ヤトガミ事件











 生体コンクリートの無骨な外壁と裏腹に、その店の内装はこじゃれていた。レンガを埋め込んだと思しき西洋風の店構えである。

 顔馴染みの店があるのは、長いことヨミナガで暮らしているミスラがクレハに対して誇れる数少ないアドバンテージだった。


 ヨミナガの片隅にひっそりと存在するその店は、連邦からわざわざ取り寄せたという機械設備が稼働しており、大崩壊によって失われたかに思われた食文化の再現に余念がない。

 もちろん値段は張るが、師からお小遣いをもらっている――つまるところアサバ・レンは弟子に対して大概ダダ甘なのだ――ミスラは、定期的にこの店に通って甘味を食していた。

 そう、甘いもの。


 サトウキビに由来する甘味はごちそうだ。

 聖塔連邦の豊富な生産力によって精製され、都市警備隊が確保した輸送路を通じてヨミナガに流れ込んだ豊富な物資の一つ――すなわち砂糖。

 大崩壊から百八十年という時間はこの世界に、スイーツという素晴らしき文化を蘇らせてくれたのである。


 そういうわけで怪訝な顔のクレハをこの店に引っ張ってきたミスラは、とびきりの笑顔で二人分のプリンを注文した。

 一体どんな美食が出てくるのかと身構えていた魔女は、訝しんで黒髪の少女の顔をじっと見つめる。


「……ねえ、こんなところに連れてきた理由って」


「プリンです。このお店では、プリンが食べられるんです。すごいと思いませんか?」


「…………あー、あんたそういえば十四歳だっけ。クソガキだわ……」


 甘いものに目がないとかマジでガキよね、とため息をつく傭兵だったが――五分後、ミドウ・クレハはスプーンを片手に絶句していた。

 赤いコートを脱いで喫茶店で思う存分くつろいでいる女は、ミスラのおごりで出されたプリンを何のためらいもなくパクついている。


 不用心なようだが、おそらく並大抵の毒では効果一つない超人だからこその無警戒だ。そんなミスラの考察を嘲笑うかのように、灰髪の女はご満悦でプリンに匙を伸ばしている。


「うっま……プリンうっま……!」


「お気に召したようで何よりです」


 見ればこの女、グラスに注がれた水もめっちゃ飲んでいる。ここまで何のためらいもなく飲食されると、ものすごい大物に思えてくるから不思議だった。

 ちょっと動揺しているミスラに気づいたのか、伝説の傭兵〈火焔の魔女〉は当たり前のようにこう言った。


「安心なさい、毒入ってたらあんたもこの店も吹っ飛ばすわ」


 冗談抜きで有言実行するだろう人物だ。ミスラは顔を引きつらせながら否定した。


「入ってないと思います!」


「じゃあ問題ないわよね? ……うっま、やっぱ精製されてる砂糖は違うわねー」


 暗く底のない暴力性が嘘のように、ミドウ・クレハは機嫌を直した。

 どこか人懐っこくすらある姿に毒気を抜かれて、ミスラはどう対応すればいいかわからなくなってしまう。

 そんな少女の視線をどう解釈したのか、傭兵の女は匙を止めて少女を見る。


「で、あんたが聞きたいのはアサバ・レンの過去だったわね」


「はい、お聞かせ願えますか?」


「いいけど……流石に東京最強だの三英雄だのとヨイショされてたのも過去の話ね。あたしもあいつも本名そのまんまで活動してるのに、誰も正体に気づいちゃいない」


 昔を懐かしむようにその目が宙を泳ぎ、女はゆっくりと語り始める。

 そうして語られ始めたのは、如何にして旧文明の崩壊が始まったのかという当事者の体験談であり――そんな苦難に満ちた時代を、三人の若者が駆け抜けた時期の記憶だった。


 彼女の話の中に出てくるアサバ・レンはミスラの知る超然とした美青年とは全然違う少年だった。まずゴシック・アンド・ロリータのスタイルで女装をしていなかったし、剣の腕前だって目にも止まらぬ早業というわけではない。


 クレハの語るレンは等身大の少年で、そんな彼がどのようにしてデーモンの跳梁跋扈する都市で戦っていったのかの物語だった。

 何度目かの裏切りにあってもなお、その善性を損ねることなかった善なる少女と無垢なる少年――遠い昔に思いを馳せるように、ミドウ・クレハは目を閉じた。


「あいつはなんていうか人助けをしながら苦い結末に一抹の未練を残す感じが似合う男なのよ……そこが可愛げっていうかね……」


「うわぁ……」


 かなり屈折した惚気話を聞かされている気がする。ドン引きしたミスラのうめき声も気にせず、クレハは訥々とつとつと昔語りを続けた。

 そこには今はもう永遠に失われた過去への尽きぬ悔恨が秘められていたのだが、まだ年若い少女にその機微を察することはできない。

 彼女にわかるのはその慕情がとても身勝手なものだという、第三者としての正直な感想だけだった。


 ともあれ三人の若者が出会い、数多の悲劇と苦難を乗り越えて英雄になっていく物語は、ミスラをわくわくさせる内容だった。途中、グラスの水をおかわりしながら――店の主人はミスラが連れてきた客人ということで、いつもよりサービスがいいように思う――語り続けたクレハ、打って変わって不機嫌そうな顔になった。

 よほど喋りたくない下りに差し掛かったらしい。しばらくうなっていたクレハがは、やがて言葉をひねり出すようにこんなことを言った。


「昔々の話よ、この島国がまだ日本って呼ばれてた頃――その首都でドデカい戦争が起きたわ。ただでさえデーモンの襲撃でめちゃくちゃになってた東京上空に、わけのわからないデカブツが浮かんでね。政府の秘密兵器だとかデーモンの空中要塞だとか噂話はいろいろあった。ただまあ、一つだけ言えるのは全部終わらせたのがアサバ・レンってクソ馬鹿野郎ってこと」


 それはミスラの知らない歴史だった。

 東京というのは大崩壊で滅んだ旧文明の都市だと聞いている。

 デーモン襲来やその後の核戦争によって旧世界が崩壊し、今のような荒れ果てた新世界になったのは知っている。


 だが、どんなに師であるアサバ・レンから歴史の講義を受けていても、実感としてその崩壊過程を認知することはできなかった。

 今、少女の目の前で語られているのは、きっと大崩壊ダウンフォールというイベントの中に詰め込まれてしまった、生々しい戦火の記憶だった。



「――その事件の通称が東京決戦〈ヘヴンズ・ベル戦争〉。〈ヘヴンズ・ベル〉ってのはクソデカい空飛んでたやつの名前よ」



「知りませんでした。そんな戦いがあったんですね……」


「まぁ世間的にはそのあとの審判戦争ジャッジメント・ウォーの方が存在感あるでしょ。あんたみたいなこのクソッタレな世界の生まれならなおさらね」


 審判戦争。

 旧文明が致命的な崩壊を迎える要因になった、大きな戦争だったと師からは聞いている。彼からもらった聖塔連邦で使われている歴史の教科書にも、そう記されていたように思う。


 すべて伝聞であり、ミスラにはそれ以上の知識はない。体験した記憶はない。一次資料の記録など知りもしない。

 それが現実だ。

 姿勢よくして傾聴しているミスラの姿に何を思ったのか、灰髪の魔女は忌々しそうにこう言った。


「あたしはレンとミオの間に何があったのかは知らないわ。あたしたちが連んでたのは、〈ヘヴンズ・ベル戦争〉が起きるずっと前の話だから――あたしが抜けたあとも、レンとミオは二人一緒にいた」


「それって――」


「あの二人は恋仲だった。なのに気づいたら


 キサラギ・ミオは師匠の元カノで、それを師が殺したのだという。

 一体何があったらそんなことになるのか、ミスラには想像もつかなかった。

 彼女曰く。

 東京最強とも謳われ、市民の依頼を受けて報酬と引き換えにデーモンを討つ仕組み――後のデーモンハンター協会の原型を作った三人。

 それがミドウ・クレハであり、キサラギ・ミオであり、アサバ・レンだったのだという。


 そのうちの一人は人間を見捨て、そのうちの一人は人類を守ろうとし、最後の一人がすべてを裏切った。

 正義も友誼も愛情も裏切って、アサバ・レンは恋人を殺した。

 理由は定かではない。


 ミドウ・クレハはその現場にいなかったし、彼女が〈ヘヴンズ・ベル戦争〉の地に駆けつけたときにはすべて終わっていたからだ。その後、レンとの間に何が起きたのか、赤いコートの女は口を開こうとはしなかった。

 明らかにまだ語られていないことはあるようだったが、話す気がないらしい。話し終えて、クレハはグラスに注がれた水を飲み干した。


「これでおしまいよ」


「…………そうですか、お話ありがとうございます」


「プリンのおかわりが欲しいわね?」


 地味にこっちの財布に多大なダメージを与える要求だった。

 しかし下手にへそを曲げられては、ここまでの交渉の苦労が水の泡だ。自分の日々のご褒美が消えていくことを嘆きながら、ミスラはプリンのおかわりを店主に頼んだ。


 精製された砂糖と鶏卵と牛乳を必要とするプリンは、聖塔連邦との交易樹立後、庶民でも手が届くようになったものの、気軽に食べられる価格ではない甘味だ。

 うぐぐぐぐ、とうめき声をあげるミスラを愉快そうに眺めながら、大人げなくクレハが先を促した。


「で、あんたの言う情報交換ってのは何?」


「ヤトガミ事件の現場で何が起きたのかのお話です」


「へぇ……まァ話してみなさい、聞くだけ聞いてあげるわ」


 促されて、黒髪の少女は目を閉じる。

 五年前、ヨミナガ市から遠い地にあるヤトガミ地方で起きた大虐殺――結果として一地方のコミュニティが丸ごと消えるというおぞましい結果をもたらし、大崩壊後の黄昏の時代、地上のあちこちで勃興した大小のコミュニティに激震をもたらした事件だ。


 その当事者は今もなお列強として名を馳せる聖塔連邦であり、もう一つはヤトガミ地方の領主として振る舞っていたクズル一族だった。

 一般的にこの事件は次のように理解されている。


 裏日本(本州の日本海側を意味する語句)ヤトガミ地方を実質的に統治していたクズル一族は、かねてからこの地域の征服を狙う聖塔連邦との間で緊張状態にあった。

 デーモン駆除や交易などの分野では協力関係があったものの、地方領主として振る舞う宗教家と、近代的国家の再建を掲げる聖塔連邦ジグラトの対立は避けられぬものだった。


 そしてある冬の日、クズルと聖塔連邦の間で武力衝突が起きた。

 クズルの私兵と連邦陸軍の歩兵部隊のトラブルから始まったという戦いは、瞬く間にヤトガミを飲み込む殺戮の嵐となった。

 異能に目覚めた人間を中心としたクズルと、自動火器や機甲戦力を多数保有する連邦陸軍――真っ向からぶつかり合えばどうなるかは一目瞭然だった。


 小規模なデーモンとの遭遇戦ならば有効な前者は、膨大な生産力に支えられ戦場を銃火で埋め尽くす後者に勝てなかった。

 そして両者の武力衝突の巻添えとなって多くの民間人が殺戮され、クズル一族は全滅。

 生き残った人々も散りじりとなりヤトガミ地方は滅んだ。


 これがヤトガミ事件の概要である。

 ここにいるのはデーモンハンターのミスラだ――クズル・ミスラは公式には死亡したことになっている。

 領主一族の末娘であり、数少ない事件の生き残りである少女が吐き出したのは、を体験したものしか知り得ない真実だ。


「巷で言われているように、連邦陸軍とクズルの私兵の衝突が原因で始まったのではありません。わたしの記憶している限り、最初の攻撃は、連邦陸軍によるクズル本家への砲撃から始まりました。当時、ヤトガミの支配者だったクズル家……それに従う信徒たちへの銃撃が始まったのはそのあとです」


 繰り返し、繰り返し、夢に見る風景だ。何度、目が覚めてはレンに手を握ってもらったかわからない。

 ひゅるるるる、と空気を切り裂いてお屋敷に向かって飛んできた砲弾。爆ぜたそれの餌食となり、地面に倒れ伏す大勢の使用人。

 流された血を覚えている。犠牲者の悲鳴を覚えている。そして何より――ヤトガミの街に響き渡ったスピーカーからの邪悪な煽動を忘れられようか。




『―― クズルはデーモンの隠れ蓑となった邪悪な一族だ!  これは異界の侵略と戦う聖戦である!  やつらはすでにデーモンに侵されている! 




 兵士たちの蛮行を止めるどころか推奨する声。

 あれは確かに、父との交渉に赴いていた聖塔連邦の指揮官の声ではなかったか。ヤトガミ事件のあと、当時の現場指揮官は拳銃自殺をしており、事件の真相は闇に葬り去られた。

 あとに残されたのは聖塔連邦という大国への民衆の不信感と、癒えぬ傷跡を抱えて生き残るわずかばかりの生存者だけだ。


「いきなりクズル本家の邸宅へ榴弾砲やロケット砲を撃ち込むのは、末端の暴走の範疇を超えています。あれは偶発的な事故から連鎖した虐殺などではなく――そう意図されて引き起こされたんです。ヤトガミ事件が尾を引いて、聖塔連邦による本州統一は大幅に遅延されています。これは連邦にとっても本来、利益にならないことです」


 ミスラの断言に対して、クレハの反応は芳しくなかった。

 眉をひそめて片目を細めた魔女は、それはそれは楽しそうに嘲笑した。


「へぇ陰謀ね、あんたってはるか銀河の彼方の善良な宇宙人とか信じちゃうタイプ? 軍閥作ってるカスどもが本国の言うことを聞かないなんてよくあることよ? 愉快なクソバカどもがロケット砲でヤンチャするのもよくある話だし?」


 クレハの言葉は正しい、とミスラは思う。少なくとも少女にもそういう風に自分の解釈を疑う余地があったから、今日の今日まで聖塔連邦に対する不信感を押し殺して生きてきたのだ。

 たぶん師であるアサバ・レンには気づかれているけれど。

 それでも格好つけてしまうのは、ミスラにとっては保護者である彼が最愛の人だからだ。




――




 ミスラはこう思うのだ。

 自分の中にある不信感の芽をすべて潰してしまいたい、と。

 黒髪の少女は師を崇拝できるほど妄信的ではなかったし、理性的に疑念を抱くことができる聡明さの持ち主だった。

 アサバ・レンの過去を知るミドウ・クレハならば、あるいは知っているかもしれないこと。まるで今思い出したかのように、クズル・ミスラはぽろりと言葉をこぼす。


「以前、師匠がメモ書きに残していた単語を偶然目にしました」


「あんたの言う偶然って故意の言い換えね? だいたい理解したわ」


 呆れたようなクレハの呟きに、曖昧な微笑みアルカイック・スマイルで応じた。それはたぶん師匠から弟子である彼女が受け継いだものの一つだ。

 そして核心に至るはずの言葉を口にする。






「――






 それを聞いたクレハの反応は――




「――なにそれ、卵焼き?」




 ミスラはちょっと泣きそうになった。

 呉がこちらに向けてきているのは、完全にちょっと痛い子を見る目だった。

 その生暖かいぬくもりがつらすぎる。



「想像以上に……クレハさんから聞き出せる情報がありません……!」



「最初から昔話だけって言ってるでしょうが!」



 女傭兵はキレた。







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