古今東西彼女面バトル
うたた寝から目覚める。
珍しいこともあるものだ、とレンは思った。
デスクワークをしているうちに昔の夢を見ていたらしい。睡眠の必要というものをめっきり失った自分らしからぬ生理現象だ、と思う。
椅子の上で思い切り背伸びをする――百七十八センチの長身を黒のゴシック・アンド・ロリータで包み込んだ男はちらり、と机に立てかけてある剣杖を見た。
結局、あれからミドウ・クレハが襲撃してくることはなかった。
デスクの上にまとめたメモ書きを眺める。
「……ヨミナガ駐屯軍のパトロールが機能していない?」
手元でこれまで集めた情報をまとめたメモと地図を比較し、ぽつりとレンは呟いた。
気になっていたのは以前、交戦した数百体のオーク兵の出所だ。いくら人類側のパトロールがぬるい地域だと行っても限度がある。
あれだけの数が一斉に出現していたら、定期巡回時にその兆候なり余波なりが観測されているはずだし、事実、ここ数年間レンはあの規模のデーモン禍に遭遇したことはない。
付き合いのある同業者からそれとなく話を聞いた結果、わかってきたのは聖塔連邦ヨミナガ駐屯軍の定期巡回コースに入っている地域に限って、デーモンの出現頻度が上昇しているという事実だった。
すでに地元住民から役立たずのパトロールに対して不満の声が上がっているという。
「無能と怠惰で片付けられる話ではあるが……」
だが、そうでなかったならば――この街の拠点を引き払って、すぐにでももっと遠く離れた土地へ移るべきかもしれない。
最悪の場合、聖塔連邦ヨミナガ駐屯軍の内部に、デーモンと結託している勢力がいるかもしれないのだ。
ありえない話ではない。
大崩壊からこっち、敵の敵は味方とばかりにデーモンと癒着する人間は確かに存在する。
それは旧文明の頃から生きているレンたちにとっては人類への背信行為だが、この荒廃した世界で生まれてきた世代にとっては必要悪にもなり得る。
そして大国の正規軍なら腐敗していないなどという幻想は、とうの昔に捨てている。
殺し合いの理由が尽きないこの世界では、際限なく道徳が放り捨てられるのだ。
とはいえ――できればそんなことはしたくない。
住む土地を離れ、流浪の旅に出る。
それはミスラにとって辛い選択になる。友達も日常も人脈も何もかも、ミスラはこの五年間をヨミナガで過ごして築き上げてきたのだ。
それらをすべて放り捨ててあてどない旅に出るなど、まだ十代の女の子にさせたいことではなかった。
そう思ってレンは物憂げな顔で事務所の中を見やる。
ミスラの姿がなかった。
気づく。
簡素な書き置きが残してあった。
事務所のテーブルの上にちょこんと置かれた手紙には一言。
『クレハさんとお話ししてきます』
レンは真顔で立ち上がった。
◆
デーモンハンター見習いミスラはそこそこ地元では顔が広い。それは師であるレンの顔の広さもあるし、彼の方針で地域密着型のデーモンハンターを続けているからでもある。
つまりどういうことかというと、地元住民の伝手を辿っていけば、割と世間話のついでに見慣れない人間のことを教えてもらえるのだ。
ヨミナガは流れ者が行き着く街であり、見知らぬ余所者が街を出入りすることなど珍しくもない。そして自身の存在痕跡を消す事象変換術に秀でているあの傭兵の所在を、そのエーテル使用などの気配から掴むのは至難の業だ。
だが何事もやりようはある。
一人で街を歩くミスラに手を出すものはいない。見習いとはいえ腕利きのデーモンハンターとして知られており、如何にもなタクティカルベストと剣杖を装着しているからだ。
このヨミナガにおいて腕利きのデーモンハンターに喧嘩を売るバカは長生きできない。
かくして少女が街を出歩き、知り合いの伝手を当たって六件目だった。
何か情報が手に入ったら連絡してもらえるよう頼んで、黒髪の少女が情報屋の住処から出る。ここはヨミナガでもあまり人通りが多い場所ではない。真昼にもかかわらず薄暗い路地に足を踏み出した瞬間、真横から声がした。
「――探してる相手は見つかったかしら?」
視線を横にずらす。
灰色の髪、鬼火色の瞳、へらへらとした軽薄な笑み。赤いコートの下にはブラウスとミニスカート、むっちりと肉付いた豊満な肢体――その脚線美を覆うのは黒のハイブーツ。
先日、アサバ探偵事務所を襲った女がそこに立っていた。
一体どうやってこちらのことを探ったのかは定かではないが、ミスラの読み通りミドウ・クレハはすぐに向こうからやって来てくれた。
驚きはしなかった。
熱光学迷彩を使える事象変換術の使い手ならば、このぐらいのことはやってのける。自身も存在隠蔽の術式を使うからこそ、ミスラはその練度の高さに舌を巻いた。
間違いなく目の前にいる女は、ミスラでは及びもつかない事象変換術の術者だった。
初動を間違えればこのまま連れ去られて終わりだ。
相手の呼吸を読む。
「この前の無礼をお許しください、ミドウ・クレハ様。すべてはわたしの浅はかさゆえ、深く反省しております」
出会い頭に機先を制し、ミスラは深々と頭を下げて謝罪した。
呆気に取られた様子で女――ミドウ・クレハが問いかけてくる。
「あんた、自分の身柄が狙われてる自覚あるわけ? ひょこひょこ一人で裏通りに来てくれるとか、こっちとしちゃ願ったり叶ったりだけど」
あのアサバ・レンの弟子がこうも間抜けなことに苛立っている様子だった。
女が発する剣呑な気配が深まっていく。
ミスラは臆さずに持論を述べた。
「わたしは自分の実力を過信してはいません。ですが自分が師匠……アサバ・レンの弟子であることの意味は承知しています」
「……はァ?」
「わたしに何かあれば、師匠が必ず報復します。ヨミナガを去るよりも早く、彼はあなたを追い詰めるでしょう」
「クソガキ……あたしがびびって何もしないと思ってるわけ?」
ぎろり、と睨まれたが問答無用で殴られはしなかった。どうやらミドウ・クレハという人物は、ミスラが思っていたよりもはるかに理性的な人物らしいと評価を上方修正。
そしておそらく初遭遇時の自分は、想像以上に彼女の逆鱗に触れていたと理解する。師アサバ・レンとキサラギ・ミオに関する話題を少しでも茶化すのは死地に踏み込むのと同義だろう。
既存の秩序や道徳に対する遵守の意識は低い反面、身内として認定した相手には情が深い。典型的なアウトロー気質というべきものを持った女である。
舐められたと判断すれば、彼女は容赦なくこちらに暴力を振るうだろう。それでいて威圧に屈してもまともに話を聞いてくれるタイプではない。
圧倒的な武力に裏打ちされた振る舞いは、今のミスラにとってかなりの難物だ。それでも少女はできるだけ多くの情報を聞き出さねばならない。
そうしなければ自分は何もわからない子供のままだと、ミスラは焦っていた。
「あなたの依頼主は、
「さァ? あんた何、大国の恨みでも買ってるの?」
一歩、またクレハがこちらに近づいてくる。白昼堂々、自分を拉致するつもりだろうか。
殺人にためらいがないという意味での悪人かもしれないが、性根が卑しいゲスではないと確信して話しかけた。
「〈火焔の魔女〉ミドウ・クレハ――半世紀以上前から活動している傭兵と聞きます。ならばあなたはきっと本物なのでしょう、師匠と同じく、人の域を超越したデーモンハンターのはずです」
それとなく調べてみたところでは、〈火焔の魔女〉は業界では名が知られた凄腕の傭兵だった。その人物像についてはわからず、把握できたのはいくつかの断片的な情報だけだ。
曰く――かれこれ数十年間、その活動痕跡が途絶えたことがない。
曰く――その女傭兵が戦ったあとには、煮溶けた金属と焼き払われた焦土しか残らない。
曰く――報酬でも思想でも動かず、気に入った依頼しか引き受けない変わり者。
彼女を使い捨てようとして報復を受けた依頼主の話だとか、そういう怪談じみた話も聞かせられた。
恐ろしい人物だ。
たぶん言葉使いを間違えれば、アサバ・レンからの報復だとか、自分の身柄の確保だとかの諸々を無視して殺しに来る。
この人はそういう混沌とした自由の中で生きているのだろう。
それでも――黒髪をボブカットにまとめた少女は、灰髪の魔女に対して、切実な訴えを投げかけた。
「お話を聞かせてくれませんか?」
「はァ? なんであたしがあんたに――」
「師匠の――アサバ・レンのことをもっと知りたいからです」
ミスラの懇願のような言葉に対して、クレハの目が細められる。
街中の小道で睨み合う傭兵と少女――ちょうど周囲から人気が消えた瞬間、クレハが踏み込んでくる。身を躱そうとしたが間に合わない。ブーツの足の甲を踏みつけられ、そのままジャケットの胸ぐらを掴まれた。
剣ダコだらけの硬質な指、黒い防火皮のグローブで包まれたそれがギリギリと少女の喉元を締め上げてくる。
痛みにうめく。
凄まじい圧迫感。
ぐいっと引き寄せられたミスラに対して、クレハは怒りに満ちた視線を投げかけてきた。
「師匠、師匠って言うけどね、あんたわかってる? あいつは
「……師匠がわたしに決して話してくれないことの一つは、わたしを連れ出すよう依頼したのが誰なのかということです。わたしは真実が知りたい。同時に当時九歳のわたしは、あなたが知り得ないヤトガミ事件の状況を知っています」
クレハが無関心な瞳でこちらを見てくる。
だが、
黒髪の少女は動揺を気取られぬよう、淡々と言葉を紡いだ。
「この世界で一番切り捨てやすいのは、わたしたちのような自由業の傭兵です。わたしはミドウさんと適切な情報共有がしたいのです」
「つまりこう言いたいわけ? あんたは情報交換しにきた――そんでもって、あたしがヤバい橋渡ってるかもって?」
沈黙。
永遠にも思える静かな時間。
どこからか犬の吠え声が聞こえてくる。
ミドウ・クレハはその顔に苛立ちを浮かべて、大きく舌打ち一つ。
「クソガキ、あんた詐欺師の才能あるわよ」
同時に手が離された。
圧迫感から解放されたミスラは地面にうずくまった、深呼吸して酸素を吸い込む。
そんな人間らしすぎる――この道を極めたデーモンハンターならば肺呼吸に頼った活動などありえない――少女の姿を見下ろして、赤いコートの傭兵はぶっきらぼうに条件を突きつけた。
「あたしは昔話をする。あんたは持ってる情報全部吐く。この条件以外は飲めない」
「わかりました」
ミスラはうなずいた。
願ってもいないことだった。
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