり上手くなった不死者の青年は、そうして小首をかしげた。

 本当に心当たりがないという声音。


「なんだそれ?」


で読んだ言葉です。とぼけないでください」


 ダメだった。

 あるいはクレハから聞いた言葉なら誤魔化せると思ったのだが、自分のメモ書きが原因となるとそうもいかない。

 ミスラは聡い子である。下手な誤魔化しをしてもすぐに気づくし、自分への不信感をつのらせるだけだろう。

 そこまで考えて、レンは観念した。


「東京で起きた戦争については聞いているか?」


「はい、クレハさんが仰っていました……〈ヘヴンズ・ベル戦争〉。そこで師匠が……その、大切な人を手にかけたと」


 ミスラが言いにくそうに声を出すのを、レンはおかしく思った。

 そんな当たり前のこと、今さらすぎるのに。

 黒のゴシック・アンド・ロリータを着込んだ男がぴたり、と足を止める。風が吹いた。長い黒髪が風に揺れて、ふわりとシャンプーのにおいがミスラの鼻先をくすぐった。


 ちょっと少女は興奮した。デーモンハンター見習いミスラは恋慕の情をこじらせていた。

 変態だ。

 そんな弟子の複雑怪奇な情緒を無視して、レンは口を開いた。

 淡々と告げる。




「――。今から百七十年前、大崩壊の時期に成立した大規模な事象変換術フェノメノン・コンバータの一種だ。俺はその残滓ざんしを追ってヤトガミのクズル家にたどり着き……あの虐殺の現場に出くわした」




 目を閉じれば鮮明に思い出せる。

 百七十年前の東京、大崩壊の始まりから十年の歳月が流れて――かつて少年少女だった二人は殺し合った。

 最愛の人を、アサバ・レンは手にかけたのだ。


 そして男は、ただのデーモンハンターでいられなくなった。人間と人間が異能の力を用いて殺し合う地獄を渡り歩き、自らの手で裁定し、人間もデーモンも区別せず斬り捨てた。

 かくして〈斬伐者〉の伝説は生まれた。

 人も魔も区別せず差別せず、枝葉を切り落とすようにその五体を切り裂く怪物。

 そんな男が、昔いたのだ。


「おまえの事象変換術への高い適性には、世界卵の影響があるのだろう。そして東京で破壊されたその術式は、おそらく……今もなお狙っているものがいる」


 目を開く。

 ミスラは穢れない眼でレンのことを見ていた。

 晴れ渡った空の下、師弟は互いの瞳を合わせる――女装の麗人の黒い瞳を、少女の青い瞳がじっと見据えて。

 桜色の唇が、そっと息を吐き出して。


「師匠、一つだけ教えてください」


「うん」


 それはたぶん、あの真冬の空の下、彼によって助け出された幼子の疑問だ。

 黒髪の少女はありったけの勇気を込めて、本当に恐ろしくて仕方がない可能性を問うた。





「――?」





 問われているのは、あの場にいた理由ではなかった。

 もっと根源的な問いかけ――虐殺を生き延びたクズル・ミスラを、どうして救おうとしたのか。

 そういう真意を問いかけられている。


 レンは演技をやめた。呼吸が止まる。愛想のいいデーモンハンターではなく、もっとろくでなしで人でなしの自分が姿を現す。

 何故、あのとき幼い少女を助けようと思ったのだろう。


「あのとき俺は――」


 何度も問い直す。

 最愛の人が残した奇跡の残滓だから助けたのか。

 いや、そうではない。五年前のアサバ・レンは確かに〈ヘヴンズ・ベル戦争〉のやり残しを清算するためにヤトガミの地に赴いたのだから。


 彼は世界卵に関わるものすべてを破壊するつもりだった。それが人間の形をしていようと、容赦なく断罪するつもりだったのだ。

 なのに何故、あのとき自分は手を差し伸べたのか。

 思い出す。炎に包まれた屋敷で動くこともできず、表情を凍てつかせた幼子が一人――ああ、答えなど決まっている。




「――目の前の子供を助けたいと思った。それだけは嘘じゃない、絶対に」




 息を呑む気配。

 ミスラは目を見開いて、やがて安堵したように頬はゆるませた。

 ほぅっ、と柔らかな少女の胸郭が上下する。


「ならいいです」


「まだ、聞くことがあるんじゃないか?」


 突っ込んだことを尋ねられたら、いくらでもボロが出そうな人間がアサバ・レンだった。

 なのについこう言ってしまったのは、あまりにもミスラが無防備で安心しきっているからだ。もし自分が同じ立場だったなら、きっと猜疑心から厳しい追及をしている。


 レンはそう思ったのだけれど、彼の愛弟子は違うようだった。

 とてとてと再び歩き始めたミスラは、前に進んですぐに足を止めた。


「わたしがクズル家の娘だからとか、何かすごい魔法の影響を受けているからとか、そういう理由で救われたわけじゃないなら――わたしにとってあとは全部、些細なことです」


 弾んだ声音を隠そうともせず、乙女は白い頬をほんのりと上気させる。

 そこには親愛があり、慕情があり、尽きぬ感謝があった。




「師匠って下心ありきで誰かの面倒見られるほど器用じゃないんですよ、知らなかったんですか?」




 振り返って。

 花開くような笑みを浮かべるミスラは本当に綺麗だった。






――その笑顔を守りたいと思わせるほどに。










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